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馬鹿で愚かな男たち(ステューピッド・ガイズ)

「真にいいのだな、わが甥よ?」

 叔父に問われるとその甥は口の端に皮肉な笑みを浮かべた。

「これがだれにとってもつぎへ進むことのできる策であるのなら、わたしになんの異存がありましょうや?」

 つぎは叔父のほうが皮肉な笑みをその端正な相貌に浮かべる番だ。

「正直、わたしのほうが無理やもしれぬな。あのときも危うかった。それを隠さねばならなかった。さしものおぬしもあのときは岩倉に恐怖を植えつけることに集中しすぎてわたしのなかのことまでは気がつかなんだであろう?」

 幼子は子どもらしく甲高い笑声を上げた。

 深更、大きな畜舎での鍛錬が終わったばかりだ。叔父甥の傍らにいた厳周が畜舎の大きな引き戸が開いたのに気がついてそちらに向かった。いつものように信江がホットチョコレートをもってきてくれたのだ。

「白き虎の存在は知っていましたが、まさかあなたのなかにそれがいるなどそれこそ神様・・でも気がつくわけもありませぬ」くすくすと笑いながら返すと叔父も同じようにくすくすとわらべのように笑った。

『やめよわが子よ、それではまるで神は馬鹿で愚かな暴れん坊ステューピット・ガイではないか?』

「神、というよりかはおとこがそうなのですよ、壬生狼?」

 信江はポットからホットチョコレートをカップに注ぎながらそう断言した。この場にいるおとこたちに返す言もない。

「古よりおとこどもはとかく争いたがります。それも無駄な争いばかり。くだらない矜持を護るため、奪わなくてもいいものを奪う為に。そしていつも女は待つだけ。それを馬鹿で愚かで暴れん坊ステューピット・ガイどもは格好いいと錯覚しているのですから・・・」

 まずは一番の年長者・・・である白き巨狼の足許にカップが置かれた。ついで厳蕃、厳周、そしてわが子。四人・・おとこどもはバツ悪そうにカップに口もつけず佇んでいる。

「今回のことも無視すべきでした。それを兄上、あなたが使嗾したのです。うちなるものの導き?そんなものとは関係ありません。白き虎や蒼き龍が小国のさしてぱっとせぬ公卿や武士を脅すようなくだらぬことを導くわけがないことくらいあなた自身が一番わかっているはずですよね?」

 信江は自身のカップにもそれを注ぎ、ポットは木箱の上に置いて立ったままカップに口唇をつけた。

「あなたはもっと冷静で聡明だと思っていました。すくなくとも感情のままに突っ走るような真似はなされないのだと」

 信江はカップを両の掌で包み込み、実の兄をみつめた。その兄は一言も発しない。

「兄上、なにゆえ反論されないのです?わたしの申したことは違う、と。どこまでお人よしなのでしょう、あなたは?」

 それでも信江の兄は黙っていた。その息子のほうがかえって狼狽し、父親と叔母を交互にみている。

「わかりました。おとこどもの愚かさのつけは女子おなごがかぶるしかありませぬ。女子おなごおとこどもの帰りを不安に苛まれながら待つしかありませぬ」

『もっといってやるといい。敵のことを考える前にまず心配している者たちのことを考えよ、と』

 白き巨狼はすでにカップに鼻面を突っ込み大好物のホットチョコレートを舐めている。それを中断しての思念だったのでカップから抜いた鼻面や大きな口の周りは茶色くなっている。そしてまたカップに鼻面を戻した。

「母上は・・・」不意に厳周が呟いた。「父上が江戸に参っているときに死にました。病床で幼いわたしに「父上はお役目でお忙しいのです。わたしがいなくなっても寂しがらず、信江と待っていらっしゃい。あなたは強い子です。柳生厳蕃の一人息子なのですから」と何度も仰いました」

 幼子がすぐに反応した。「わたしのことで尾張を離れているときに、ということなのですね?」

 厳蕃は護り神もりびとの役目としてあるいは叔父として暗殺を行っていた。無論、君主尾張公の為に働くこともあった。戦、というわけでなないが、妻子を残して飛び回っていたことは確かだ。だが、けっして蔑ろにしていたわけではない。むしろ女子おなごに弱い厳蕃は妻に参っていた。柳生のそれとは違い剣術とは縁のないしとやかな女性にょしょうだった。夫を立て子や家を護る典型的な武家の妻女だった。

「母上、すべてわたしの所為です。叔父上の・・・」「やめよ」当の叔父が甥の口唇を閉じさせた。

「すべてにいい訳はせぬ。ああ、おぬしのいうとおりだ。これは甥やうちなるものやその他もろもろの問題ではない。おとこさがやおいえやお役目のせいでもない・・・。そうだな、わたしは肝心なことを忘れていた。忘れていたよ、信江・・・」

 厳蕃は気弱な笑みを浮かべた。カップを持ったまま歩きだす。

「父上、どこへ参られます?」「案ずるな、頭を冷やすだけだ」そう囁くと畜舎の外へと消えた。

「いいのです、厳周。一人にしておあげなさい」

 父親を追いかけようとした厳周を信江がとどめたタイミングで白き巨狼が立ち上がった。

『ホットチョコレートはまだ残っているかね、信江さんミセス・ノブエ?』

「台所のポットにまだ残っていますわ、壬生狼」『戴いてもアイ・ウオント・モア?』「もちろんですともオフ・コース

 白き巨狼は茶色く染まった鼻面を厳周の太腿に擦り付けた。厳周のズボンがホットチョコレートで汚れたのはいうまでもない。

『淹れてくれ、息子よ』白き巨狼は近頃では育て子と区別をつける為に厳周のことを息子呼ばわりしている。

「お願い、厳周。紳士ミスターに淹れて差し上げて」『息子よ早くハリー・アップ・マイ・サン、年寄りは気が短いのだ』厳周が口唇を開くよりも早く白き巨狼は息子のシャツの裾を大きな口で銜えて引き摺りだした。

「叔母上ーっ、父上をお願いしますよーっ!」

 畜舎内に厳周の懇願が響き、やがて消えた。


「さぁこれで二人きりだわ、勇景?いえ、辰巳」

 幼子に背を向けていた信江がくるりと振り返った。

 弾かれたように幼子は一歩後退した。

 母は、否叔母は本気まじだ、といい知れぬ恐怖が幼子をじわりと満たした。



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