亜米利加(メリケン)の政治家(ポリティシャン)
使節団のなかで唯一全権大使の岩倉だけは和服姿に髷をゆってこの国にき、しばらくは過ごしていた。が、市俄古で彼の地に留学していた息子に諌められて断髪し、洋装に改めた。ちなみに、日の本では明治四年に断髪令がだされている。岩倉はそれに従っていなかったのだ。髷は日の本の人間の魂だから、というのがその理由だったそうだ。
というわけで、使節団は洋装で首都を訪れそこで会談をした。
和装が即文明の遅れと受け止められかねない、というのも洋装にした理由の一つだ。
名目は来訪している日の本の使節団について話をしたいということだった。
この日、国務長官ハミルトン・フィッシュが休暇で地元紐育に戻ってきているのを利用し、ドン・サンティスが息のかかった伊太利亜料理店に招いた。面白い余興つきのその食事会は、伊太利亜の作法もあいまってたっぷりと二時(約4時間)をかけて行われた。
ドン・サンティスは粗野な悪漢というわけではけっしてない。組織をまとめ、縄張りを護り発展させる為に首領ともなると非情さや狡猾さだけではとても組織をまとめ護りきれない。
政治家を手懐けるのは彼らにとってはいろは中のいろは。それは彼らだけでなく古今東西の悪漢どもには必然であろう。そして、古今東西の政治家にとってもまた、資金や裏で起こるあまたの大小さまざまな問題に対処するためには、こうした悪漢どもの協力が必要不可欠なのだ。
程度の差、露見の有無はどうあれ両者の結びつきは切っても切れない鉄鎖なのだ。
ハミルトン・フィッシュは紐育でも著名で裕福な家の出身だ。コロンビア大学卒で司法試験にも合格している逸材だ。若い時分から政治一色で紆余曲折を経、グラント大統領から要請を受けて国務長官となった。
性質は温和で冷静。保守的な要素は濃いがいざというときには攻撃的な一面をもみせる。対外的には武力よりも話し合いの交渉を望み、実際、その実績を積み残した。国際仲裁という概念を打ち立てたのもこのフィッシュ国務長官である。
すらっと背の高い紳士である。もじゃもじゃとした顎鬚がまず瞳に止まるだろう。
ドン・サンティスとともに席についたのは総髪、着物と袴姿の土方と同じ格好の山崎、伊庭、そして、忙しい合間をぬって協力してくれた正装姿のニックの義兄のDr.グリズリーだ。医師は弁護士同様権威があるのは古今東西同じである。
食事をしながらの歓談は終始なごやかだった。土方はたくみな話術と人身掌握術とでこの国の国務長官の心を掴んだ。無論、ドン・サンティスとDr.グリズリーもそれぞれ口添えしてくれたのも効果をはっきしただろう。
土方はまず、日の本について使節団が語らずみせなかったであろう点を話してきかせた。つまり、政治や使節団の者たちが属さない階級の者たち自身やその世界についてである。そして歴史も。その上でここ数年の、黒船来航から現在に到るまでを語った。そもそも、日の本で急速に国の改革が進んだのがこの国の海軍たる東インド艦隊がやってきたことに起因するのだ。
土方はなんの隠し立てもしなかった。とくに岩倉と自身らの因縁とこれからやろうとしていることに対して。
『故国はいま、必死でかわろうとしています。古きものを捨て去り平等で平和な世を作ろうと。そのなかで犠牲や消失というのも否めない。それもわかっています。使節団はそれを円滑にする為に世界をみ、いいところを吸収して役立てようと考えています。同時に日の本が世界で馬鹿にされぬように誇示したいとも。わたしたちは彼らがそれを忘れぬよう、いついかなるときでもそのことを思いだせるようにしたいのです。そのために彼らに彼ら自身の国の舞踊でねぎらい、前途を祝したいと考えています』
国務長官は頭脳明晰であるだけではない。さすがに政治畑を歩みつづけてきただけあって状況や人間の機微を察知し分析する能力にも長けている。そして経験も存分に備わっている。
この日の本の武士のいうことに嘘はない。が、あきらかに危険なにおいをさせている。話から察するに復讐を欲しているのだと結論にいたった。
『国務長官』
土方はフィッシュのもじゃもじゃの顎鬚をみながらいった。最初からどうしてもこの白髪交じりの顎鬚が気になって仕方がなかったのだ。
『ははっ、そのような堅苦しい肩書きで呼ぶのはやめてくれたまえ、Mr.ヒジカタ』
フィッシュは年齢を思わせない綺麗な片掌を上げて笑った。
『Mr.ハミルトン、同族の者を害そうというわけではありません。それは約束いたします』土方がつづけるとフィッシュの眉間にわずかに皺が寄った。
(考えていることがどうしてわかったのだ?)
『今宵、あなたにお会いしたかったのは、彼らとの折衝をされているなかのお一人だけにでも「なにかある」ことをお伝えしておくのが筋だと思ったからです』
つまりはなにかあったらうまく揉み消してほしいということだ。
フィッシュはナイフとフォークを止めてしばし黙考した。
フィッシュはイタリア料理が大好きだ。ドン・サンティスの縄張りのイタリア料理店に外れはない。惜しむらくは、現在の自身が拠点としているワシントンにこれだけのイタリア料理を提供している店がないことだ。今夜のコース料理もすばらしい。ゆっくりと時間をかけて食事するイタリアの作法も自身の好みだ。
あらためて和装姿の武士たちをみた。土方の両脇の二人とも話したが、三人とも流暢な英語で教養もある。けっして粗野でも粗暴でもない。むしろこの国の軍人よりよほど文人らしい。そこまで考え、あわてて軽く頭を振った。
大統領じたいが軍歴出身だということをつい失念していた。
ドン・サンティスとの接触はいつものようにだれも知らない。ましてや日の本の武士と会っていることなど、さらにはその武士たちがこの国の客人たる使節団に対してなにやらよからぬことをしようと企んでいるなどと知りようもない。
それ以上に、食卓の向こうに座すヒジカタが気になった。悪い意味ではない。むしろいい意味で気になる。使節団の喚くばかりの連中よりかは話をしていてもよほど興味をそそられる。
『わたしはなにも知らない。だが、なにか問題があればできるだけのことはしよう。友人として、ね』
友人とは文字通りの意味ではなく、あくまでも非公式においての意だ。
『心から感謝します』
土方は立ち上がるときき掌を差しだした。国務長官も胸元のナプキンを食卓の上に置くとゆっくりと立ち上がった。
『どういたしまして、こちらこそ使節団の側面が理解できた。これで交渉のやり方も練ることができる』卓上で交わされる固い握手。フィッシュのもじゃもじゃの顎鬚の上に浮かんだ不敵な笑み。
やはり一筋縄ではいかぬやり手の政治家は抜け目がない。