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策戦決行前夜


 眠れなかった。部屋に妻子がいないことも落ち着かせない要因の一つだ。子の深更の鍛錬を覗くなといわれているわけではない。それをみることに、それどころか畜舎に近寄ることすらはばかれた。

「きいっ!」

 右肩上の朱雀が小さな頬を自身のそれへと擦りつけてきた。朱雀こいつと出会うまでは鳥の類はすべて夜はがみえないものとばかり思い込んでいた。京であいつとのつなぎで夜間でも京の街をいききするのをみて心底驚いたものだ。無論、昼間ほどの動きはないがそれでも月明かりや家々の灯火を利用して器用に飛んでいた。それは現在いまも同じだ。異国の月夜の下、あいつにかわっておれを護衛してくれている。可愛いものだ。あいつのであり翼であった朱雀こいつのお陰でどれだけ救われたか。それは精神的なことも大きいだろう。

「すまねぇな、朱雀。おめぇは休む時刻だってのにつきあわせちまって」

 整備改修されて見違えるようにきれいになった農場を歩きながら指先で朱雀の小さな頭を掻いてやった。 気持ちよさそうに小さな小さな両のを閉じるのが月明かりの下ではっきりとわかった。

 明日、いったいなにが起こる?おれたちはなにをみききすることになる?

 そのことを考えて眠れなかったのだ。

 あの宴のことはけっして忘れられない。あいつが自身の頸を撥ね飛ばしたのと同じくらいあれは強烈で衝撃的だった。

 いつも控えめで従順、頑固なとことろはあってもけっして逆らったりするようなことはない。腕は立ちすぎたし当時は白き狼に化ける、という一種のばけものの術を使うと思い込まされていたのでただの餓鬼でないことだけはたしかだった。だが、あいつは信頼できた。ある意味ではかっちゃん以上に。まるで自分自身の体躯の一部のような錯覚すらあった。

 それがまさか近衛大将軍?その官位だけではぴんとこないだろうが、征夷大将軍が官位を辞したあのとき、それが天皇みかどを除いて日の本で最高位だときけばだれだって腰を抜かすほど驚くだろう。その官位も先の孝明天皇が影武者を務めたあいつにお戯れで下賜したものではけっしてない。腹違いの弟へ恩賜された正当な位だったのだ。もっとも、このことはこの旅で知ったことだ。故国がひっくり返るであろうこの事実は少数が知るだけだ。あいつ自身が護り神もりびとである義兄をその役目より開放するまで、知ってしまった者は始末された、というのが真実だ。 

 その秘密は抜きにしても、表立っては将軍家剣術指南役の柳生家の嗣子であった。ふざけるな、といいたいところだ。

 昔、試衛館にひょっこり現れたあいつは、おれに恩義があるのでそれを返したいといった。おれは覚えちゃいなかった。あいつがおれに暗示をかけて記憶を封じていたからだ。それでもおれはあいつになにかを感じた。他者ひとを信じたりつるんだりすることが苦手なおれだが、かっちゃんを除けばあいつには最初はなから他とは違うなにかを本能的に感じていたのだ。まるで母犬にくっついて歩く子犬みたいなあいつに、おれはいつの間にか依存するようになっていた。それが自然とすら思った。

 なにがばけものだ。なにが暗殺者だ。たしかにそうだ、そうだがそうではないこともたしかだ。  あの宴ででてきたあいつの正体の一部分や側面・・・。それのどれをとっても新撰組おれたちごときとつるんだり、ましてやそこの冴えない「鬼の副長おれ」ごときが遣える存在ものではなかったってことだ。

 それなのにあいつは・・・。


 朱雀がまた小さな頭を擦りつけてきたのはおれに注意を促すためだ。声を発しないで知らせるあたりは朱雀こいつの頭の良さと長い付き合いによる意思疎通の深さ、それに新撰組での経験スキルによるものに違いない。

 小さいほうの畜舎の一つに明かりが灯っていた。義兄たちが鍛冶場として使っていた畜舎だ。小さいとはいえ数名が鍛錬するには不便のない程度の広さはある。実際、思いついてはそこで鍛錬する者もすくなくない。

 朱雀とともにいってみた。近づくにつれ複数の気を感じた。鍛錬かとも思ったが、どちらかといえばなにも考えずにただ剣を打ち振っている、そんな雑さが感じられた。

 おれと同じように眠れずに体躯を動かしている連中か?だが、その気の熟練度でなかを覗き込む前からだれかはわかった。

 やはり新八、左之、斎藤の三人だった。おれもたいしたものだ、と自画自讃しちまう。

「なんだ副長?やはり眠れねぇってか?」

 それも新八の一言で潰されちまった。こっちの三人はおれが母屋をでた辺りからすでに気がついていたんだろう。

「他の連中と違っておれたちはあそこにいた。気になるよな、あれだけ狼狽するなだの動揺するなだのといわれれば?」

 剣は振れても長槍を振るうのには充分ではない広さだ。左之は軍用小刀アーミー・ナイフを振るっていたらしい。右の掌に握るそれをひらひらさせながらいってきた。

 斎藤だけは残心をきっちりしてから「鬼神丸」を鞘に納めてこちらを向いた。

 三者三様、というわけだ。こういう場面シーンでもそれが顕著だ。

「朱雀、おいで。おねむの刻限だってのに鬼の面倒みるのも大変だな」

 左之が自身の肩を掌で叩くと朱雀がおれのそこより移った。

 ここの明かりは、作業をしているときと同じ炉の火でとっている。それは作業中より小さいものの夜目に慣れた壬生浪おれたちにとっては充分すぎるほどだ。

「副長、大丈夫ですか?」ぼーっとしていたらしい。それを斎藤に声を掛けられて気づかされた。

「ああ、おまえらこそあまり遅くなるなよ。明日、おまえらにぼーっとされたらだれが他の連中を護れる?」

「心配するなって副長、総司に平助、それに八郎がいる。だいいち、いまや全員が手練だ。自身の身は自身で護れる。みなのことよりおれたちはあんたのことのほうがよほど気掛かりだ」

「おいおい新八・・・」 新八だけでなく左之も斎藤もこちらをみるその相貌には気遣わしげな表情ものがありありと浮かんでいる。

 おれは仕方なしに両肩を竦めた。それが正直な気持ちだ。

 気持ちの整理がついていない。それは明日の作戦だけに対してではない。あいつにまつわることすべてについて、だ。それは日増しに強くなっている。そうだ、息子が、自身の息子がおれの精神こころをかき乱すのだ。義兄は息子にあいつになるように、あいつ自身でいろと厳命した。それ以前からおれが息子をあいつとみていたのか、あるいはあいつとみようとしていたからかはわからない。

 息子はあまりにも似すぎている。否、あいつそのものだ。その所作、性質たち、すべてにおいて。それが日増しに顕著になっている。辛すぎるほどだ。このままではおれ自身息子にどう接していいかわからなくなる。そこで明日の作戦だ。おおよその見当はついている。だからこそ心がざわつくのだ。

 いまさらながら後悔せずにはいられない。岩倉使節団あいつらなど無視すればよかったのだ。あるいは問答無用で暗殺するなり天誅するなりすればよかったのだ。

「副長・・・」また斎藤に気づかされた。間合いを侵し、いまや眼前にいた。尖り気味の顎を傾け、おれに真っ黒な両のをまっすぐ向けていた。

「決まったことです。それに仇討ちは死んだ者とて本意ではないでしょう。われわれが新しい道へ進むための一歩です。どうか・・・」

 その先はなかった。しっかりしろということか。

 斎藤の向こう側で新八と左之もおれをみていた。

 こいつらの想いどおりだ。

「あぁわかってる、すまねえ。新八に指摘されたとおり、おれはあいつのこととなるといまだにぼーっとしちまう。正直、明日も自信がねぇ。そんときはおまえらが頼りだ、頼むぞ」

「あぁ任せとけ、っていいたいがおれたちもあそこにいた。どうなるかね?ま、今回は他に大勢いる。あそこにいなかった者がほとんどだ。とくに総司や平助はいざってときに臨機応変に動いてくれる。それに魁もいるし。ま、なんとかなるだろう」

 平素は自信の塊のような新八の意外な言だった。新八は曖昧な笑みとともに畜舎の屋根をみ上げた。つられておれたちも上をみた。

「そうですよね、師匠?」

 ああ、やはりおれごときでは未熟すぎるのだ。屋根上に義兄がいることなどどうして想像できるだろうか?ていうか義兄はなにゆえそのようなところにいるのだ?

「副長、あんたの奥方にこっぴどくやられたらしい・・・」それに気がついた新八が声を潜めて教えてくれた。刹那、頭上から「カツカツ」と屋根を叩く音が降ってきた。

 左之と斎藤が声を殺して笑いをはじめた。

 おれも新八もつられて笑っちまった。


 義兄はおれの愛する妻になにゆえどのようにこっぴどくやられたのか、と考えずにはいられない。

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