夜語り
光といえば地上にあっては盛大に焚かれた篝火と、天空にあっては丸いお月様と無数の星のみ。どれもそれぞれの意思表示を盛んに行っている。
この夜の食事も賑やかだ。とはいえ、食材や器具のすくない長旅のなかにあっては作れるものはおおくはない。それでもよかった。こうして家族で食事ができるのだ。
ベイクドビーンズの缶詰にパン。パンといっても小麦粉に塩を混ぜ、紐育の伊太利亜人パン屋の主人から分けてもらった酵母菌で発酵させたものをフライパンで焼いた堅パンである。
缶詰はこの時期まだ日の本には伝わってはいない。ナポレオン・ボナパルトが遠征する携行食として、当初は瓶詰めが使われていたが重さと割れる恐れがある為イギリスのピーター・デュランドが長期保存ができ、持ち運びで割れることなくしかも軽い缶詰を発明した。アメリカでは南北戦争で需要が増大したという。
一行はニックとドン・サンティスが調達してくれたあまたの缶詰を携帯していた。
パンに煮豆の缶詰を鍋で温め、それに薄い珈琲。
このおどろおどろしい呑み物もいまでは全員が等しく呑まねばならぬのだ。
紅茶、さらにはホットチョコレートなどはもはや掌の届かぬ夢の代物と化している。
それがゆえに白き巨狼の機嫌の悪いことといったらもう・・・。神の力をもってしてもホットチョコレートの泉を涌かせること叶わぬのだ。もっとも、かようなくだらぬことを狼神であろうが黄龍であろうがするわけもなかろうが・・・。おそらくは・・・。
だれかがなにかの話を披露する、という新しき遊びができた。
最近、亜米利加の民で英語を常用語としているスタンリー、フランク、そしてスー族のワパシャとイスカが日の本の言葉を覚えはじめた。使いたがりききたがる。さすがにこれだけ共にいれば、日の本の人間が英語の上達が早かったのと同じでかれらの上達振りもなかなかのものだ。
その新しき遊びは英語禁止ですべて日の本の言葉で行われた。ただし、日の本の人間はなるべく簡単で愉しい話をゆっくり、明瞭に語るという暗黙の了解が成り立った。こうして全員で食事をするときあるいは休憩するとき、土方に指名された者が語り部となって座を笑わせたり和ませたりしたのであった。
そしてこの夜指名されたのは、一行のうちの唯一の女性の信江だった。
「まずは皆様、わたしが今宵お話しすることは個人的攻撃でも誹謗中傷でもけっしてございませぬ。ここにいらっしゃるほとんどの方は、きっとお知りになりたいと切望されている重要なことでございます」
信江の切り口上だ。俄然、漢たちは興奮した。正確には一人を除いた漢たちは興味と期待のこもった口笛と歓声を上げた。
「おいおいおい、まてまて信江っ」
その除外人が立ち上がって話を中断した。すると周囲に座している者たちが飛び掛って無理矢理その除外人を座らせる。
「弱点にまつわる話でございます」信江はしれっとつづけた。
「待てと申しておろう?それが個人攻撃と申すのだ。誹謗中傷でもある」
またしても立ち上がり制止する除外人。
「多数決だ。亜米利加はなにかを決めるのに決を採るらしい。日の本もいまではそうしているだろうがな」
「そういえば蝦夷のときもそうでした」土方の言を肯定支持するのは島田だ。
「ああ、箱舘政府の役職を決めるのに入れ札をおこなった。それでおれは陸軍奉行並になったわけだ」
「榎本さんや大鳥さんのほうがやさしそうないい漢にみえたんでしょうね、副長?」「うるせぇ、総司。まっ、否定はせんがな。もっとも、陸軍奉行並はおれにとってはちょうどいい役回りだった。気に入ってたよ、わりとな」何事にあっても長より副を好む土方らしい。
「そのお陰で下のわれわれは混乱だ。海は得意でも陸には弱いあるいは、軍略戦術に明るくない総裁や奉行をいただいたわけだから」
伊庭は辛辣だ。だが、それも否定できないだろう。
「すまぬ信江、話がそれてしまった。兎に角、決を採る。いいですね、義兄上?」
問われた義兄上は唸った。採る前から結果はわかっている。
「では、信江の話をききたい者は掌を上げて」即座に計二十本の大小の掌と肉球が上げられた。
「なにいっ!」さしもの義兄上も獣の脚が上がったのには驚いたらしい。
『ふんっ!わたしにも権利があるはずだぞ、子猫ちゃん?』
白き巨狼の思念だ。ホットチョコレートの恨みとばかりに厳蕃は最近とみにいわれのない八つ当たりを受けている。
「はい決まり。では信江、つづけてくれ」
「喜んで。では、お話致します。これはさる流派の元当主でありさる大名の剣術指南役でございました剣豪の弱点にまつわるお話です」
またしても口笛と歓声が起こった。
一人その元当主であり元剣術指南役だけは苦りきった表情で力なくその場に座り込んだのだった。