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We are glad to see you again.

 緊張と不安に支配され、それらに押しつぶされそうなのはどちらの側も同じだ。豪胆で厭世的な岩倉でさえ杯を傾ける掌を止め、突然現れた武士もののふの一団をみつめていた。

「動くな」

 という注意など不要である。神道無念流皆伝であり江戸三大道場の一つ「練兵館れんぺいかん」で五年近く塾頭を務めた木戸でさえあまりの衝撃に指の一本すら動かせないでいた。

 ましてやほかの文官たちでは・・・。

 招かれてもいない武士もののふたちは、勧められてもいないのに空いている椅子に勝手に座り込んだ。

「岩倉卿、お久しぶりですな・・・」長卓テーブルをはさんで岩倉の前の席に着いた美丈夫が静かにいった。その左腰には「千子」が鞘から抜かれることを静かに待っている。美丈夫は卓をはさんだ向こうにいる岩倉をみつめたままその美しいまでの相貌に自身でも自慢の爽やかな笑みを浮かべた。

 美丈夫の同行者たちにしてみれば、その笑みは「護国の鬼」のごとき尊いものかあるいは「暗がりに鬼を繋ぐ」が如く譬えになるのか、といったところだろう。

「もっとも、お偉い公卿様にはわれらがごとき下々のことなどなにもご存じないでしょうがな?」

 そう紡がれた言の葉にも岩倉の反応はなかった。反応のしようもないのだ。

「桂さん、お久しぶりです」空いたほかの席についた一人が人懐こい笑みとともに囁いた。岩倉と桂の間に座し、場違いなほどくつろいだ雰囲気が漂っている。

「京ではいつも汚い姿形なりをして乞食の振りしてましたよね?あれには驚きましたよ。ま、あまりの巧妙さと試衛館のときの借りもあったんで気づかなかったようにしましたが・・・」くすくす笑いがつづいた。その笑いに招かざる武士もののふの半数は不敵な笑みを浮かべ、もう半分の武士もののふにはそれぞれの眉間に皺が寄った。


「逃げの小五郎」木戸孝允がまだ桂小五郎であった志士時代の異名だ。逃げることはさることながらその変装ぶりはお見事だった。かの「池田屋」事件の際にも桂は乞食に身をやつして京の街をいききしていた。この巧緻な化けっぷりは、それをつけ狙う新選組の隊士たちの多くをだますことができた。ゆえに生き残りいまこうしてここにいるのだ。

 その桂が江戸で私費留学生として「練兵館」で塾頭をしていた時分ころ、彼もまた乞われて試衛館にやってくる「道場破り」の相手をしたことがあった。伊庭道場や千葉道場の門人たち同様に。つまり、桂は試衛館の連中とは親しいとまではいかずともみ知った仲ではあったのだ。

 そのみ知った試衛館の連中は、時間ときが流れ敵になった。すくなくとも同じ側には属さなかった。

 だが、同じ側におらずとも昔の恩義と誼は壬生の狼たちをして「黙認」「気づかないふり」で暗黙の裡にやり過ごさせたのだ。

 それが「逃げの小五郎」が生き残り、新しい世の中心人物の一人として活躍できた真実だったのだ。

「お元気そうで重畳」問いかけた側は人懐こい笑みにさらに友好的かつ怪しげなまでの雰囲気までも醸しだし、私語をしめくくった。

 そこには桂、否、木戸が新選組とさもなにかあったような空気が漂っただろう。無論、斬った張ったという血腥いことではない意味での空気のことだ。

 もっとも、そう感じられるだけの余裕が今宵の招待客の一人にでもあれば、の話だが。


「逃げの小五郎」と二つ名のあるおとこだけのことはある。しかも武辺一辺倒というわけではなくもともと文の要素が強い。この何年かの活動でさらに政治家としての手腕も磨いている。

 木戸は沖田の言を無表情で受け止めた。

 が、体躯は正直だ。長卓テーブルの下にある両の脚はわずかに震えを帯びていた。

 当然だ。新撰組がこのようなところに現れたことだけでもかなりの衝撃だ。しかもそのなかには死んだときいた、あるいは噂されているもいるのだ。その狼どもはちゃんと二本の脚で歩きすぐ近くにいる。驚愕以外のなにものでもない。

 無意識のうちに左掌が腰の辺りを触っていた。そしてはっとした。まがりなりにも剣士であった。その時分ころの習性だ。無腰でどうして鞘を探るか?自身の迂闊さを呪いつつ、つぎは懐中の拳銃ガンのことを考えた。護身用ではあるが撃てるように整備は怠らず、射手としての訓練もしている。

 木戸はなにに対しても完璧なのだ。だからこそ現在いまがある。

 向かいに座す大久保にちらりと視線を向けた。大久保はまるで死人のごとき顔色をしている。すくなくともここにいる死人・・たちよりよほど死人らしい表情かおをしている。それが天井にある洋燈ランプの淡い光の所為でないことだけは確かだ。

 視線があった。木戸がかすかに頷いてみせた。せめてもの励ましだ。だが、大久保のほうは反応がなかった。唇が小刻みに震えているのがわかった。このまま卒倒してしまうのではないのか?新撰組みぶろどもよりそのほうがよほど気になった。

 そのとき、思いだした。

 岩倉卿・・・。あの戦の立役者の一人。

 そちらをみた。そして壬生の狼たちの目的がそちらにあったことを確信した。


「岩倉卿、杯が空になっていますよ。さぁどうぞ。ご心配なく、あの宴のときとは違いここの飲食物に毒は盛られておりませぬゆえ」

 向かい側の席から葡萄酒ワインのボトルをかかげてみせると、岩倉は酒焼けした相貌に驚愕と不安とを入り混じらせつつコップを差しだした。そのコップはそうとはっきりわかるほど震えている。

 毒、という一語で使節一行にさらに動揺が走った。散々呑み喰いした後なのだ。

「あのときにはトリカブトを盛られたましたな。知らされていなかったら将軍、否、慶喜公は即死だったでしょうな?さすがのわたしの甥もあれには勝てなかった、左半身をやられました。わたしの甥がだれかはお分かりですな、岩倉卿?ああ、申し遅れました。わたしは土方歳三。会津藩お預かりの「新撰組」なる組織で副長を務めておりました。そうそう、蝦夷の箱館では陸軍奉行並なるものもしておりましたか・・・。ここにいるのはわたしの大切な仲間です。岩倉卿、渡米されているときき、お礼に駆けつけたしだいです」

 いっきにまくし立てている間に使節一行の動揺はさらに深くなっていった。

 宴のことは多くが知らない。知らされていない。それ以前に「新撰組」の存在じたいが脅威なのだ。「新撰組」あるいは「壬生狼」のことを知らない者はいない。そして、どうやら岩倉卿が目的らしいことも伺えた。すくなくとも末端の随行員や留学生には用はないらしい。さすがに海外に派遣されるだけはあり、ここにいるのはあらゆる意味で優秀な者ばかりなのだ。

「そろそろ日の本の文化が恋しいころでしょう?あのときの礼に素晴らしい舞いをおみせします。お気に召して頂けるとよいのですが、岩倉卿?」

 土方は指を鳴らした。そのパチンという音が劇場シアターのうちにやけに大きく響いた。

 いつの間にか前方の舞台に奏者が二人控えていた。舞台の床にきちんと正座している。ともに土方らと同じ和装で一人は笛を口に含み、いま一人は鼓を右肩に戴いている。

 笛は厳周、鼓は田村だ。

 

 じつは使節団のなかに尾張藩から一人参加していることがわかった。山崎が一行の名簿を作った際にわかったのだ。だが、尾張藩主の剣術指南役だった厳周は政にはいっさい関与しておらず、それどころか公式の行事に表立ってでたこともない。指南役を継いだ後も藩主の護衛のほとんどを父厳蕃が務めた。元親藩から一行に加わるくらいだ、武人よりかは文人の色の濃い者である可能性が高い。ゆえに厳周の存在を知る由もないだろう。

 厳蕃のほうは知っているかもしれぬがこちらは家督を譲っている。どうにでもなるはずだ。

 実際、厳周が横目で一行を確認したがそのほとんどを知らなかった。尾張藩士がどこにいるのかもわからない。もっとも、岩倉でさえみたことがない。話しにきいているだけだ。正確にはみたことのある者はいない、というわけだ。

 一呼吸置いてから隣の田村に合図を送った。緊張しているだろうが思いのほか田村はしっかりしているようだ。「The lucky money(幸運の金)」号以来、こういう芸能ごとにも熱心な田村だ。鼓はかなりの腕前になっていた。

 そして二人の奏者による笛と鼓の調べが劇場シアター内に流れはじめた。

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