無刀取り
真剣白刃取り。それは無手の状態で振り下ろされた刃を両の掌ではさんで受け止める技。じつはそんな技は危険極まりない。柳生新陰流では無刀取りといい実際は無手の状態で相手の懐のうちに入って相手の得物を奪う技だ。
「村正」が振り下ろされた太刀筋すらみえぬ。当然だ。厳蕃のさりげない真っ向斬りですらその鋭さは常人とは比較できぬほど速い。それを受け止めたのはその息子。難しいとされる技も、この柳生の当主にとっては造作もない。
「えっ?従兄殿の技?」市村に尋ねられ、みなの前で妙技を披露したばかりの厳周は苦笑した。自身はそんな神業ともいえるものについぞお目にかかったことはない。京で相対した際には、得物を抜くまでもなくその強大な気だけで膝を地に折ってしまったという失態を犯したからだ。だが、みなから話しはきいていた。
相手の渾身の一撃をたった二本の指で挟んで受け止めるという技のことを。
「従兄殿は特別だよ、鉄。そんな大技、柳生新陰流の皆伝であっても到底なしえるものではない。従兄殿と父上くらいだろう。そんなことより、やってみないか?ほら、さすがは新八さん、それに一さんだ。初めてなのにできてる」
永倉は島田が振り下ろした木刀を、斎藤は沖田が振り下ろした木刀を、それぞれ両の掌でうまく受け止めている。
きゃっきゃっと赤子の笑い声。赤子は、白き巨狼の前脚に背を預け胸元で小さな小さな掌をぱちぱちと叩きながらそれをみている。
「やってみるよ、厳周さん。お願いします」いうなり、床に片膝立て、両の掌を合わせて待ち構える。
「ではいくよ」厳周は、断ってから左腕一本で木刀を振り上げ、そして重力だけで振り下ろした。
ごんっ!という鈍い音につづき、市村は自身の頭頂部を掌で抑えながら「痛い痛い」と騒ぎまくっている。それをみていた全員が笑った。
きゃきゃきゃっ、と赤子も笑っている。
「くそっ!もう一本お願いします」相変わらずの負けず嫌いだ。すぐさま体勢を整え、つぎに備える。
その後、厳周は二時近く、それこそ陽が暮れ、上弦の月と無数の星が瞬くまで付き合わされたのだった。
かろうじて受け止めれられるようになったのが救いだろう。さすがは努力の漢、市村である。
「新八、一、総司、よくみているんだ。これは銃を持つ者と一対一の場合で、たった一度だけしか使えぬ技だ。集中力がなにより重要だ。そして、抜きの速さ。しくじれば死ぬぞ。それを肝に銘じておけ、よいな?」
久しぶりに腰に得物を佩いた感触はやはり心地いい。無論、斎藤のそれは右腰にある。
「丞、頼むぞ」厳蕃は艦橋近くに立っている山崎に声を掛けた。その距離約六間(約10メートル)。山崎の右掌にはニックがアメリカ陸軍から横流ししてもらった通称S&Wという拳銃が握られている。
「師匠、いいんですか?」山崎が躊躇していると、柳生の剣士は苦笑しつつ返した。「おいおい、おぬしはあの子の剣技をみたことがあるだろう?わたしはこれでもあの子の兄弟子で、技量はさほど大差ない。遠慮はいらぬ。わたしのここをしっかり狙え」自身の眉間を指先で突く。そして、その左腰には「村雨」が。
「承知。では、遠慮なく」
一つ頷くと、山崎は拳銃を厳蕃を的にしてゆっくりと構えた。
正式名称はスミスアンドウエッソンというこの貫通型シリンダーを使用したリボルバーは、南北戦争時代より使用されている。貫通シリンダーと金属カートリッジを使った全く新しいリボルバーで二十二口径。それがNO.1で、そのボアアップ型の三十二口径がNO.2。かの坂本龍馬はNO.1もNO.2も所持していた、当世流行の拳銃である。
山崎はNO.2の方を握っている。
左掌を鞘に軽く添え、鍔に親指をかける。まだ鯉口は切らない。集中し、呼吸を深く長くしてゆく。相対する山崎の気を、息遣いを感じ、それに合わせてゆく。
永倉・斎藤・沖田だけでなく、全員が文字通り固唾を呑んでこれから行われる妙技に魅入っている。見護る者たちもまた、技を披露しようとする者と呼吸、そして気を知れず同じくしている。
銃の類では、山崎がその命中率だけでなく銃そのものの知識等についてもわずかな期間で正確に身につけた。さすがは医学にも精通しているだけあり、距離の取り方やその破壊力なども確実にものにしている。立派な狙撃手になるに違いない。
狙いをつけてから発射するまでさほど時間は要さない。息を吸い、吐き出す前に止めて発射する。かなり距離は近い。だが、案ずる必要はないのだ。なぜなら、師匠だから。師匠の腕前は、彼自身の甥と同等。だとしたらたった一発の拳銃の弾丸など造作ない。
『ぱんっ!』一発の乾いた銃声が、晴れ渡った熱気の中で弾けた。
ほとんどの者がみえなかった。発射された銃弾は無論のこと、剣士が徳川将軍家禁忌の妖刀「村正」が鞘から抜き放ち、両断し、再び鞘に戻したことも・・・。
柳生新陰流抜刀。剣士は相対した射撃手に対して軽く一礼すると何事もなかったかのように軽い身のこなしで床に落ちているものを拾い上げた。
両断されたS&W NO.2の弾丸を・・・。
「おいおい、これをやれってか?」永倉が斎藤と沖田に小声で尋ねると、沖田はおどけたように両肩を竦めた。「あー、当たったら死ぬかな、おれ?」とやはり小声でおどけたように返す。だが、斎藤は師匠の妙技にすっかり魅せられ、双眸をきらきらと輝かせ、やる気充分の状態だ。
「さすがは剣術馬鹿・・・」呆れた永倉の呟きすら耳朶に入らなかったようだ。
だが、さすがこの三人にはしっかりみえていた。剣士の挙措すべてが。
したがって、手本を何度かみ、そして弾丸が拳銃から発射されてからの弾道を何度かみた後に挑戦した。
しくじりは死という概念が前提にある為、三人とも成功したことはいうまでもない。
さすがであろう。この三人だからこそなしえる技であり、厳蕃にはそれがわかっていたのだ。




