Let's play baseball!
キャスの兄が勤めるベルビュー病院にはそこに勤める医師や事務の有志による野球チームなるものがある。とはいえ公立のこの病院に勤める彼らである、めったと練習も試合もできない。それでも暇をみつけては集まれる者だけ集まっては病院内にあるグランドで練習をするのだった。
この日、半年振りに試合をすることとなった。その試合にDr.グリズリーの非公式の患者である伊庭をはじめとした日の本の面々が招待されたのだった。
おりしもこの同じ年、アメリカ人教師のホーレス・ウィルソンが日の本でプレイと指導を行い、日の本に野球が伝えられる。そして、本家アメリカではこの年、九球団によるプロ野球連盟が発足する。
日の本の人間としてはそれよりも早く一行は野球を目の当たりにした。
控えめにいっても一人を除いて大興奮状態となった。
病院チームと対戦したのは、地元のアイルランド人チームである。後世、世界的に普及し、世界中で愉しまれることとなるこのスポーツは、もとはアイルランドが発祥の地である。そのアイルランド人がアメリカに移住してもたらしたものだ。
アイルランド人チームは、建設作業員、商店主、退役軍人などいかにも強そうな体躯を誇り、揃いの服で病院のグランドに現れた。グランドとはいえ患者が自由に運動ができる程度の広場だ。 アイルランド人チームはバットにグラブ、と装備も完璧だ。
一方の病院チームは、夜勤明けのよれよれの老医師からなまっちろい顔色と体躯の若い医師まで、しかもろくな装備もないままでの挑戦である。
患者も観戦した。無論、診察の合間をぬって他の医師や看護士たちも。相手側もまたアイルランド人の応援団が大勢やってきた。
そして試合開始。そのほとんどが野次と悲鳴の連続だ。
土方たちはあらかじめDr.グリズリーから野球について教えてもらった。その人気の高さも含めて。
日の本で球、といえば蹴鞠くらいだろうか?しかも公家の高貴なるお遊びのそれは、とくに好んで知ろうともましてや嗜もうとも思わない。
ゆえにだれもが半信半疑だった。こんな小さな球を投げたり打ったりするのが面白いのか?と。
所詮、彼らも男児だった。試合がはじまると周囲で歓声や野次を飛ばす場の雰囲気も重なり、すっかり虜になってしまった。なんと、厳蕃や斎藤、山崎といったふだんは冷静であったり物静かな漢ですら相貌を高潮させ、興奮して歓声を送った。
ただ一人を除いて、というその一人が女子であるのはいうまでもない。
信江だけは興奮状態でもはや掌のつけようもないお馬鹿な漢どもをなかば呆れ顔で眺めていたのだった。
『どうせ負け試合だ。夜勤明けでばてばての連中に代わってやってみるかね?』
伊庭とのやりとりで彼らの身体能力が尋常でないことを知っているDr.グリズリーがそう誘ってくれたのは、もはやどうあがいても逆転どころか点差を縮めることすら難しくなった終盤でだった。
「やりたい」「おれもやりたい」「わたしも」とだれもがやりたがった。が、この時分すでに現在と同人数の九人体制が確立していたので全員、というわけにはいかない。
試合の参加をかけ立ち合うというわけにもいかず、一行のなかでも器用で身体能力が高く、とくに団体戦に向く協調性のある藤堂、島田、相馬、厳周、若い方の「三馬鹿」がDr.グリズリーともう一人外科の医師とともに参加することになった。
動体視力が半端ない。最近では全員が弾丸を斬る、ことを目標の一つとして鍛錬している。球を打ったり捕ったりするのになんの苦労もない。若い方の「三馬鹿」などは宙返りやかなりの高さの跳躍からの捕球をしてそこに集まっただれをも驚かせた。無論、年長者四名も負けず正確な遠投や速球および捕球をし、打たせれば必ずどこまで飛んでしまったかわからぬほどの超場外大ホームランを放つなど、もはや観客が野次も歓声も忘れさせるほどの身体能力の高さと感覚の良さを存分に発揮したのだった。
気がつけば勝っていた。奇跡の大逆転というわけだ。
「漢どもって馬鹿ですわ」
グランドでおおいに盛り上がっている漢どもをみながら信江が呟いた。
その足許には白き巨狼が大型犬のふりをしてぬけぬけとお座りしている。
『あ?そうであろうか?』要領を得ぬ思念が返ってきた。大きくてふさふさの尻尾が右に左に振られて土の地面を掃いている。興奮している証拠だ。
(ああ、偉大なる益荒男神もお馬鹿な男児なのですね)
信江は呆れ表情でお座りしている犬もどきをみ下ろしたのだった。




