回転草と剣士
旅ははじまった。信江と幼子、そして白き狼は馬車に乗り、残りの漢たちはそれぞれの騎馬に揺られ、果てしなくつづきそうな亜米利加の大地を進んでいた。
最初のうちこそ按上で談笑したり冗談をいいあっていた漢たちも二日三日と経つと飽きてきたことに加え尻が痛くなってきたのだろう。荷馬車の信江や幼子とかわってもらったり、自身の両の脚で歩いたり走ったりして平和で単調な旅をどうにか紛らわせようとしていた。
すこし先を進んでいた若い方の「三馬鹿」が騎馬を止めて残りが追いつくのを待っていた。
この日は朝から風が強かった。陽は頭上高く昇っているものの、視界にかろうじて認められる空の彼方に雲がみえる。
なにもない土の大地を回転草がころころ転がってゆく。
この回転草は日の本の漢たちを異常に興奮させた。故国でみたことがなかったからだ。
「ころころ転がってる」「いったいどういう仕掛けだ?」「面白い」
それぞれ似たり寄ったりの表現で回転草を評する異国人たちをみ、亜米利加の四人は面白がった。
それもいまでは見慣れてしまっている。
「あのときにはききにくかったのですが、師匠と厳周もあいつと同じように先人たちと対決したんですよね?」
回転草をみ送ってから唐突にそう尋ねたのは市村だ。強さへのこだわりはあいかわらずである。だが、このときは全員が注目した。なんでもいい、気を紛らわせる話題が必要なのだ。
「坊がいってたろ、鉄?「すごかった」と・・・。んっ?」
市村を嗜めつつ斎藤は愛馬剣の按上で小首を傾げた。斎藤の愛馬は剣というだけあって馬たちのなかで一番馬体が鋭角的ですらっとしている黒馬だ。
そういえば幼子は柳生親子の手練については褒め称えていたが相手に関してはほとんどなにもいわなかった。最初からこちらは古豪相手だと思い込んでいた。そうだ、古豪相手といったのは幼子ではなくしんぱっつぁんだったような気がする。
実際、あいつの相手は柳生の大剣豪や宮本武蔵などであったし、現在の柳生親子も大剣豪というに相応しい力量がある。その二人をああも痛めつけられる剣士は現在はいないだろうし歴史上でもそういるわけではない。
だとしたらいったいだれが・・・?
「気になるか、一?」
よんだのだろう、いつの間にか隣を金峰が歩んでいた。無論、その按上には尊敬する師匠がいる。そして、その向こうには大雪が。按上で厳周が父親越しに斎藤をみていた。
「斎藤だけじゃないですよ、師匠?古豪相手じゃなかったらいったい何者が師匠や厳周を?」
「新八兄のいうとおり、いったいだれが師匠と厳周兄をあんなにずたぼろにできるっていうんです?」
「鉄っ!」ずたぼろになるくだりで斎藤が驚いて叱った。
「すみません・・・」市村は頭部を掌で摩りながら素直に詫びた。
「いいのよ、鉄。事実なんですから。ねぇ、兄上?しかもたった一人の剣士にやられたなんて柳生厳蕃もたいしたことありませぬわね」
吾妻の按上から信江が言の葉の手裏剣を投げつけてきた。吾妻は相馬の牝馬で赤栗毛で愛らしい表情をしている。いまは信江と交替して相馬が荷馬車を御していた。
「ええっ!」
いまや全員が騎馬を寄せ合って進めていた。
「隠すつもりはなかった。が、あのときには恥ずかしながらいう気にもなれなんだ。信江のいうとおりだ。わたしも息子もたった一人の剣士に敵わなかったのだ・・・」
「あれほど痛めつけられたのは、いえ、肉体的なことより精神的なことのほうが大きかったですが、兎に角、ぼろぼろ以上でした。それが正直なところです」
父親についで息子も気恥ずかしそうに告白すると全員が黙ってしまった。
あの夜のぼろぼろの二人はまだ記憶に新しい。
『試練を与えし者は生者ではない。「柳生の大太刀」はどうやら神懸かり的な力を秘めているようだ』
馭者台でお座りしている白き狼の思念だ。
なにゆえ狼が荷馬車に?という人間のもう何十度目かの疑問は兎も角として、その思念で全員が同時にはっとした。
「まさか、まさか・・・」
富士の鞍上の土方の呟きは、強風よりも強く全員の体躯を打ったのだった。