バッファローさんとの力勝負
「これはまたいつもの行動なのか?」
伯父に背後から問われ、その甥は後ろを振り返って可愛らしく笑った。
「いつもの行動?動物のことですか、それともわたしのことですか?」
「両方だ」伯父はむすりと答えた。この可愛らしい笑みの意図することがすでにわかっているからだ。
「動物の雄は力を誇示し試したがります。それが子孫を残すことに繋がるからです。ゆえにかれらはわたしに対しても力比べをしたがるのです。わたしにとってはいい鍛錬です」甥はさらに破顔した。
「下りましょう、伯父上」「なにゆえだ、わが甥よ?わたしは試されたくないしいまは鍛錬もしたくない」
伯父は頑なだ。
『お漏らし小僧は自信がないのだろう』あの夜の信江の怪談を怖がっていたわりにはちゃんとその心中をよみ、厳蕃がお漏らしをしたことを知っている白き巨狼。人間だったらせせら笑って、というところであろう、声音に笑いが混じっていた。
「五月蝿いっ!他人のことがゆえるのか?わたしのはまだ幼い時分のことだ。子犬ちゃんはいい年ふりすぎているだろう?それをなんだ?『ひー』とは?」
切れる厳蕃。厳蕃の甥であり白き巨狼の育て子は呆れた。
「どちらもお止め下さい。それは後程お二人の間でやって下さい。伯父上、どうされます?」
『戦人としても自信がないのだろう?』再度の白き巨狼の揶揄。
「わかったわかった、やればいいのであろう?まったく、年寄りに力比べを強要するとはとんだ性悪の甥だ」
ぶつぶつと文句をいいながらでも厳蕃は甥につづいて身軽に下馬した。そして金峰に丘の上にゆくようお願いした。厳蕃の相棒は即座に馬首を返して仲間たちのもとへと駆けてゆく。
「さあて、あれは木の根を引っこ抜くのとはわけも規模もまったく異なる。だいたい、わたしは体術が得意でないのだ」
文句をいうわりには軽く屈伸運動をして備えている伯父に、甥は苦笑しながら同意した。
「ええ、仰るとおりです。が、以前あなた自身が申されていたとおり、相手の力を利用すれば簡単なこと」
「簡単なこと?右の瞼をひん剥いてよくみよ、そして全身で感じろ。あれが簡単、と申すか?」
伯父は四本しかない掌を前方に向けてひらひらさせた。
いまや地響きがしていた。大地が鳴動している。そしてもうもうと砂塵が舞い上がり、大型水牛の大群がもう間近に迫っていた。
「気楽にやりましょう、伯父上」
甥の笑みはもはや悪魔の、否、鬼の笑みにしか伯父の瞳には映らなかった。
そのとき、バッファローたちの動きがぴたりと止まった。その距離は半町(約50m)ほどか。
ほどなくしてバッファローの群れのなかからとくに大きそうな二頭が進みでてきた。
どちらも百貫(375kg)近くはありそうな巨体だ。
「ほら、あちらもわかっているのですよ。あなたのうちにいるもののことを」甥が笑った。
「いい迷惑だな。やらされるのはわたし自身だというのに」そして伯父も笑った。
たしかにかような力比べも悪くない、と思ったのだ。
伯父甥は同時に丘の上をみ上げた。そこでは二人の身内をはじめとした仲間たちが固唾を呑んでみ護っている。
二頭のバッファローはともに前片脚の蹄で地を掻きいまや遅しと待っている。
獣の王たる狼神の遠吠えが静まりかえった平原に轟いた。
同時に二頭のバッファローが二人の人間に向かって駆けだした。
怒涛の如し、とはまさしくこのことだ。
凄まじい衝撃に、さしもの厳蕃も後ろへおされた。ぶつかってきた相手の天に向かって婉曲に伸びた角を両の掌でしっかりと掴み、おされるのを脚を踏ん張り耐え止まった。そして相手の力をうまく利用して掴んだ角を地に叩きつけた。
幼子のほうは小さすぎて角を掴むことが難しい。したがって、頭を下げて突っ込んできた相手のその頭に両の掌を当ててしっかりと受け止めた。こちらはおされることもなくそのまま相手の力を利用し相手の頭部を地に叩きつけた。
『勝負あり!人間の勝ち、だ』
土煙がおさまるのと狼神の勝利の宣言が同時だった。
あっという間の出来事だった。丘の上から人間に押さえ込まれたバッファローをみながら、スー族の戦士たちは同じことを思った。
「大いなる神秘」だ、と。