「敦盛」と出陣式
天皇より上奏を得る為一時帰国していた大久保と伊藤が戻り、岩倉ら使節団はあらためてこの国の政府相手に会談を行った。
それがどちらにとっての損得、成功不成功となったかはべつとして数ヶ月に渡った折衝がようやく終わり使節団もつぎなる地へと向かうこととなった。
つまり欧州歴訪、というわけだ。
度重なる会談の終了とつぎへの旅立ちへの合間を狙うことにした。
ほっと一息つく機会で、というわけだ。
作戦決行の前夜、全員が居間に集まった。
スタンリーとフランク、イスカとワパシャもだ。四人は参加したがった。懇願すらした。だが、土方は四人に心から感謝の意を示しその上で断った。
『これは過去の因縁によるもの。この戦いに将来はない。あくまでも日の本のなかでのいざこざの後始末。われわれが決着をつけなければならない。どうか狭量だと笑ってみ護ってほしい』
四人は土方と拳同士で軽く叩きあい、掌を打ち合って理解しあえた。
ドン・サンティスもまた協力するといってきかず、こちらのほうが断るのに骨が折れた。
『生命知らずの家族を連れてゆけ』と。そして、どの家族たちものり気だった。カルロとレオをはじめとした強面の悪漢たちは、付き合ってみるとだれもが愉しくさっぱりとした気性の者ばかりだ。ヴィト少年の護衛をしたがり、ニックの農場にやってきては武士たちと話したり呑んだりしたがった。
ドン・サンティスとその家族を納得させるのに三日かかってしまった。
情報、資金、不慮の出来事に対する援護を頼み、それでやっと折り合えた。
異国の地で知り合ったばかりの多くの友人たちのやさしさと縁を心底実感できた。
「戦国時代って出陣の前に出陣式をするんですよね?」
自身の得物を手入れしつつ玉置がそんなことをいいだした。
「ああ、酒呑んだり縁起もの喰ったりするんだ」呑み喰いをだすあたりはさすがに永倉だ。
「詳しくは知らん。兵法家にきいてみればいい」つづくその言で全員が柳生親子を注目した。
この国の民である四人は長椅子に座しており、日の本の漢たちはいつものように床上で胡坐をかいている。
「出陣式というのは、本来兵の士気を鼓舞するために行うものだ。軍師が易をし、それから総大将がまず酒を三度ついでもらい飲み干す「三献の儀」を行う。三献の儀の肴には一杯目に勝栗、二杯目に打ち鮑、三杯目に昆布が使われた。これらは「打って勝って喜ぶ」という縁起をかつぐものだ。その「三献の儀」が終わると総大将は兜や鎧を着、右手に軍扇をもち左手に弓をもって兵達の前に立つ。そこで「えい、えい」と掛け声をかけ兵たちが「おう!」と応える。これを三度繰り返すのだ。このときの威勢がよければ士気はあがる。戦に勝てるというわけだ」
だれもが柳生の兵法家の話しにききいっていた。こういう戦話が好きなのも漢の性なのだろう。厳蕃は故国の言の葉で説明した後それを異国人たちの為に英訳した。
「残念ながら、新八の秘蔵酒も尽きたいま酒も肴も準備はできぬが、景気づけにひとさし舞ってみせよう」
そう厳蕃が告げたとき、居間に信江が入ってきた。形だけでもと酒の類は異なるが葡萄酒を用意しているという。ドン・サンティスの差し入れだとも。それをフランクら四人が台所へとりにいってくれた。
「そのまえにいっておきたいことがある。明日、みなはまた奇跡をみることになる。系統は違うがキリストの再来のごとき出来事を目の当たりにすることになる。とくにあの宴にいたわが義弟、新八、左之、一、そして八郎、なにがあってもなにをみききしてもけっして動揺するな、平静でいろ。わが甥の仕上がりは完璧だ。あの子同様、否、あの子以上にこの子は蒼き龍と共存できている。蒼き龍の力の一部が明日解放される。この意味はわかるな?岩倉や大久保がみるものと同じものをわれわれもみる。それにけっして狼狽するな、そして感情に支配されるな。それと厳周、おぬしもわかっているな?」
「はっ・・・。なれど・・・」いい淀んだ厳周の横でその最も親しい伊庭がはっとした表情を浮かべた。
「師匠、あなたは?あなたのほうは大丈夫なのですか?」
「もろとも、だ。わたしもすこしだけなら耐えられる。じつはあの宴ではわたしもぎりぎりだったのだ。わが義弟や近藤氏に声を掛けたが、この忌々しい右の瞳は暗い光を帯びていただろう。みな、あの子に気をとられていたからな」
御所での宴の際、蒼き龍の力に支配されそうになった辰巳を呼び戻すことを厳蕃は土方に頼んだのだ。白き虎もまたその力に呼応してでようとしていたのだ。
「話はそれだけだ。葡萄酒がやってきた。さぁわが義弟よ、形ばかりの出陣式を執り行うとしよう」
義理の兄に肩を叩かれ、土方ははっとした。
明日、いったいどんなものをみききするというのか?いまだに詳細はきかされていない。が、毎夜、畜舎で息子と柳生親子が鍛錬しているのは知っている。
「父上?」眼前でその息子が小さな頭を傾げて立っていた。
「おいで、坊」手入れしていた「千子」を脇へとどけると土方は掌をひろげた。
その腕のなかへおずおずとではあるが息子が入ってくる。
いつもそうだ。脚にみずから縋ってくることはあってもどこかわざとらしさを感じる。演じているかとも思える。
長年他者を害しつづけている暗殺者は接触を嫌う。あいつもそうだった。頭を撫でられることですら最初は嫌がっていた。大分と慣れた時分にやっと抱き締めることができた。それでも腕のなかであいつは硬直していた。
だが、息子は違う。違うはずなのに接触が苦手なようだ。それは日を追うごとにひどくなっている気がする。
「明日は無理するな、息子よ」胸にしっかり抱きしめそう囁くと息子は小さな相貌をあげて父親をみた。深くて濃い瞳。この片方が明日は金色の光を宿すのだ。あのときと同じように。あのとき、あいつはその金色の瞳をみずから眼窩から引き摺りだし岩倉に喰わせた・・・。まさか・・・?
「痛いのはいやです、父上。みえていなくてもこの瞳は父上と母上に戴いた大切なものです」
父親の想いをよんだ子が囁いた。
「ああ、そうだ。そうだな、息子よ」
さらにきつくわが子を抱きしめ、土方はその頭髪に相貌を埋めた。
「思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」
厳蕃は愛用の扇子を軍扇にみたて「敦盛」を舞った。
かの織田信長は今川義元軍の尾張侵攻をきき、清洲城でこの「敦盛」の一節を舞った。それは桶狭間の戦いの前夜のことだ。
織田信長は当時の成人男性より上背があった。独特の貫禄もあり、その舞いはじつに堂々としたものだったろう。
そして小柄とはいえ厳蕃もまた低音のきれいな節回しで堂々とした舞いを披露した。
日の本の人間だけでなく、この国の民である四人も惚れ惚れとそれをみ、堪能した。
「多くはいわねぇ、それぞれ充分気をつけろ。われわれの過去に決着をつけるんだ、いいなっ!」
土方が檄を飛ばし、全員が葡萄酒の入ったカップを掲げた。
それぞれがそれぞれの想いを胸に杯を傾け無事と成功を祈った。
身近にいる神々に対して・・・。