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小さな恋と小さな謀(はかりごと)

 田村と玉置もまったく関心がなかったわけではない。そこはお年頃の男児おのこ野郎おとこどものなかに女子おなごがいれば興味をもち惹かれるのも無理はないだろう。

 が、玉置は労咳が悪化して入院し、田村は春日左衛門かすがざえもんとの養子縁組のことや伊庭など他の隊の仕官の小姓としていったりきたりをしていた為、優先順位が低かったのだ。

 市村は抜け目がなかった。あの手この手を使って気を惹こうとした。夏もまんざらではなかったのか、袖にされることもなく、さりとて進展があるわけでもなく、二人の関係はそのまま順調に、それは市村が勝手に思っていただけなのだが、それが出現するまで何事もなくただ存在していた。

 

 宮古湾の海戦から戻ってきた土方は、なんと昔の小姓を伴っていた。

「あいつは甲鉄に乗り込んでいて利三郎兄たちを助けだした。そのときに負傷・・したらしく、おれがあいつに声をかけたら具合があまりよくなさそうだった」

 甲鉄の艦上で野村たちをかばって被弾した坊は控えめにいっても負傷などという傷ではなかった。片方の肺をごっそり失ったほどの傷は、普通の人間ひとなら死を免れないほどのものだ。

 坊はそれをうちなるものの力と自身の気力でもち堪えたのだ。

 士気に関わるからと、真実を知っていたのは土方や相馬、島田とごく少数だった。


「夏が副長の武勇譚をききたがるんでおれはいつもそれをきかせてました。そのなかにあいつの話もあったんで、夏はあいつに会いたがった。忙しい副長に会わせることは難しいけどあいつならというわけで、おれはあいつを捉まえて夏を紹介したんです」

 原田と斎藤がさりげなく島田と相馬をみた。蝦夷組が目顔で応じる。

 あいつと会ったことですべてが終わる。心中をよむことができる上に間者密偵の玄人プロなのだ。衝動的ともいえる素人が手に負える相手では絶対にない。

「紹介すると、あいつは夏に向かっていったんです。「お姉さん、きれいですね」って。夏はうれしそうに笑ってました。驚きましたよ、あいつでもあんなこというんだなって」

(いや違うぞ、鉄)大人たちは心中でいっせいに突っ込んだ。

 わらべが年長の可愛い女子おなごに対するお世辞や讃辞などではない。たったその一言であいつは相手の心中、技量を同時に推し量り、市村の気持ちを理解し、いかように対処するかまでを考えたのだ。

 戦とは直接関係のない、ささやかな復讐劇と恋物語の板挟みにあい、あいつも気の毒だな、と原田も斎藤も思った。そして、ただ単純に主に仇なす敵として排除するのでなく、市村の気持ちも傷つけぬよういい方向へと導く策をたてたのだろうな、とも思った。

 あいつはそういうやつなのだ。

「あいつは夏に対して関心がなさそうにしていました。ま、あいつくらいのわらべだったら母ちゃんのおっぱいのほうが恋しいんでしょうね」

 その市村の感じたことに大人たちははっとした。

「かあちゃんのおっぱい」・・・。あいつはそれどころかかあちゃんじたいの存在意義を知らずにいた。

 一瞬流れた微妙な空気の流れにさしもの市村も気がついたらしい。京の疋田道場で土方らとともにあいつにまつわる秘密・・をきいた。市村もそれを思いだしたのだ。

「それはないとしても、兎に角、その後あいつからはなにもいってこなかった。夏は会いたがったが、あいつは物見やら密偵やらで飛び回ってました。おれでさえもあいつに会うことはなかった。戦もかなり激しくなり、良三や利三郎兄につづいて銀と八郎兄もアイヌの村にいってしまい、おれは夏と会えることもすくなくなりました。そんなとき、榎本総裁が酒宴を開いてくれました。全将兵や関係者を労うためです。その途中、おれはいまだったらと思って夏に会いにいってみたんです」

 原田も斎藤も筋書きは薄々わかっていた。戦で気持ちが荒み、しかも戦況が不利とあるなか無礼講の夜に女子おなごがうろうろしていたらどうなるか。

 市村は自身の拳を地に打ちつけた。それを地から上げると、拳が砂利によって傷つき皮膚が裂けていた。両脇の田村と玉置が驚いてみている。

「鉄、落ち着け。おれが話す」

 相馬が立ち上がり、市村に近寄ると膝を折ってからその両肩に掌を置いて提案した。

 市村はめずらしく了承した。それほど怒り心頭しているのだ。


 数名の兵卒がまだ厨房に残っていた夏を襲った。おそらく夏は市村が訪れるだろうと思ってそこで待っていたのだろう。

 そこにやってきたのが市村だ。その現場に直面し、激昂した市村はすぐさま抜刀した。相手も市村一人ならどうとでもなると思ったのかいっせいに抜いた。

 そこにいつの間にか現れたのがいわずとしれた坊だ。坊は厨房のなかに悠然と入ると、洋装を無茶苦茶に斬り裂かれ、自身の両の掌で胸元を隠し、厨房の片隅で震えている夏に近寄った。小さいが分厚い掌を伸ばすと夏の頬を撫で、それから夏の頭部を小さな胸に掻き抱いた。

 厨房に灯火は灯っておらず、硝子窓から射し込む月の光だけだ。

「夏殿、すべてはわたしの所為です。申し訳ありませぬ」それから身を離すと自身の軍服の上着を夏の両肩にかけてやった。

 そのとき夏は年少のわらべのシャツの腹部辺りが赤く染まっていることに気がついただろうか?

 坊は夏にくるりと背を向けると兇漢と化した兵卒たちに大音声でいった。

「両者とも刃を納めていただきたい。われらは味方同士。陣中での私闘は士気に関わります。市村さん、あなたもです」

「なんだと坊っ、こんなやつらを許すってのか?」

「そんなことは申しておりませぬ。然るべき処罰は下されます」

餓鬼がきどもっ!」兵卒の一人が叫ぶと違う兵卒がそれを止めた。「待てっ、こいつらは、いや、こっちは・・・」止めた兵卒は月明かりに浮かぶわらべを、厳密にいうとその異相を知っていた。

 箱館政府の最高責任者、否、そんなことはどうでもいい。

 敵には畏怖の対象として、味方には畏敬としてともに讃えられ崇められている「軍神」である。

「陸軍奉行並、いかがされますか?」

 厨房にさらに人影が増えた。土方と新撰組の隊士たちだ。

 すでに「軍神」は厨房の床に片膝ついて神妙に控えている。

 土方は無言で厨房のうちを見回した。市村は自身の得物を脇にだらりと下げて土方をみつめた。兵卒たちも同様にみているが、市村と違って全員が震えている。

 土方、「軍神」、新撰組、いくつもの要素が兵卒たちを地獄に叩き落したも同然なのだ。

「好きなようにしろ、坊。おまえのほうが軍の規律や賞罰、それに類する諸々のことに詳しいからな」

 口唇の外にだしてはそう命じるとともに心中でも命じた。

(それぞれの気持ちにたいしてもな)それは命じるまでもないだろうが。  

「承知」了承とそれは同時だった。

 兵卒全員が自身の得物を取り落とししゃがんで呻いていた。

「利き腕の腱を斬りました。今後、刀を握ったり悪さはできないでしょう。運がよく、それぞれ努力しだいでは内職くらいの簡単な仕事はできるようになるかもしれませぬが。これまでの働き分の給金はお支払いします。すぐにここからでていってください。そして、幼い女子おなごを犯そうとしたことを恥じてください。女子おなごの存在はわれらおとこが陵辱する為にあらず、われらおとこを生み育くものなり。われらおとこはそれを護る為にある。それを忘れないで頂きたい。さあ、寛大な陸軍奉行並の気がかわらぬうちにおゆきなさい」

 自身の得物を拾い上げるのももどかしく、兵卒たちは給金をもらうどころか直ちに逃げ去ったのだった。


「あいつの対処がどう、っていうつもりはないんです。あのときの状況、夏の気持ちにそってくれた一番いい方法だったんでしょう。だけど、おれとしてはこの掌で斬りたかった。夏を陵辱した馬鹿どもを殺したいと思ったんです。これはおかしいですか?」

「いいや鉄、おまえはまともだよ。おれたちだって同じことを思うさ。それに勘違いするなよ、鉄?あいつは好いてない女子おなごだから斬らなかった、ってわけじゃない。あいつは残酷にもなれる。主の為、仲間の為、そして相手に非があるのなら、あいつは連中のあそこを斬り落とし、嘲笑ってから止めをさしただろう。もしくはおまえが連中を斬殺する手助けをしてくれただろう。だが、それはできない。この意味わかるよな、いまのおまえなら?」

 原田の言にちいさく頷く市村。そう、頭ではわかってはいる。が、感情はそうはゆかない。

 市村自身、そしてこの場にいる全員がわかっているのだ。


「結局、そのすぐ後におれは副長に無理矢理戦線を離脱させられました。夏とは五稜郭あそこを去るすぐ前にさよならをいっただけでした。ろくに話す間もなかったんです。夏のことはあいつに頼んだのですが」

「あぁそれは大丈夫、うまくやってくれた。きっといまでも元気に暮らしているはずだ。鉄、初恋ってのはなかなか成就せんのが世の常だ。そのかわりいつまででもここに残ってる」

 相馬は自身の胸元を叩いた。

「それを大切にすることだ」

 市村は目尻に溜まった涙をさりげなく拭うと元気よく立ち上がった。否、その振りをして立ち上がった。

「もう寝ます」

 唐突に宣言すると畜舎をでていった。

「おれたちもいきます。大丈夫です、一緒にいます」

 同じ「三馬鹿」の田村と玉置は市村を追いかけていったのだった。

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