愛読書(My favourite book )
「主計兄、なによんでるの?」
その日、朝から馭者台に座っているのは相馬と野村だ。野村が手綱を握り、その横で相馬は一心不乱に分厚い書物をよんでいた。
「ねぇ主計兄、きいてる?なによんでるの」妙高を馬車に寄せ玉置が何度か呼びかけるも、相馬はよほど集中しているのかきこえないようだ。
「Les Trois Mousquetaires」と表紙に書かれている。アレクサンドル・デュマ・ペール の「三銃士」だ。それだけではなく、相馬の膝横には司馬遷の「史記」、ダニエル・デフォーの「Robinson Crusoe」が置かれている。荷台にはさらに数冊あった。これらはニックのコレクションだ。それぞれの言語で書かれた書物を相馬はニックから贈られたしてもらったのだ。
「おーい主計、きこえているかー?」 曳き馬の岩手は軽やかに人間と荷物を運んでくれる。
「なんだ?いまいいところなんだ」仏蘭西語で書かれたそれを、相馬は着実によみ進めている。相馬も語学を積極的に学んでいる。「The lucky money(幸運の金)」号の航海中に言語の先生は大勢いた。自分から積極的に話しかけていた。
「面白いの、主計兄?」玉置もまた相馬同様語学に興味津々なのだ。気になって仕方ないらしい。
「ああ、良三か。難しいが面白い。おまえは清国語ができるんだから「史記」をよんでみたらいいんじゃないか?近藤局長がお好きな「三国志演義」よりも昔の話だ」
「面白そう。貸してよ、主計兄」「もちろん」
「こいつら気がしれんな」野村が独りごちた。
「清国のそんな大昔の話しだったら、なにもそんな分厚くこ難しい書をよまずとも歩いて喋る歴史がいるじゃないか?」
「ほんとほんと、利三郎のいうとおり」藤堂も那智を寄せてきた。
「そういえば、主計は京にいた時分も近藤局長から書物を借りたり、貸し書物屋に通ったりしてたよな?そんなに面白いもんかね?」
原田も九重を寄せてきた。九重は馬高が一番でアラビア種を濃く受け継いでいる灰色の元野生馬だ。
「おいおい、よみかきの苦手な連中ばっかがよってたかってなんだ?主計、ほっとけ」
比叡の按上から永倉が怒鳴った。赤栗毛の比叡はどっしりした馬体ながらその走りは驚くほど速い。
「よむのときくのとでは違うのですよ。その人によってきくほうが好みの場合もありますし、よむほうが面白く感じられる場合があります。主計は後者のようですね」
馬車の後ろに大雪をつけていた厳周がいうと、きくのが好みの連中がいっせいに頷いた。
「ほら、あそこにも」厳周が指差した先に富士の土方親子、黒鹿毛の駿馬生駒の山崎が馬首を並べている。按上、山崎は「The New York Times」を広げ、土方親子に記事をよみきかせていた。もっとも、子のほうはともかく土方はよみかきが嫌いでも苦手なわけでもない。暇暇に瓦版から情報収集とこの国について学んでいるのだ。
「ほら、あそこも」厳周はさらに指差した。土方親子のすこし後ろを沖田が天城を歩ませている。騎手はのんびり読書中だ。とはいえ相馬のそれとは違いずいぶんと薄っぺらい書である。
「まてまて、あれは・・・」剣の按上で斎藤が呟いた。それから突然「剣、頼む」そう叫ぶなり剣を走らせたのだ。
「副長っ、総司がっ!総司がとんでもないことをっ!」按上、斎藤は敬愛する土方に叫びつづけた。
「斎藤?んっ?」いわれるままに背後を振り返った土方のその相貌が朱に染まるまでさほどときは要さなかった。
「総司っ、いつの間に。くそったれ、返しやがれっ!」
妻の手前、神を冒涜したり息子の教育上よくない言の葉の使用を控えつつ、土方は馬首を返した。
「梅の花ー、一輪咲いても梅は梅ー」それは「豊玉宗匠」自慢の発句集だ。沖田ともなれば数においてのみ松尾芭蕉並みに記されたその発句の数々を諳んじているのにこうして盗みみたがるのだ。
天城が全力疾走している。そしてそれを追う富士と剣。
穏やかなこの日もまた、一行はやかましく旅をつづけるのだった。




