兇刃と妖(モンスター)
「いいんですか?こんな連中、生かしておいても人間をいいように操り日の本を自分たちのいいようにするだけでしょう?」
沖田が叫んでいた。長卓の上に両脚を投げだし、椅子の背にもたれて椅子の後ろ脚だけで水平をとっている。
「そうですよ副長っ!こいつらが近藤局長を斬首した。局長は切腹すらさせてもらえなかった。副長、あなただって同じ運命だったんだ」下座辺りに睨みをきかせつつ野村がつづけた。
岩倉がいくら正当で寛容なことを並べ立てようともそれは偽善であり戯言にすぎぬ。大切なものを奪われ、奪われた後もその精神を陵辱されつづけている者にとっては振り上げた刃を納める術がないのだ。
沖田と野村に刺激されのか、招かざる客の間に殺気が宿った。
土方の精神が揺らぐ。視線が自然と岩倉のほうへ向く。心身ともに抑えつけられていた者から開放された怨敵は、上半身を起こして荒い息をついていた。
そのすぐ傍には義兄がやはり先ほどと同じ片膝ついた姿勢でその岩倉をじっとみつめている。
義兄弟の視線があった。
その右側の瞳に金色の光はない。濃く深い黒色の瞳がこちらをみている。
白き虎をふたたび封じ込めたのだ。
だが、白き大虎とは無関係のいいようもないなにかが感じられる・・・。
「義兄上っ!」土方の叫びと「村正」が鞘から開放され岩倉の心の臓を貫こうとしたのが同時だった。
あまりの速さに殺されようとした当人はまったく気づいていなかった。使節団の者たちも同様だ。剣術においては皆伝の木戸でさえ剣術はとおの昔に遠のいていることもあいまってまったく動きについていけなかった。
そして「村正」の遣い手の仲間たちですら・・・。
「護り神よ、わが主に「もはや約定は解き放たれた」と言伝を頼んだはずです。それは双方の意味においてです。わが主の意は決しています。そしてこの人間どもに嘘やごまかしはありませぬ」
唯一幼子の姿形をした辰巳の生まれかわりだけはその暴挙に反応し、岩倉の心の臓の紙一重の位置で兇刃を二本の指の間に挟んで阻んでいた。
「それに、真実を知りしわれらが敵は遠からずその生命をまっとうします。病や暗殺によって・・・。いまここでわれらがこの掌を穢す必要などない。余命宣告はなされた。生命の終焉を迎えるわずかな時間、彼らはこのことに怯え苦しみつづけるでしょう。そう、まさしく生き地獄、というわけです」
ふふっと笑った幼子はまるで地獄の子鬼のようだ。指に挟んだ「村正」を開放すると、護り神は無言のまま「村正」鞘に納めた。
幼子はそこで視線を護り神から木戸のほうへと向けて尋ねた。
「大村先生は?殺されましたか?」
それに反応したのは木戸と大久保、それに村田だ。
大村益次郎、長州で医師だったこの漢は軍略に明るく、先の戦では新政府軍の事実上の総司令官として指揮を執った。が、生来の性質は最悪だった。武人をみ下し駒扱いした。薩摩や土佐、それどころか自藩の者さえその扱いは尊大で過酷だった。薩摩への扱いはとくにひどく、そこの将の一人海江田などから反感や恨みを大いに買った。とくに海江田などは「殺してやる」と周囲に公言して憚らなかったという。
辰巳はそこにつけいった。そして性悪の策士らしく種子を撒いたのだ。
「去年大阪で・・・」答えた木戸の声音は限りなく小さかった。
木戸はこのときはじめて大村が辰巳の策略によって喪われたことを知った。
大村を殺した黒幕が先の海江田とされている。無論、証拠はなく噂にすぎない。
一方でその噂の海江田と同じ藩の村田は海江田がやったと信じている。胸のすく思いだ。だからこそ木戸とは違う意味ではっとした。そして、村田は海江田がまんまと辰巳の口車にのせられ実行に移した、つまりは利用されたということをわかっていても、辰巳は敬愛する西郷同様「偉大なる人」なのだと実感した。
アメリカ陸軍第七騎兵隊の小隊長のエリオット・ノートンは壁に背を預け噛みタバコをくちゃくちゃと噛みながら黄色い猿どもが騒いでいるのをみていた。長身痩躯、面長の相貌の中に立派な鷲鼻が印象的だ。そしてそれに負けず劣らず右頬に大きな刃傷がある。軍服にその痩躯を包んでいるものの、汚れや乱れの為に軍服かどうかもわからなくなっている。階級は軍曹。少尉として中隊長を務めたこともあったが大隊長を殴り半年間の営巣入りの後降格処分、そして鼻つまみ者ばかりが集まるこの小隊の隊長になった。人間を、具体的には敵を傷つけ殺すことを至上の喜びとしており、南北戦争が終わったいまその標的は南軍の田舎者どもからインディアンへとかわっていた。もっとも、味方であっても自身と反りや意見が合わねばそれはつまり敵となり容赦はしない。それがたとえ上官であろうとだ。そして、小隊には小隊長と似た者ばかりが集まっていた。
『おい、貸せ』なにをいっているのかわからないがどうやら乱入した側のほうが優勢のようだ。それにその連中のほうが面白そうだ。なぜなら、自分たちと同じ臭いがするからだ。エリオットは隣で同じように立っている副隊長の肩からライフル銃をひったくった。
『どうするつもりなんです、隊長?』太っちょの副隊長はわかっていて尋ねた。にやにや笑いがそれを証明している。そして、その周囲で同じ姿勢で立っている数名が隊長のしようとしていることに倣おうと肩に担ぐライフルを構えて射撃準備に入った。
『あくまでも襲撃者を射殺するだけだ。おい、おまえらはテーブルのやつを狙え。おれはあの餓鬼を仕留めてやる』
鼻つまみ者の集まりではあるが、それは軍という体制に背くかあるいは合わないだけだ。軍人としての能力に問題があるわけではない。むしろその技量は他の兵士より抜きんでている者がほとんどだ。
準備から発砲するまで瞬きの間があれば充分だ。そして、その射撃の精度は正確だ。
四名の兵士が狙ったのは土方だった。
小さな劇場のなかに乾いた銃声の音がした。すべてがあっというまであった
が、その動きはすでに察知されていた。
全員、それは日の本、亜米利加関係なくこの場にいる全員がその奇跡を目の当たりにした。
永倉、斎藤、沖田、そして厳蕃がそれぞれの得物を抜き放ち、土方と狙撃手たちとの間に割って入っていた。
四名ともすでに残心に入っている。
四発の弾丸を斬った後の余韻を味わっているのだ。
そして一呼吸遅れて響くさらなるライフル銃の発射音。
『・・・!!』
餓鬼に向けて放たれたはずの弾丸はどこにも着弾しなかった。そもそもその小さな的じたいが消えていた。
『神様』『ああ神様』
軍人たちの間から彼らの系統の神に捧げる祈りの言葉が幾つも漏れる。
『あなたからは大量の血の臭いがし、多くの死霊がみえます。わが名は辰巳、その異相覚えておきますよ。今後どこかでお会いするやも知れません』
辰巳がエリオットをみ下ろしていった。その長身痩躯の肩上から、だ。
『化け物め』エリオットはみ上げることもままならず、吐き捨てるように叫んだ。即座に肩上の化け物は甲高い笑声を上げる。
『ええ、わたしはまさしく妖です。掌をだしてください、お返ししておきます。これをみて東洋の妖を思いだしてください』
エリオットがいわれるままに左の掌をひろげると、頭上からなにかがおちてきてそれが掌の上を転がった。
それはエリオット自身が発砲したライフルの銃弾だった。
岩倉たちは体躯に傷一つ作ることなく形ばかりの護衛に護られながら劇場を去っていった。
木戸は明治政府にあってその精神をすり減らしつづけ、明治十年(1877年)脳のなんらかの障害で死亡する。ちょうど西南戦争中であり、死ぬまで西郷のことを案じていたという。
大久保はその翌年の明治十一年(1878年)、島根や石川の士族たちにより暗殺される。新しい世に不満を持つ者たちによる凶行だった。
岩倉は明治十六年(1883年)、東京大学医学部教授エルヴィン・フォン・ベルツという独逸人医師より日本初の癌告知を受けた後に喉頭癌で死亡した。
異国の地で生まれかわった仇敵から受けた予言は、予言ではなく彼らの将来を述べただけのことだったのだ・・・。