隻腕の剣士
隻腕で素振りをくれる伊庭をみつめているのは柳生親子と島田と田村。田村は箱館戦争時に伊庭の小姓を務めていたことがあり、そのときからずっと伊庭の片腕たらんとけなげに寄り添っている。伊庭のほうも田村が弟のように可愛いらしくいつも目の届く範囲に置いて心形刀流を伝授していた。
伊庭は最終目的地である紐育湾に到着したら、この商船の持ち主であるニックの仲立ちで義手を装備する予定にしている。
真剣を一心不乱に振るその姿は鬼気迫るものを感じる。無理もない。片方の手首を皮一枚残して斬られたことはいまだ記憶に新しい。さらには自身でそれを斬り落としたときの痛み、それ以上にその悔しさは脳裏にも精神にも生々しく残っているだろう。
「八郎、いまのおぬしの剣には邪念しかない。いまのおまえでは、銀ら子どもたちにすら敵わぬぞ」
近間に入ることどころか剣の切っ先が届く位置であることもまったく意に介さない柳生の剣士がその眼前に立つ。
周囲で鍛錬していた漢たちがその掌を止め、ぎょっとして伊庭に視線を送る。
「昔、おぬしの父伊庭秀業殿に江戸で立ち合いを挑まれたことがあった」
「父に?」父親の名をだされ、伊庭は抜き身を下ろしてすぐ眼前の小柄な剣士を見下ろした。
わずかに湿り気を帯びた風が手首の傷跡にまとわりつく。こういう雨の前には必ず痛んだ。というよりかは痛むと雨がやってくることがわかる。
あのとき、自身にもっと力があれば、あるいは運があれば、こんな無様な生き恥や姿態を晒さずに済んだのだ。
剣士としての自身に致命傷を負わせた鏡心一刀流の高橋藤五郎にあのときの無念を晴らすことはできないだろう。この心身の痛みを取り除くにはどうすればいいのか?そもそも拭いきれるのか?ずっと自問自答し、それを解決する手段の一つがこの素振りなのだ。
「わが流派は他流試合は禁じておってな。本来ならば断らねばならなかった。だが、そのとき、わたしは私用で江戸におり、出会ったのも偶然の成り行きで、剣とはまったく異なる場であった。ゆえに酔っ払い同士の剣術ごっこ、のていで深更「練武館」で対峙した。伊庭殿は真剣での立ち合いを所望され、わたしは了承した」
厳蕃の語りを伊庭は真剣な面持ちでききいっている。それは他の者も同じだ。だれもが心形刀流宗家第八代当主と柳生新陰流第十七代当主の立ち合いの詳細に興味があった。
「師匠、つづきを早く早く」田村が紙芝居のつづきをせがむように急かした。敬愛する伊庭の父親の話なのだ。
「伊庭殿も剣士でありながら、政に振り回されて苦労された。その様々な想いが正眼の構えに顕著にあらわれていた」小柄な剣士の両の眼が細められた。昔立ち合った剣士の息子にさらに近づく。そして、伊庭の左側の腕を自身の右掌で掴み、もう片方、四本しか指のない掌で伊庭の失われた手首の傷跡をやさしく撫でる。
感じるはずもないぞっとするほど冷たい感覚に、伊庭は不覚にも右掌にある自身の得物を取り落としそうになった。
この冷たい感覚は、以前にたしかに感じたことがある。そう、それはこの剣士の実の甥からだった。
「あのときのおぬしの父上の構えといまのおぬしの素振りはまったく同じだ」
「父は負けたのですね?あなたは父を・・・」伊庭はいいかけてやめた。伊庭の父親は伊庭が十四歳のときに死んだ。記憶にある限り、父は虎列剌にかかって死ぬまで、一度たりとも他人に斬られたことも斬ったこともなかったはずだ。
「わたしは抜かなかった。「村正」を抜くまでもなかった・・・。八郎、勘違いするな。父上はわたしと対峙し、そこにわたしではなく自身をみられた。自身のすべてを・・・。八郎、おぬしはすでにおぬし自身の父を超えている。そして、さらにあの子の生命と力を継いでいる。あの子は生まれつき左眼がみえなかった。あの京での宴の際におぬしもいたからそのことは知っておろう?あの子は視覚よりも聴覚と嗅覚がすぐれていた。音と臭いであれだけのことをしてのけていた。たとえ隻腕であっても・・・」撫でながらつづける。
「相手にそうと悟らせるな。そしてそれを補う手段を身につけよ。八郎、おぬしの父はその後、「錬武館」を江戸の「四大道場」の一つと呼ばれるまでにし、剣客としてもけっして他の道場主にひけをとらぬほど大成された」体躯と同じく小ぶりの相貌をぐっと伊庭の耳朶に近づけつづきを囁く。「おぬしはわたしの不肖の息子より努力家で質も高い。それを忘れるな。だが、無理はする必要はない。銀がいる。そしてわたしの不肖の息子もおぬしを助けてくれる。無論、それ以外の仲間たちも。みなを信じよ。そしておぬしの真の力を貸してくれ」
暗示だ。柳生の兵法家の囁く言の一つ一つが伊庭の心の奥底にまでしっかりと染み込んでゆく。
伊庭は流れ落ちる涙を拭おうにも叶わず、照れた笑みでごまかそうとした。
「父上が病で亡くなりしは無念だ。絶やすでないぞ、その立派な技と精神を」手首の凄惨な傷跡から頬へと掌を移し、涙を拭ってやる。
自身もあの戦で死んでいる。公にではなくとも、心形刀流の技と精神は、弟分である田村といまは親友ともいえる厳周に伝えたい、と心底思った。
伊庭がその二人をみると、その二人は眩しいまでの笑顔で伊庭をみていた。
このぐらいのことで腐っている暇などない。技と精神を練磨し、そして継承。あのとき、生命の恩人に啖呵を切ったのだ。生き残り、次に繋げる為にはどんなことでも乗り越えてみせる、と。
わたしは必ずややり遂げてみせる。「伊庭の小天狗」の異名が伊達ではないことを証明するのだ。




