駅馬車(Stagecoach)
小さな町があった。旅を開始してはじめてみる町と人間だ。
そこには駅馬車の駅があった。しかも大陸横断の駅馬車の駅らしい。
そのわりには寂れた町であった。すくなくとも一行はそう感じた。
二十から三十戸の家に酒屋、雑貨屋、そして小さな宿屋があるだけだ。
駅馬車でも近隣の都市間、あるいは同じ市や街のなかを走るのとは違い、大陸を横断する駅馬車の旅はかなり過酷だ。天候、悪路、時間調整は無論のこと、この時分は強盗やインディアンの襲撃が後を絶たなかった。持ち物は衣服や食物とともに銃や小刀を携行すべし、と推奨されているくらいだ。むしろ武器のほうが重要かもしれぬ。それほど危険で過酷な旅なのだ。
そして、乗客が各駅で過ごせるのはほんのひととき。悠長に店に入って食事をしようものなら置いていかれてしまうだろう。つぎの馬車に空きがあればいいが、なければ何週間とその駅で無為の日々を過ごすことになる。
ゆえに大陸横断の駅のある町がかならずしも立派で便利でなんでも揃っている必要はないのだ。
小さな宿屋にほかに客はいない。というよりかは一行全員を賄うには部屋も寝台も足りなかった。
柳生親子と若い方の「三馬鹿」、そして幼子が野宿することになった。
「酒、酒、さっけが呑める」
鼻唄まじりで嬉しそうな元祖「三馬鹿」。そしてそのすぐ傍で白き巨狼が二人と同じように上機嫌で躍っていた。
人間は酒、白き巨狼にはホットチョコレート、特別に許可がでたのだ。
「ほどほどにしておけよ、おめぇら」
その日の夕食時、無論小さな宿屋の小さな食堂には土方一行しかおらず、しかも漢ばかりで身を寄せ合って丸卓を囲んでいた。
その直前、旅にでてはじめて湯浴みができるとみな喜んでいたが、信江が浴びた後に数名が浴びたところで湯がなくなってしまった。残りの者は仕方なく水浴びせねばならなかった。
それはともかく、夕食前に土方は酒好きたちに釘を刺しておくことを忘れなかった。
食卓には旅にでてから食しているものとさしてかわらぬ質素な食事が配されている。
豆料理に石のように硬いパン。そしてショットグラスに入った透明の液体。
丸卓の下では、宿屋の女将に頼んで作ってもらったホットチョコレートの入った錻力製のカップに鼻を突っ込みその甘い液体にはやくも白き巨狼が舌鼓をうっている。
「うわっ、なんだかすごいにおい。においだけでも酔いそう」
ショットグラスに鼻を近づけ嗅いだ沖田が途端にグラスから鼻を遠ざけた。
『テキーラです。われわれは昔からプルケという食物の樹液を醗酵させて作る醸造酒を呑んでいます』
イスカが説明をはじめた。
『もともとはここからずっと西にある墨西哥で呑まれているものです。欧州からやってきた西班牙人がそのプルケを改良したのがテキーラです。かなり強い酒です』
その説明に瞳を輝かす元祖「三馬鹿」、そして相馬。
「わたしはだめだな。総司のいうとおりにおいだけで酔ってしまいそうだ」「わたしも」「おれも」
山崎を皮切りに数名がにおいだけで無理だという。
「ああ、無理ってんならやめておけ。その分呑んでくれる「馬鹿」どもがいるからな」
土方は苦笑した。
いつものように亜米利加の民である四名は丸卓に両肘をつけ、かれらの信仰する神にその日の糧に対する感謝の祈りを捧げている。
「ではおれたちも。おれたちの大切な神様方に期せずして酒を恵んでくれてことに感謝を述べさせてくれ」
すでに一杯ひっかけたがごとく上機嫌な永倉がかれらの神様方に向かって「ぱんぱん」と両の掌を叩き合わせて一礼すると、神をうちに宿す大人と幼子は眉間に皺を寄せた。
「それは二拝二拍手一拝か?われわれは神社ではない」大人のほうが苦笑した。幼子のほうは「神社って狛犬様がいるところ、母上?」嬉しそうに母親に尋ねている。
「狛犬様?狼とどっちのほうが強いのかな?」
あいかわらず強さ比べをしたがる市村の後頭部を原田は軽く叩いたのだった。
「いただきます」
家族で囲む食卓は、どんなに質素な内容の食事であっても愉しいものである。