虐めたあいつ
市村は畜舎の壁にもたれ、槍と剣の鎬を削る立ち合いをじっとみつめていた。自身も加わりたかったが、まだそのような級でないことは自身が一番よく分かっている。
斎藤の「鬼神丸」と原田の名槍はともになにか鬼気迫るものがあった。否、それぞれの得物が、ではなくその遣い手たちにあった。
市村は長靴の先で土をいじりながら、左の掌では自身の得物の柄を撫でながら蝦夷でのことを思いだしていた。
思いだす、なんてことなど滅多にしない。厳密にいうとしんみりゆっくり思いだす、なんてことはもともとがらでないからしない。
左の掌にあたる柄はなにゆえか温かい。自身の得物は「神の剣」。「大神」と「青龍」の力が宿っている。
「あいつの力だ」市村は声にだしていた。いかなる神格によるものではない。あいつの力だ。あいつこそが神なんだ。
京ではあいつをさんざんののしったりぶったたいたりした。蝦夷では剣術を教えろとつきまとった。
あいつは一度だって真の力をみせびらかしたり誇ったりしなかった。それどころかいつも意気地なしの役立たずのような雰囲気でだれにでも接していた。
それが理解できなかったししようとも思わなかった。
あいつのことを最初から最後までわかってやろうとしなかった。知ろうともしなかった。
「鉄、おい鉄っ」
はっと気がつくと原田がすぐ前に立っていた。長身をかがめて市村の相貌を覗き込んでいる。
「なんだ?眠ってたのか?」どこかすっきりとした表情だ。原田は整った相貌ににっこりと笑みを浮かべて尋ねた。
「まさか?おれをいったいなんだと思ってるんです、左之兄?」「うーん、お馬鹿な鉄?」不貞腐れた市村をみ、原田は揶揄ってから大笑いした。斎藤も近寄ってきた。
「めずらしいな、すぐにやりたがるおまえがおとなしくみてるって?」斎藤もさきほどとはうってかわった表情だ。
武人たる二人が精神のもやもやを解消するにはそれぞれの得物を振るう方法が一番てっとりばやいのだ。
「一兄まで・・・。蝦夷でのことを思いだしていました。あいつとのことを・・・」
「ほう・・・。おれたちは蝦夷でのことは知らぬ。なにかきかせてはくれぬか?」
斎藤は穏やかな笑みを浮かべた。とがり気味の顎を撫でてからその指先で市村の額を突く。そんな接触も斎藤にしてはめずらしいことだ。市村はきょとんとしてしまった。
「おーい、もっと明るいところで話をしよう」いつの間にか原田は、いまは畜舎内の明かりがわりになっている暖炉もどきに盛大に火を焚いていた。
「では、あいつとの話をきいてください」
市村は一つ頷くと斎藤の利き掌でない方の掌をとり暖炉もどきまで引っ張っていった。
「副長は蝦夷で陸軍のなかでは二番目に偉かったけど、実際のところは一番偉かったようなものだったのです」
暖炉からはすこし距離をおいたところで三人は車座になって胡坐をかいた。原田は葡萄酒が欲しくなった。が、母屋に取りに戻るのも面倒臭い。市村の昔話はいい肴になるはずだ。我慢することにした。それが大人ってもんだと自身にいいきかせた。
「常勝将軍、というのが副長の二つ名でした。陸で副長に敵う者などいなかったんです」
胡坐をかいた姿勢で市村は誇らしげに胸を張った。それをみた原田も斎藤も同様に嬉しかった。劣勢の旧幕府軍のなかにあって、新撰組なる小さな組織の副長が、しかも自身らの旧知の仲間が他の多くの有力者よりも活躍したのだ。同様に土方に蝦夷までついていった島田をはじめとした新撰組の隊士たちも誇らしかっただろう。
「あいつがきてからはさらに凄かった。あいつは自身で敵軍のなかにまで入り込んで様子を探り、それをもとに策を立てていました。そして副長が実行する。しかもあいつは単身での行動だけでなく軍を動かすこともうまかったんです。副長は一人でずっと頑張っていましたが、あいつがきてからはあいつに任せることができたのでずいぶんとらくになったようです。いえ、そんなことよりも嬉しそうだった。ずっと眉間に皺をよせたままだったのが、わずかに笑顔がみれるようになったんですから」
原田ははっとして斎藤に視線を向けた。なんともいえぬ表情で膝の上に置いた「鬼神丸」に視線を落としている。
坊を蝦夷へ、土方のもとへいかさぬようにとの説得はうまくいかなかった。だが、それは斎藤だけではない。原田と沖田、そして永倉もできなかったのだ。
否、たとえ土方自身が命じたとしてもあいつはその命に従わなかったはずだ。土方の活躍は新政府軍にとっては痛手となる。その責もまた比例して重く大きくなってゆく。常勝将軍の異名はそのまま戒名となるのだ。
あいつにはそれがわかっていた。局長の近藤勇と同じで土方の末路もまた戦死か斬首のいずれかであることを・・・。だからこそ土方の傍にいなければならなかった。土方の傍でその生命と矜持を護りきる為に・・・。
「やはりここにいたのか、鉄?」「てっちゃん、心配したよ」「てっちゃん、大丈夫?」
扉は開け放っていた。暖炉の明かりに誘われるように現れたのは相馬と田村と玉置だ。
「銀と良三が、鉄がいないと騒ぐものですから・・・。おそらくここかな、と。ここならだれかがいらっしゃると思いました。左之兄と一兄なら案じる必要もありませんでしたね」
相馬は説明してから控えめに笑った。
「待てっ主計、われわれ以外だったら案じねばならぬのか?」相馬の言葉尻を捕らえた斎藤の問いに眉を顰めたのは、問われた本人より隣で胡坐をかいている原田だ。
「ありゃ言葉の綾ってやつだろう、斎藤?まぁそれはともかく、これが新八だったら鉄をさんざん揶揄ったりぶっ叩いたりしたかもしれんが・・・」
原田の推測に全員がうんうんと頷いた。然もありなん、だ。
「いまから蝦夷時代の市村の失敗話をきくところだ。三人とも蝦夷にいたよな?主計は最後までいたんだし、鉄が嘘いったりいい格好しようとしたらすぐ知らせろよ」
「そんなことしませんよ、左之兄っ!」
市村の抗議を横目に、相馬は後ろに掌を回すとなにやらとりだした。
「差し入れです。コップはありませんが・・・」ズボンの後ろに葡萄酒の壜をはさんでいたのだ。
「主計、おまえほんとに気のきくやつだな?若いが局長を任されるだけあるってもんだ、な、斎藤?」
原田の言に生真面目に同意する斎藤。そして当人は「わかってます」これもまた生真面目に返すものだから若い方の「三馬鹿」はこらえきれずに笑いだしてしまった。
「おいおい失礼だろう、おまえら?まあいい、兎に角お膳立ては揃った。腰据えて鉄の暴露話をきこうじゃないか」
「えっ、暴露?あいつの話じゃなく?じゃ、ご期待に応えましてあいつの戦での大活躍ではなく、あいつが関わったおれの暴露話を披露します」
「おおっ、いいねぇ・・・」原田は葡萄酒の壜口に懐の軍用小刀の切っ先を刺し、そのまま器用に栓を引っこ抜いた。
「おれ、蝦夷で女子ができたのですっ!」
「ええっ!」
その言の葉の一撃は、ある意味では昼間の出来事より衝撃的だったろう。
相馬だけは落ち着いて回ってきた葡萄酒をラッパ飲みしたのだった。