葛藤
「今宵、あの虐めっ子の親のところに談判にゆく。ドン・サンティスに筋を通した上でな。おまえが蒔いた種だ、自身で刈り取れ」
土方は腕組みした姿勢のままぽつんと立って項垂れている息子にいった。その声音は冷ややかで、周囲の大人たちはぞっとした。怒りのほどが感じられた。
「わかってるな、勇景?鉄たちは冷静に対処した。部外者がしゃしゃりでたところで根本的な解決にはなりやしねぇ。虐める側を根こそぎ斬り殺さねぇかぎりはな。あるいはいじめられる側が悲嘆して逃げ去るか、だ。ヴィトの友達を助ける義理はおれたちにはねぇ。かりにあったとしても普通の方法でせねばならぬ。姑息な方法ではなく、な。勇景、仲間を含めた他者を操るな、試すな。おまえはまだ餓鬼だ。年長者の指示がない限り勝手な振る舞いはするな。おまえの軽挙で鉄ら三人が虐めっ子どもを殺したかもしれぬのだぞ。人間はときとして予想外の行為に走ることがある。それを止めることができぬのも人間だ。それと、おまえはなんだ?おまえは兎狩りの前におれにいったな?「父上と母上に頂いた体躯です」と。その言の葉を忘れたか?鍛錬で怪我をするのとわざと殴らせるのでは意味がまったく異なる。二度とするな。それから、母上には自身の口で報告しろ。なにゆえ指の骨と歯を折ったか・・・。いいなっ!」
土方はいっきにまくしたてた。思いつくかぎりの言の葉を口唇からでてゆくに任せた。足許で消えてしまいそうなほど小さいわが子を抱きしめてやりたかった。
心を鬼にする、ということがこれほど辛いものだとは・・・。京で兄貴分の山南敬介に切腹を告げたときにも辛かった。それ以外の隊士への切腹や、あらゆる表裏においての殺しの指示も。
他者の生殺与奪の権をあの時分は踏みにじりまくっていた。そういえば、自身その決断に対する精神的負担をいかにして軽くしていたのか・・・。酒で紛らわせることもなく、好きなことに没頭するわけでもなく、ましてや破壊行為や自傷行為などもなく・・・。
「申し訳ありませぬ・・・。父上、二度と致しませぬ。お許しください・・・」
わが子はかろうじてきこえる程度の声音で俯いたまま謝罪していた。抱き締めてやりたい衝動を土方はかろうじて耐えた。
「おれより母上に詫びろ。それがおまえに対する罰だ。丞、頼む」
土方は山崎に応急手当を頼むと、後ろ髪を惹かれる想いでわが子に背を向けた。向こうで鬼ごっこをしている子どもらのほうへと歩きはじめる。
あとは山崎、島田、伊庭の三人が補ってしてくれるだろう。
父親とは真に難しい・・・。土方はつくづく実感した。
「さきにおれからもお小言だ、坊。父親に心配かけるな。無論、母や伯父や従兄、おれたち仲間にもだ。おまえは一人で生きているわけじゃない。おまえがくしゃみ一つしただけでおれたちは案じてしまう。それを忘れないでくれ、いいな?」
伊庭が俯いたままの幼子の前に両膝を折ってそう嗜めた。幼子は小さな相貌をあげることなく一つ頷いた。
「ならばいい。では、おまえの父がいましたがっていることをわたしが代わりにしよう」
「おい、待て待て八郎。それはなにもおまえでなくわたしでもいいわけだろう?」
「ああ、ここにも代わりはいるぞ」
伊庭の意図をよんだ山崎と島田が即座に反応した。
「はぁ?丞兄は医者の役割を仰せつかってますし、魁兄さんにいたっては坊の体躯が潰れてしまう。ゆえにここはこのわたしが・・・」
伊庭はいうなり幼子をぎゅっと抱き締めた。「わたしにも約束しろ、坊。自身の体躯をむやみに傷つけるな」小さな耳朶に囁いた。幼子はやはり無言で頷き了承の意を示した。
「さあ、どいたどいた。指と口を診るんだから」
山崎は肩からかけた鞄のなかを探りながら伊庭を追い払った。
山崎は肩掛け鞄を愛用している。そこには監察方としての仕事道具、鉛筆や筆記帳や、医者としての仕事道具、包帯や薬などがぎっしり詰め込まれている。
「はーい!ではおれはこの子の父親のほうのお守りをしましょうかね」
幼子の頭を義手で撫でると、伊庭はさっさと土方を追いかけていった。
「うーむ、すっかり新撰組の平隊士だな、あれは」
つぎは島田が幼子の頭を撫でながら呟くと、「違いない」と山崎が笑いながら応じた。
持参していた水筒の水でうがいさせ、折れた指には添え木を当て、山崎は手際よく応急処置を施したのだった。