表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

125/526

「小天狗」と「がむしん」の語らい

 夜風はまだ冷たい。母屋の屋根の上にも等しく月と星の光が降り注いでいた。

 だが、伊庭もまた戦での経験とアイヌの村で過ごした経験から夜目に慣れている。壁を利用して器用に上ると屋根上で胡坐をかいて夜空をみあげている先客に近寄った。

「ずいぶんと贅沢な酒盛りですね。夜空を独り占めにし、それを肴に一杯とは」

「ああ?ふんっ、一杯だ?こりゃ一本だ」

 先客は利き掌のなかにある葡萄酒ワインの壜を小さく振ってみせた。

「どうした、八郎?葡萄酒ワインがなくなるのを案じ阻止しようと左之あたりがおまえを送りこんできたか?」

まさかノー・キディング葡萄酒ワインがなくなるのを案じているわけではなく、その葡萄酒ワインによってあなたが殺されないかと、酔って屋根から転げ落ちないかと案じているのですよ。ほんと、あなたがたは仲がいいですよね?」

「ちっ、いらぬ世話だイッツ・ノット・ユア・ビジネス

 舌打ちして壜から葡萄酒ワインをらっぱ呑みし、永倉は伊庭に座すよう身振りで示した。

「ああ、いい眺めだ。蝦夷でも夜空はきれいだった。亜米利加ここもかわらないな」

 義手のほうもそうでないほうも尻の後ろについて仰け反って夜空を仰ぎみた。無数の星がさまざまな形を描きだしているのがよくわかる。アイヌの長老エカシから、あれは熊、あれは柄杓、とそのみかたを教えてもらった。きっと亜米利加ここには亜米利加ここのみかたというものがあるのだろう。スー族の二人なら知っているかもしれない。

 伊庭はスー族の二人にアイヌを感じていた。否、伊庭だけでなく野村や田村、玉置といったともに過ごした者たちもそれは同様だ。

「正直驚きましたよ。わたしもかなり長い付き合いだが、新八さんが激しく動揺するのをみたのは今回が初めてだ」

 わずかに姿勢を正すと伊庭は永倉の横顔をみつめた。そこには出会った時分ころよりすこしだけ年齢としをとり、すさんだおとこ表情かおがあった。

 試衛館と伊庭道場は仲がよかった所為で、伊庭はまだ餓鬼の域にある時分ころから永倉たちとつるんでいた。悪い遊びも教えられたし女遊びだって彼らに教えてもらった。無論、遊びだけではない。神道無念流皆伝の永倉から流派をこえて剣そのものを多く学んだ。それはいまでもつづいている。流山で斬首された近藤、京で切腹をした山南敬介さんなんけいすけ、同じ京の鳥羽・伏見の戦で非業の死を遂げた井上源三郎いのうえげんざぶろう、そして蝦夷で自らの頸を斬り落とした坊、彼らも含めて親密な付き合いをしていた。

 浪士組として京に上り、その後新撰組としてともに過ごしたかそうでなかったかの違いだけなのだ。

 ゆえに伊庭には永倉も含めた試衛館の友のことはよくわかっているつもりだ。

「おれをいったいなんだと思ってるんだ、八郎?おれは人一倍繊細ナイーブなんだぞ、知らなかったのか?」

 伊庭は永倉の言が終わらぬうちに噴出した。繊細ナイーブなどという単語ワード、永倉ほど似合わぬ者は他にいないだろう。

「参ったよ・・・」かならずや強烈な張り掌か拳が飛んでくるものと思っていた伊庭はその囁き声に面喰らった。知れずその横顔を覗き込んでいた。

「ありゃなんだ?そのまんまじゃねぇか?うちなるものの力かなにか知らんが、あんだけのことできるのか?」

 永倉は葡萄酒ワインをらっぱ呑みしてから吐き捨てるようにいった。

 それは伊庭も同意見だ。伊庭もまたあの宴にいた。征夷大将軍徳川慶喜の護衛としてだ。ゆえにこの夜みたことすべてが驚異的だった。ある意味では京での宴よりも。

 あれはどうみても当人だ。

 最近では奇跡ミラクルばかりみているので感情が、というよりかは常識が麻痺してしまっている。なんでもありかなとさえ思っている矢先のことだ。

 うちなるものや幼子に備わった力をもってすれば、あれしきのことは容易なのか?それとも、死んだ坊の霊でも降ろしているのか、あるいは真に坊だったのか・・・。

 なんでもありのようにさえ思える。

「ははっ、情けないが銃弾たま一発ぶった斬ったのもよく覚えてねぇ。副長が狙われたのを反射的に動いただけだ」

 苦笑が伊庭に向けられた。「驚きました。じつはさきほど一君にも同じことをいわれました」伊庭と藤堂、そして斎藤が同年齢というのは意外だ。永倉は伊庭が斎藤を君付けで呼ぶたびにそれを感じずにはいられない。

 ちなみに、試衛館で出会った当初、斎藤、沖田、藤堂は自身らの生年をうやむやに語っていた。外見の落ち着きからその順で自他ともに認識されるようになった。が、じつは沖田があとの二人より二歳年長であとの二人は同年齢なのだ。現在いまでもよくわかっていないようなのがおかしな話だ。

「斎藤が?そうか・・・」年齢としのことは軽く頭を振って追い払い、永倉は短く吐息した。

「あいつも衝撃的だったろうな?」「ええ。ですが、あなたもでしょうが副長のことも案じられていました」

「ああ・・・。そうだな、ありゃひどかった・・・」永倉はもう一口呷った。それから屋根上からみえる夜の農場をみ渡した。

 永倉は遠いのまま口唇を開けた。


「新撰組と袂を分かってからおれは幼馴染と靖兵隊せいへいたいで転々としたんだ。あるとき、山で迷っちまってな。ま、熊に襲われちまってそんときまず朱雀が現れた。そしてあいつが・・・。あいつは熊と戯れてから・・・・・おれたちに付き合ってくれたが、あいつは副長から様子をみてくるように命じられて、といった。離反したおれや左之のことを、だ。すぐにわかったよ、副長はおれたちをだしにし、あいつを自身の傍らから遠ざけたってことが。そしておれたちにはあいつを留めるよう、すくなくとも副長の許に戻らぬようどうにかしろ、という意図があるんだってことが」そこでまた葡萄酒ワインを呷った。

「無理にきまってる。できるわけない。実際、できなかった。なぁ、おれはあいつの真の力を知らぬ。あいつはいつもおれたちの背を護ることに専念していた。あるいは暗殺のような穢れ仕事だ。けっして目立たず控えめだった。あいつにすりゃぁ新撰組ごときの隊務など屁でもなかったはずだ。それよりも裏で日の本そのものを護ったり動かしたりしてたんだから・・・。それにおれは蝦夷でのあいつも知らん。日の本だけでなくこの世界で勇名を馳せていた大物だったってことを知ったのはこの旅にでてからだ。あいつはいつもおれたちを立ててくれた。おれはあのとき、どうしていかせちまったのか、留めきれなかったのか、いまでも悔いている。無論、副長にたいしてもだ」酒精が吐きだされた。永倉は眼下に広がる農場の暗闇から古くからの友人へと双眸を移した。年齢としを重ねた相貌にはすさんだ表情ものだけではない。精悍さや知的さも皺となって刻み込まれている。

 いいおとこだ、と伊庭は心底思った。


 伊庭はその柔和で整った相貌に笑みを浮かべた。

 いつか語りたかったことをいまこそ語るべきだと悟った。

「蝦夷でのことをきいてもらえますか?」

 伊庭はそういっていた。夜が明けるまでにはまだ時間ときはある。

 きいてもらいたい話はたくさんある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ