少年たちの誠
「てっちゃん、なにしてるんだ?」
欄干に背を預けている市村に二人の親友が近寄って尋ねた。市村の掌には彼自身の得物が握られている。
「ははーん、今度の戦、補助要員に回されたんで腐ってるのか?」
そう、市村ならこの配置に不服を抱いているだろう。つねに土方の傍らにありたい、と常日頃から力説しているのだから。そうからかった田村は赤子を胸に抱いている。若い方の「三馬鹿」もまた、大人たちと同じようにこの赤子のことが可愛くてならないのだ。もっとも、自身らより年少、というところが鍵で、この子がもうすこし成長したらきっと自身らは大人の仲間入りをさせてくれるだろう、という淡い期待があるのは否めない。
「大丈夫、てっちゃん?師匠はてっちゃんのこと筋がいいって・・・」「違うよ。そんなんじゃないよ。むしろ信頼されてるから補助要員だと思ってる」玉置をさえぎり、市村はそう呟きながら田村の抱く赤子の前に剣を差し出した。その市村の背後に広がるのは夜の闇。ずっと凪の日がつづいており、いまもこの船の下方からきこえるのは、船が海水を掻き分ける音のみだ。そして、空には大きな満月と、無数の星々。月も星も、それから太陽も雲も、生まれ育った自国のものとなんらかわりはない。
わーっ、と歓声が上がった。今宵も甲板では万国入り乱れての酒盛りが行われている。
「おれの愛刀だ。あいつが蝦夷で別れ際に念を込めてくれた。あのときには意味がわからなかった。だけどいまはその意味がわかる。あいつは強くてあんなに人を殺し傷つけた。だけどやさしくて臆病だった・・・」
赤子は必死に腕を伸ばし、差し出された市村自身の得物を小さな小さな掌で掴もうとしている。
「あいつにいったんだ、おれ。生まれかわってこい。おれの子として生まれてこい、って」
二人の親友ははっとして市村の泣きそうな表情をみつめた。その性質をよく知る二人にはわかっていた。市村があいつのことを弟みたいに思っていた、ということを。
「そのとき、あいつがこれに力を授けてくれた。まさか神の力が宿ってたなんて・・・。師匠がこれと対話し、おれは補助要員になった。この配置はそういうわけだ・・・」
嘆息する。頭ではわかってはいる。が、自身も土方と一緒にいきたい、というのがやはり心の底にある。それも当然だ。
「他人を殺すな、傷つけるな・・・。あいつはそういった。ははっ、散々そうやってきたあいつの言だ。それがあいつ以外の者がいったのならおれは笑ったよ。きくものか。だけど、あいつだから、あいつの言だから・・・。ずっとひっかかってる。あいつが死んだことと同じで・・・。だから、おれはできるだけそうしたいとも思ってる・・・」
玉置が無言で親友のその肩を抱いてやった。玉置はその生命そのものを救われた一人。市村のいうあいつの言の意味はよく理解できる。
生命の重み・・・。戦いの場にあれば、それはずっと付きまとう課題となるだろう。
「みてよ、この子・・・」玉置は親友の肩を抱いたとき、ちょうど赤子の掌が眼にとまり、そこではたと気がついた。
「柄を握ろうとしてるんじゃないの?」
赤子を抱く田村、そしてあいつとの思い出に浸っていた市村も赤子の掌を見下ろす。
その小さな小さな掌は、より近くにある刃より遠くにある柄を求めてたしかに伸ばされているようだ。
「この子はあの子と同じように人間を殺したり傷つけたりすることをすでに運命付けられてるんだよ、てっちゃん」
年少の親友の悲壮な声音に市村だけでなく田村もぎょっとした。その過酷な運命を背負わされている赤子を抱く両の腕に力がこもる。小さな赤子は軽く、田村はまばらにしか髪が生えていない頭部に相貌を近づけてそれをこすりつけた。ほのかに乳の匂いがする。死んだ友の異相が瞼に浮かぶ。田村は、自身ら子どもどうしが喧嘩したり笑いあっているとき、いつもすこし離れたところからそっとみていたことに気がついていた。左半面にあった大きな二つの傷跡の凄み以上にどこか寂しげなものがあった。どうしても声をかけてやれなかった。自身らとは違うものを、それは凄さというか尊いものというか、なにかそういった得体のしれぬなにかに気圧され、兎に角呼び寄せ抱きしめてやる、あるいは肩をたたいたり馬鹿呼ばわりしてやる勇気がなかった。
正直、後悔している。年下の友を、自身の生命の恩人であるばかりかいつも護ってくれた仲間を、むざむざ死なせてしまったのだ。それ以上に、友や仲間と呼べるようなことをろくにできなかった・・・。
同じことは繰り返したくない。この子をあいつと同じようにしてはならない。その為に自身にできることはなにか?
胸元で赤子が笑い声を上げている。市村が自身の得物の柄を小さな掌が届くようにその眼前に近づけたのだ。そして、小さな掌がぺちぺちと柄を叩いているのをみている市村の表情は、これまで田村たちにもみせたことのない、慈愛に満ち、護ってやらねば、という覚悟が満ちているようだ。なにゆえか田村にはそれがわかった。三人の中では一番年下の玉置が、そっと赤子のぷくぷくした頬を指先で突く。玉置もまた田村と同じことを感じているのだということが、田村には感じることができた。
「おれたちの誠にこの子を護ることを加えようよ、てっちゃん、銀ちゃん」
玉置の提案はすぐに可決された。それどころかいうまでもないことだ。
「ああ、依存はない。副長親子を護る、仲間の背を護る、それから・・・」
「近藤局長とあいつの御霊を護る、だろ?」市村の言を田村が引き継いだ。
「そのとおりだ、銀。いいな、おれたちはやるぞ」
三人がそれぞれの掌を打ち合わせていると、それまで市村の得物の柄に触れていた小さな掌が今度はその三人の掌のほうへと伸ばされた。
まだまだ大きさも分厚さも足りぬ三つの掌に小さな小さな掌が加わり、四つの掌が打ち合わされる。同時に、四つの笑声が湧き起こり、それは欄干の向こうにひろがる闇と小波とに交わり消えていった。




