苛立ち
育ての親に乗って前をゆく幼子の小さな肩に朱雀がいる。
賊をみせてその隠れ家を空から探索してもらう為だ。
「なんなのです、叔父上?わたしに仰りたいことがあるのでしょう?」
辰巳は後ろにつづく金峰の按上の叔父を振り返りもせずいい放った。
「仰りたいこと、だと?この性悪の甥め。しらばっくれるな。いったいなにをした?わたしたち親子にではない、おまえがわたしたち親子にした後、おまえがしたことを問うている」
厳蕃は甥に噛み付いた。このところ甥に対して、正確には辰巳に対して複雑な想いを抱いている。息子同様厳蕃にとって辰巳はかけがえのない大切な存在であることは間違いない。腹立たしいし苛立たしい。相反する想い・・・。自身、どうしていいのかわからない。どう接していいのか、どうすればいいのか、なにもかもがわからない。
日を追うごとに辰巳に近づいてゆく。それは心身ともにである。
柳生の剣士である、というだけなら話は単純だったろう。だが、それ以前に辰巳は厳蕃とはまったく異なる世界で過ごし、そこで生き抜いてきた。
根本的に違うのだ。
つねに自身というものを抑え、隠し、他者にけっして悟らせもみせもしない。そこにあるのは辰巳という名の役者が演じた違う感情、性格・・・。
まるでつかみどころのない、そうまさしく流れる水のようだ。
努力しても理解するどころかいいようにあしらわれるのが落ちだろう。
「なにも。なにゆえわたしがなにかをしたなどとお考えになるのです、叔父上?」
小さな背が揺れた。ついでかすかな含み笑いが厳蕃の耳朶に飛び込んできた。
「子犬ちゃん、育ての親なら子をしっかり監督すべきだろう?」
業を煮やし、つぎはその育ての親に噛み付いた。
『にゃんこがなにやら申しておるぞ、わが子よ?』白き巨狼が笑った。
『無駄だ、わたしにも手に負えぬ。この子にはわれわれにない力が備わっておる。それに対し抗うことは八百万の神々が寄ってたかってでも無理である。おいおい、子猫ちゃん、わたしに八つ当たりはするな。ま、好きなようにさせておけ。いつかしっぺ返しを喰らうだろうからな』
喰らうのがどちらが、とは尋ねる気にもなれない。
「叔父上、いま、あなたにとって一番大切な人間はだれですか?」
不意に問われ、即座に厳蕃はその心中に大切な人間を浮かべていた。不覚にも、だ。
「よかった」「うわっ!」按上、厳蕃はのけぞった。辰巳が同じ按上で厳蕃と向き合い、その相貌をみ上げていたからだ。
「よかった・・・」辰巳は同じことを呟いた。「従弟殿はあなたが父親で真によかった・・・」月光が辰巳の濃く深い瞳に光を帯びさせている。しばし厳蕃はその魅惑的な瞳に魅入られていたが、すぐに頭を左右に振った。
まずい・・・。あらゆる意味でまずい・・・。
確信をはぐらかされていること以上に辰巳の行動は厳蕃に苛立たせた。そして戸惑わせた。
「伯父上、近いですよ」
気がつくと甥の小さな体躯はまた白き巨狼の背の上にあった。さきほどと同じようにその小さな肩の上に朱雀がいて遠くをみている。
さきほどのはなんだったのか?
『ぼーっとするでない、子猫ちゃん!物見の役をしっかりと果たせ』
白き巨狼の叱咤に厳蕃は夢から覚めたかのように緩慢に応じた。
「ああ、ああ、うるさく申してくれるな。さっさと終えよう」
指が四本しかないほうの掌をひらひらさせながら厳蕃は気を引き締め、自身と金峰の気配を絶った。
完全に気配を絶っている甥の小さな背をみながら、厳蕃はなにゆえか痛むこめかみの辺りを指先で揉むのだった。




