賭けと曲乗り
動物には人間にはない感覚が備わっている。それは獣に育てられた幼子にも備わっている。なんとニック夫妻がもう間もなく帰国する、といいだしたのだ。それに人間たちは笑って半信半疑の反応であったが獣たちは違った。すなわち、白き巨狼と朱雀、そしてうちに虎を宿す厳蕃である。
『なら、賭けようか?』白き狼の濃く深い闇のごとき双眸、そして厳蕃とその甥の幼子のそれらが同時に一人の漢を映しだした。
原田だ。「永遠の賭博師」たる原田に挑戦的なあるいは挑発的な言をと視線とを叩きつけたのだ。
原田はたじろいだ。三神に挑戦状を叩きつけられた。前回の博打の負けのこともある。だが・・・。
神に勝てるわけねぇ・・・。いや、三神は武や戦の神であって博打の神じゃねぇ。もしかするとってことがあるかも・・・。
原田は気がついていない。三神は武や戦の類、勝負運も含めた神であることを・・・。
「よしっ神様方よ、その勝負受けて立つぜ。なにを賭ける?」
『ふむ、そうだな。われらの負けは槍遣い、おぬしの願いを一つ叶えてやろう。かような機会などそうはないだろうからな』
厳蕃とその甥の眉間に皺が寄った。周囲できいている者たちも同様だ。
「おれが負けたら?おれが神様の願いを叶えればいいわけだな?よし、いいだろう。おれだけでなくほかの二人もつけとくぜ。よし、決まりだ」
「おいおい待てっ左之っ、おれたちは関係ないだろうがっ!」「左之さんっ、ひでぇ」
「おれたち「三馬鹿」は一蓮托生、なっ、そうだろう愛しき者たちよ?」
原田は右の腕で永倉を、左の腕には藤堂を、同時にそれぞれの頸に巻きつけ自身に引き寄せた。
「さすが「三馬鹿」だ。もはや開いた口がふさがらねぇ・・・」
土方の心からの讃辞だ。
実際は白き巨狼対原田の勝負に、二神と「二馬鹿」がとばっちりを喰ったこの勝負、どうなることやら、だ。
「あら、つぎはなんの企みですの?」そこに信江が現れ、漢たちはいっせいにあらぬことを考えだした。
お天道様が西から昇って東に沈むのと同じくらいの不自然さが漂ったことはいうまでもない。
農場とニックの所有する土地の整備が終了し、鍛錬以外でそのほとんどを馬関係で時間を費やしていた。
今後、馬上での戦いが増えるであろうことを想定、否断定してのことだ。
例の使節団への饗応の際に使節団を護衛していた兵士たち。それを手配したのはハミルトン・フィッシュだ。ドン・サンティス経由での言伝では、金次第で口を噤んでいてくれる鼻つまみ兵士たちだ、ということだった。が、実際は違った。たしかに規律の厳しい軍隊という組織においては鼻つまみなのだろう。それと兵士そのもの性質や力は別の話だ。
ライフル銃を撃った兵士たちはもとより、それを統べていた隊長、彼らは根っからの兵隊だった。それは国の為民の為仲間の為に戦う、という意味ではない。破壊と殺戮を欲する意味でだ。
こういう兵もまた死兵と同じく厄介だ。なぜなら、失うものがないからだ。そして、感情の赴くまま殺したり壊したりすることになんら抵抗がないからだ。
こういう兵が多くいるのなら、これから将来、脅威となりえるだろう。同時に、この国の軍の規模や装備もまた脅威だ。
このままゆけばスー族をはじめとしたこの国にもともと棲まう民に加担することとなる。それは遠き異国からやってきてこの地そのものを略奪した民を敵にまわすことになる。
騎兵隊を主力とする軍を相手取るには、こちらも馬上での戦いに精通する必要がある、というわけだ。
騎馬は乗馬するだけではない。最初こそスー族の戦士たちは世話をしてくれていたが、いまは全員がスー族の戦士たちから馬そのものや世話の仕方について学び、それぞれが行っていた。気候もよくなってきていることもあり、なかには馬房で自身の馬と一緒に眠る者さえいた。ひとえに信頼関係を築くためだ。
人間の熱意や想いは、繊細な馬たちは感じることができる。ドン・サンティスから提供された元軍馬はもとより、野生だった馬たちまで人間はその馬心を掴むことが叶った。
厳蕃が気にかけていた野生馬の蹄鉄は、ドン・サンティスが腕のいい蹄鉄師を早々に手配し寄越してくれた。
人馬一体、目指すものは人間も馬も同じである。
「魁先生」と若い方の「三馬鹿」はすっかり馬に夢中だ。一緒に眠ってもいる。馬房の糞を片付け、藁を敷き、馬体の手入れをし、体調管理に飼葉の調整まで微に入り細に渡って面倒をみている。あの頑固馬の伊吹ですらいまでは市村にすっかり懐いていた。
意思疎通もかなりできるようになっている。
曲乗り、これは大道芸での意味にではない。敵の瞳をごまかしたり攻守をする際に活用できる馬術だ。
藤堂の那智、市村の伊吹、田村の石鎚、玉置の妙高、四頭は鞍も馬銜も装着せずに並んでいた。伊吹以外は野生馬だった馬だ。
幼子は那智に飛び乗った。同時に四頭が走りだす。調教用の柵内ではなく、農場の柵の内だ。四頭は馬首を並べ同じ速度で走っている。
なんの指示もないままに、だ。
幼子は那智の馬上で立ち上がった。左側から伊吹、妙高、そして那智、石鎚。妙高が馬体一つ分先行し、その開いた空間に伊吹が寄ってきた。その伊吹の馬上に幼子が身軽に飛び移った。同時に伊吹が速度を上げる。那智と妙高が速度を緩め、石鎚が逆に速度を上げて伊吹の横に並んだ。つぎはその石鎚に飛び移る。そのままの速度で石鎚が走っているすぐ後ろに速度を上げた妙高が追いついてきた。刹那、幼子は背後を振り返ることなく後ろへ飛んだ。宙空高く一回転するとそのまま馬首を超え妙高の背にすとんと飛び降りた。
「あの子は馬の考えていることがわかるし馬たちはあの子の考えていることがわかる。無論、あれは極端な例だ。曲乗りは人馬が一体にならねばなし得ぬ業。そして身軽でもなければならぬ。四人には自身の馬だけでなく他の馬とも連携もしてもらいたい」
厳蕃が説明していると畜舎近くで控えていた厳蕃の愛馬金峰と厳周の大雪、そしてスー族の呪術師イスカの霧島が走ってきた。
厳蕃は走る金峰の馬上に跳躍して飛び乗った。すると三頭は同時に馬体を返して藤堂らのほうへと向かった。四人が「えっ」と思う間もなく三頭は同時に地を蹴り宙を飛んだ。そして四人の頭上を飛び越えた。 飛び越えている間に馬上では厳蕃が金峰から大雪へ、大雪から霧島へ、そしてまた金峰へと乗り移っている。
「あれも極端じゃね?」藤堂も若い方の「三馬鹿」も舌を巻かざるを得ない。
かくして四名は曲乗りの挑戦を開始したのだった。