「ボスのなかのボス」の日本刀(カタナ)
土方をはじめとした漢たちはおろおろするだけでどうしていいのかわからなかった。切った張ったの世界で生きている漢たちだ、もともとから子どもの扱いがうまいわけではない。それどころか一部の育児経験者を除いて接することもほとんどない。それをいうなら経験者であっても永倉や原田のように赤子のときに生き別れていたり、土方や厳蕃のように普通でなかったり特殊な環境下であったりする。
普通の子の扱いができるわけもない。
ヴィト少年は泣きじゃくっていた。いつかはくる別れについて、かれ自身理解していたし覚悟もしていた。自分ではずいぶんと成長し強くなったと思っていた。だからそのときがきたら笑って、とまではいかずとも涙はみせないでおこうと心に誓っていたのだ。
でもできなかった。
集まった人々が三々五々それぞれの家へと帰宅していった。
祖父は気を利かせて馬車で待ってくれている。
泣きじゃくる少年を、日の本の漢たちはおろおろしてただ黙ってみ護っていた。漢は泣くものではない、とはけっして叱らない。原田や島田も泣いているしその他にも涙ぐんでいる者もいる。若い方の「三馬鹿」も涙を流さぬよう必死にこらえている。そして幼子もまた少年と抱き合いながらぐずっていた。
『ヴィト、出会えて真によかった。おれたち全員心からそう思っている。きみは今年、伊太利亜へゆくのだろう?おれは不器用だから心にもないことや期待させるようなことはいえないが、亜米利加でやるべきことを終えた後、つぎは欧州を巡りたいと思っている。約束はできないが、そうなれば伊太利亜にも寄れるかもしれない』
『ほんと、トシ』グシグシと涙と鼻水を啜り上げながら、少年は「鬼の副長」の困り顔をみ上げた。
どうなるかわからない。この後のことはなにもかもが不確定なのだから。だが、万が一にも生き残れれば、そのときには欧州へと渡りたい。というよりかはこの国から逃れる為にそうせざるを得なくなるだろう。無論、そんな事情をこの少年に知らせる必要はない。
土方は解放された畜舎の扉の外をみた。ささやかな外灯のなか馬車の近くでスタンリーとフランク、そしてスー族の二人もまたドン・サンティスの手下たちと別れを惜しんでいるのがみえる。
伊太利亜人たちは、最初こそスー族の戦士たちとうちとけるのに難色を示していた。スー族の戦士たちもまた寄せ付けない雰囲気を醸しだしていたからだ。だが、気がつけば普通に話したり酒を呑んだりするようになっていた。いまも抱擁したり掌や肩を叩きあったりして心から別れを惜しんでいる。
『ヴィト、じつはきみに贈り物があるんだ』
土方の合図で斎藤が携えていた長い包みを手渡した。
その包みは無論、裁縫上手の島田が丹精こめて縫い上げた刀袋である。
『以前、おれの義兄がきみに刀は譲れないといったが、その義兄と甥の厳周、それから斎藤と銀がきみの為に刀を打ってくれた。それに鞘と柄を利三郎が彫ってくれた。この刀包みは魁が縫ってくれた。全員が心を籠めて作業をした』
説明しながら土方はその一振りの日本刀を包みからとりだし少年に手渡した。
『抜いてみて、ヴィト兄』ヴィトに抱きついてぐずっていた幼子がねだった。
いわれるまま少年は土方から日本刀を受け取りゆっくり鞘から抜いた。
『ああ神様・・・』
少年の口から正直な気持ちがこぼれ落ちる。
『秘密の単語入りだ。それについてはいつか再会できたときに伝えよう』
片目を瞑りして告げた厳蕃に、少年は瞳からまた大量に涙を溢れださせながらいった。
「ありがとう・・・。ありがとう・・・」それはしっかりとした日の本のものだった。
『ヴィト、おれたちはきみらが信仰する神とは違う種類の武と軍の神々が身近にいてね、おれたちはその神々をつねに信仰しているんだ』
『信仰?信仰の意味をわかっておるのか?』土方の心中に信仰されているはずの神の苦笑混じりの思念が流れこんできた。とりあえずは白き巨狼のそれを無視し、土方はつづけた。
『ヴィト、この刀にはその神々の力が籠められている。いわゆる神剣だ」
そう、この刀には三神の力が宿っているのだ。
『ヴィト、きみはこれから本国でさまざまな経験をする。そのなかにはしたくないことや苦しいこともたくさんあるだろう。自分自身はもちろんのこと家族や組織、そしてそれ以外の人間の生命や意思をけっして蔑ろにしたり軽んじないでほしい。なにかあったらこの刀をみて思いだしてくれ、きみの小さな親友のこと、おれたちのこと、おれたちと過ごしたひとときのことを。その神剣は必ずやきみを信じる道に導いてくれるだろう』
土方のいうようにことはそう簡単ではない。ヴィト少年の歩む道は、殺戮と悪に染まったそれなのだから。それでもこの少年の前途を、立派な組織の首領になることを祈らずにはいられないのだ。
かれらにはかれらの正義がある。なにが悪でなにが正しいかなどだれにもわからぬ。そのものさし自体存在しないからだ。
『案ずるなわが主よ、あの坊主は大物になる。すくなくとも生きて大人になり、その世界で名をあげるだろう』
馬車をみ送りながらの白き巨狼の思念が予言でなかったことは、ずっと後になってわかることだ。
ヴィト・カッショ・フェッロ、シチリアで最初に「ボスのなかのボス」と呼ばれた伝説のマフィアのボス。シチリア島の人々の誇りであった。
1943年に収監先のプローチダ刑務所で心臓麻痺で死ぬまで、ヴィトは少年時代に出会った漢たちとその絆、そして授けられた一振りの日本刀のことをけっして忘れなかったに違いない。




