大道芸(パフォーマンス)
この日、ヴィト少年のところに遊びに行く若い方の「三馬鹿」と土方の息子に同道したのは土方、山崎と島田それに伊庭とである。
土方は例の使節団とのやり取りの労を取ってくれたドン・サンティスに礼を述べるのと伊庭の通院に付き合う為、山崎と島田は情報収集を兼ねてもいた。
スー族を訪れる前にできるだけ政府や軍の彼らに対する情報を収集しておこうというわけだ。
大人たちはそれぞれの用事に散っていった。
そして子どもら、という表現はいつも若い方の「三馬鹿」を怒らせるのだが、幼子も含めた四人は、お目当てのヴィト少年が学校にいっているということをきき、街の探検がてら学校にいってみることにした。
「学校?寺子屋みたいなものだね、きっと?」
三人は並んで歩いていた。ここはまだ舗装されていない土道だ。左右には果物屋やパン屋が並んでいる。パン屋の煙突から煙がでていて焼き立てのパンの香ばしい匂いが三人の鼻梁をくすぐった。
「ぐー」と腹の虫が同時に鳴った。
「お腹の虫が「腹減った」って呟いてる!」幼子が市村の肩の上で叫んだ。
なにゆえ肩車をしてもらっているかといえば、幼子によくある「歩き疲れた」だの「抱っこして」だのの所為ではない。市村の鍛錬の為だ。そして幼子は十貫(約37、5KG)の鉄の塊を懐に入れていた。それをいうなら田村と玉置も同様のものを二個ずつ懐に忍ばせている。
いつでもどこでも鍛錬に余念のない子どもらだ。
「わかってるよ、坊。食べ盛りなんだ」田村が市村の肩上の幼子をみ上げていった。
「やっぱ米の飯のほうが腹持ちはいいんだろうね?」玉置は立ち止まり、顎に指を当てて考え込んでいる。「そういうのがないものねだりってんだ、良三。仕方ねぇだろ、ここには米がないんだから・・・」
「パンでももっと喰えればなー!!」市村の言にかぶせてそう高らかにいったのは肩上の幼子だ。
三人の子どもらの相貌がいっせいに赤くなった。幼子は小さな兄貴分たちの心中をよんで代弁したのだ。
「そうだよね。パンを食べてる異国人のほうが日の本の人間よりはるかに体格がいいよ。だから米のほうが栄養があるってわけでもないんだ。食べてる量ってことだよね、きっと?」
理論派の玉置の推測だ。
「それも仕方ねぇだろ?おれたちは異国人みたいにでぶになれねぇ。修行中なんだ、我慢しなきゃ」
「てっちゃん、そうだけど腹が減っては戦ができないっていうじゃないか。実際、いつも昼前と夕刻には腹が減って力がでないし、飯のことばかり考えて鍛錬に集中できないんだ」
田村もまた歩を止め恥ずかしそうに告白した。それは市村にも玉置にも当てはまることだった。
三人はパン屋に注目した。
「あいつは喰っちゃいなかった。すくなくとも魁兄さんの「悪魔の心臓」以外でなにか喰ってるのをみたことがなかった」市村が憮然とした表情で呟いた。それは島田の得意料理の「島田汁粉」の二つ名だ。
「でも、あいつはその所為で小さかった。他の十歳の子どもよりよほど小さかった」
田村の反論の後、三人は押し黙った。
あいつが自身につねに課していた食と感情の制限がその心身をあらゆる意味で蝕んだ。小さかったのは遺伝やら仮死状態による成長の停止だけではなかったのである。
「その分動けば消費されるよ。師匠と母さんに相談しよう」
そのときまた幼子が叫んだ。三人はてっきりだれかの心中の代弁かと思い、同時にぱっと表情が明るくなった。
「そうだな、そうしよう」同時に叫んでいた。幼子の機転とはこのとき三人は気がつかなかった。
「みてみてっ!」つぎの叫びで三人は仰天した。幼子が市村の肩上で倒立をしている。そしてそのまま掌を市村の頭の上に移した。
「すごいすごい」玉置が掌を叩くと。幼子はつぎはその玉置の肩上に移った。掌の力だけでだ。
「おっ、やるな坊?よしっ、銀っこいっ」市村が日の本式の掌を下に向けておいでおいでをすると、田村は跳躍して市村の肩上にのった。
「よしっ、つぎは良三だ」その指示に玉置は肩上から飛び降りた幼子の組んだ掌を跳躍台にし、田村の肩上に飛び乗った。田村と玉置に鍛錬用の重しにより、一番下の市村にかかる負担はかなり大きい。だが、市村は涼しげな表情だ。
その頃には道ゆく人々が歩を止め、路上で突如はじまった大道芸にみいっていた。店先に人だかりができたのを不審に思ってでてきたパン屋の主人ですらその芸を眺めていた。
「坊っ!こいっ」「はいっ!」幼子は元気よく返事した。その場で二度三度と飛び跳ねて準備すると、背を向けそのまま三度後宙回転し、勢いと掌の力で宙高く舞った。
すとんと着地した先は小さな兄貴分たちの最高峰たる玉置の肩の上だ。そのまま玉置の頭の上に掌をつくとゆっくり倒立した。水平をうまくとりながら片方の掌だけで倒立もしてのけた。
絶対に崩れないという信頼がなければできない業だ。とくに市村への信頼は幼子だけではない、田村と玉置もなければなし得ない。
路上はいまや大勢の見物客で賑わっていた。そして、この子どもらの大道芸はおおいに受けた。見物客たちから拍手と歓声が惜しみなく送られた。
『ささっ、ちょうど昼時でパンも焼きあがったところです。どうぞどうぞ』
抜け目ないのはどこの国の商売人も同じだ。その伊太利亜人パン屋は、見物人たちを店内へとそそくさと導いた。
じつはドン・サンティスの息のかかったパン屋で、主人は子どもらのことを話しにきき知っていたのだ。
『お蔭でいつも以上の儲けだ。さあ、もっていきなさい。これはきみらの働きによる賃金代わりだ。それと、大道芸は抜きにしてもいつでもきなさい。ご馳走するよ』
でっぷり太った気のいいパン屋の主人は、さらに焼いたパンを大きな紙袋に入れて手渡してくれた。伊太利亜語だったが、四人の子どもらはヴィト少年との付き合いで日常会話は不自由しないまでになっている。
躊躇したのは束の間だ。『ありがとう、小父さん』と礼をきちんと述べてから紙袋から可愛らしいロゼッタを取りだして頬張った幼子を皮切りに、ついに我慢できなくて大きいほうの子どもらも『ありがとう』と礼をいってから大きいフォカッチャやチャバッタを取りだしてかぶりついたのだった。
『おやおや、ずいぶん腹を空かせていたんだね』店主は苦笑とともにパンのいっぱい入った紙袋を追加で用意してくれた。
腹のなかにパンをいっぱいに詰め、パン入り紙袋を掌に四人はあらためて学校に向かったのだった。