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詫びと鬼ごっこ

 その朝の朝食はじつに気まずいなかでおこなわれた。

 参加させてもらえなかったこの国の民四名は空気をよんでいらぬことを口唇からださぬまま朝食を終えた。そして食べ終えたと同時に気を利かせて作業と称して食堂をでていったのだった。


「すまなかった」

 食後の珈琲カフェ紅茶ティーをそれぞれがおとなしく啜っていると不意に厳蕃が呟くように謝罪した。

「わたしの昨夜の行動あれは筋書きになかった・・・」

 舞手の一人を演じ、その舞いでうちなるものを呼びだしたおとこは、呟きながら食卓テーブルを囲む仲間たちをみまわし、そのまま窓の外に視線を向けた。

 今朝も快晴だ。太陽が燦々と大地に降り注いでいる。気温は上昇しているだろう。すっかり春だ。とりとめのない考えばかりが脳裏をよぎってゆく。時間ときを稼ぐかのように・・・。

 辰巳はいった。「この舞は神に捧げられる舞」と。そうだ、そのとおりだ。だが違う、この性悪の甥は肝心なことを告げなかった。

「神に捧げ神を呼ぶ」、と。神を、つまり蒼き龍や白き虎を呼ぶだすための封印解除の舞であり儀式・・・。

 舞いながらその恍惚感に身を委ねることへの不安。意識を完全に喰われてしまうのでないかという怖れ。京の宴の際には自身もまたうちにざわめく白き虎をおさえこむのに必死だった。呼応してでようとしていたからだ。だが、でようとするのと呼びだすのとではわけが違う。

 人間ひととしての意識、しかもなけなしの意識それを繋ぎ止るのは、恍惚感の後に絶頂を迎えた依代自身ではない。なぜなら、依代にはそれができるだけ人間ひととというものが残っていないからだ。

 辰巳は土方歳三、そしてわたしは・・・。

 性悪の甥はわたしにすべてを告げず、わたしたち・・・・・を試したのだ。わたし、白き虎、そしてわが息子の厳周を・・・。

 辰巳はあらかじめ厳周にだけは告げていたのだ。厳周の叔父が辰巳に呼びかると同時に厳周みずからの父親を呼び戻すように、と。

 笛の音色がかわった。力強かったものがやさしい音色へと。それは亡き妻のもの、亡き妻がよく奏でていたものとまったく同じ音色であった。

 息子の笛は亡き妻が手ほどきしたのだ。

 性悪の甥めが、どこまで抜け目がないのだ・・・。

 窓の外で数羽の小鳥たちが舞ってやってきた春を満喫しているのをみながら、厳蕃は抜け目のない自らの甥のことを罵った。

 食堂に信江がやってきた。そのタイミング視線をうちへと戻すと、まず息子とそれが合った。父の心中を察している息子は、視線に気遣わしげなものを浮かべた。

「わが息子よ、礼を申す。おまえがいなければわたしは・・・」それだけいった。口唇からださずにだ。厳周にはそれで充分伝わっただろう。父に褒められた子のどこか誇らしげなそれでいて照れくさそうな表情ものがほんのわずかの間浮かび、消えた。


「兄上、昨夜の暴走について皆さんに謝罪されましたか?」それぞれ空いたカップに紅茶ティーを注ぎながら信江はしずかに尋ねた。

「軽挙がみなさんの生命いのちを脅かしたのですよ。実際、護衛の兵隊さんから撃たれたそうではないですか?」ちょうど信江は息子の席へとさしかかった。

「母上っ!」いたたまれなくなった子は、母親にとりあえず抱きついてみた。おずおずと、ではあるが。「この子が、いいえ蒼き龍が手を貸してくれていなかったらいったいどうなっていたかしら?」抱きついてきたわが子の頭をポットを持たぬほうの掌で撫でつつ辛辣な言を兄に放る。そして、わが子を撫でる掌には異常に力がこもっていた。(もっと自然になさい)掌から感じられるその意思に子は恐れおののき「母上っ、蒼き龍はわたしをたくさん助けてくれました」と擁護フォローしつつ椅子上から母親に抱きつき直した。

義兄上あにうえ・・・」いたたまれないのは厳蕃の横に座すその義弟も同じだ。

「いや、いいのだ。妹のいうことは事実だ。すまなかった」指が四本しかない掌を上げて義弟を制すると、もう一度謝罪した。つぎは窓の外をみるようなことはせずにしっかりと全員をみまわした。ほとんどの者が卓上に視線を落としている。

「これはうちなるものや護り神もりびととしての役目などまったく関係ない。わたしは・・・」厳蕃は両肘を卓上につくと指で目頭を揉んだ。

「そうだな・・・。わたしがあの子と過ごしたのはほんのわずかだ。その時間ときはここにいる者のなかで一番すくない。わたしは刃を通してでしかあの子を知らぬ。試合での刃、そしてあの子の持ち物や接したことのある刃・・・」厳蕃は嘆息した。めずらしいことながら、なにをどう説明していいのか、あるいは自身なにをいいたいのかがわからない。だが、ここにいるのはもはや家族のようなもの、口唇からでるに任せてもいいのではないか?その思いつきに従うことにした。

「いや、辰巳が尾張を訪れた際に一夜だけだがわたしたちの館に泊まってもらったな。わたしの両親、つまりあの子の祖父母に請われただ一夜のみ。そのとき、話の成りゆきであの子が普通のわらべがするような遊びを一つも知らぬと申したので、それではと鬼ごっこをしたのだ」

 辰巳は任務で武家や公家の子弟の影武者を務めたりそういう屋敷で働くことがあったので上流社会での遊び、蹴鞠や歌俳句など、そういう遊びには長けていたが市井の子らの遊びには触れることすらなかった。「ええ、あれは愉しゅうございました。わたしもあの子にぷりぷりしながらも屋敷のなかを走り回りました」信江が夫の隣、自身の席へと座しながらいった。やさしい笑顔が浮かんでいる。いまや全員が昔語りを視線を上げてきき入っていた。

「それには病に臥せっていた父も参加した。いまでもはっきりと覚えている。うれしそうに、まるでわらべのようにはしゃいでいた。わたしも信江も幼少から遊びといえば剣術だったから、知らぬわけではないが鬼ごっこなどそうたいしてしたわけではない。ましてや父に遊んでもらったことなど記憶にないほどだ」

 厳蕃が言の葉をきると、卓の下で白き巨狼が自身専用のカップに鼻面を突っ込みホットチョコレートを舐めるぴちゃぴちゃという音がきこえてきた。そして、卓の上からは涙と鼻とを啜る音が・・・。すでに原田と島田が泣いていた。

 死んだ娘の忘れ形見と過ごすたった一夜。祖父はたいそううれしかったに違いない。はじめて会う孫とすこしでも長く過ごせるのなら病をおすだろう、否、自身に暗示をかけてまで接しただろう。

「まず、あの子には天井裏や床下に潜り込まぬよう諌めるところからはじめねばならなかった。わたしが鬼役で」鬼というキー・ワードにぴくりと反応したのは無論沖田だ。「わたしから逃げよ、と申した刹那、あの子はなんと天井に飛び上がってしまったのだ」つぎは笑声が起こった。若い方のヤング「三馬鹿」だ。くすくすと笑っている。彼らだけでなく全員が、原田や島田も泣きながら笑った。

 だれもが容易に想像できた。あいつらしい、と思った。

「普通のわらべは天井裏に逃げ隠れしたりせぬ。無論、床下にもだ、と叱ると心底驚いていた。そして、それをみてわたしはつくづく思った。この子とは生きる世界そのものが違う、みききするもの、接し感じるものそれらすべてがまったく異なるのだと。剣術だけではなく、この子とはそれも含めたすべてにおいて高く分厚い壁に隔てられたあちら側とこちら側にいるのだな、と」厳蕃は椅子にちょこんと座している甥をみた。無邪気な笑みはあきらかに演じているもの。その双眸に湛えられた光は複雑だった。

「当主と指南役の座をわたしや信江にとっては叔父にあたる自身の弟に譲った父の住まいはさして大きくなかった。その屋敷中をわたしたち四人は走り回った。叫び声や笑い声、怒鳴り声はさぞ凄かっただろう。おそらく、生涯に渡ってあれだけ騒がしかったのはあの一夜のみだったに違いない。その後、わらべといえばは厳周が過ごしたくらいだ。厳周もまたわたしたちと同じように遊びよりも剣術に打ち込んでいたのでな。それはともかく、わたしたちは障子を破いたり壁に穴を開けたり、それはもう大変な騒ぎで家中を走り回ったものだ」「翌日、あの子が去ってからわたしたち兄妹ですべて片付けるのが大変でした」信江が苦笑交じりでいうと、その夫も含めた全員から同情のうなり声が発せられた。

「「いい加減になさいっ!なにごとですっ!そこに並んで座りなさいっ」鬼ごっこは母の怒声で終わった。母はわたしたちが充分愉しむ間は我慢してくれていたのだ。そして、わたしたちは庭に面した廊下に並んで正座させられお小言を頂いた。たっぷり四半時もだ。無論父も一緒に。父もしゅんとしていたが、あの子もおっかなびっくりしていた。叱られるということもはじめてだったのだろう」

 ふふっと短く笑ってから厳蕃は言を継いだ。

「わたしは・・・。うまく申せぬがここにいる全員に嫉妬しているのだろうな。あの子のことをなにも知らぬまま自身の記憶と情報だけのあの子をどうすることもできぬまま亡くしてしまった。本来なら救えたはずの生命いのちだ。部外者だったわたしのほうが救う手立てはあったはずなのだ。だが、できなかった。それがあの子の意志だから、だ。それをいい訳にわたしはなにもしなかった。昨夜のはなんだったのだろうな?軽挙、暴挙なのはわかってはいるが、なにゆえかはよくわからぬ。みなを危険に晒したことは確かだ。時間ときをかけた所為で護衛兵にちょっかいをださせる羽目に陥ってしまった」

 また甥と視線があった。意識の最下層で「叔父上、ありがとう」と死んだほうの甥がいった。それが死んだ方の甥の正直な気持ちなのだろう。

義兄上あにうえ、それは違います。驚きはしましたがおれたちの想いも同じだった。あれがなければおれたちの想いは不完全燃焼のまま終わったことでしょう。そして、あいつを感じることができた。息子の演技・・は完璧だった。連中はすっかり騙されていました。これからはあいつとおれたちの影に脅え、一生を過ごすことになるはずです」

「そうだな、今回の立役者はなんたってこの小さな英雄ヒーローだ」土方につづき永倉が分厚い掌で土方の息子を指し示しながら断言した。全員が無言で頷く。

 柳生の一族それは幼子も含めて、にはわかっていた。土方も永倉も言葉とは裏腹にわだかまりがある。だが、ここは言葉通りに受けとめておかねばならぬ。

「そう申してくれるとわたしも救われる。兎に角、謝罪だけはしておかねばと昨夜は眠れなんだ」

 数名が笑った。大なり小なりほとんどの者があらゆる意味で胸に一物あるのが感じられる。それは、岩倉の件についてではない。それはそれぞれに昇華できた。そうではなく、幼子否、彼らの死んだ坊についてだ。


「わたしからもお詫び申し上げます。今後、このようなことがないようにわたしからもしかと申しておきますので、皆さんどうか兄をみ捨てないでやってください」

 信江の言に全員が笑った。その兄も頭を掻きながら苦笑していた。

 そして全員の心中にもやもやを植えつけた幼子もまた、きゃっきゃっと笑う振りをしてやり過ごした。

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