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Family duty and compose a haiku(家族サービスと句作)

 富士は偉い、とおれはつくづく思った。

 妻子が騎乗する岩手の後を、というよりかは息子についてゆく。

 大きな両の耳朶がつねに動いている。息子が母親に甲高い声で喋っており、それに耳朶を傾けているのだ。日の本の言の葉なのにわかっているのだろうか?その両の耳朶の周囲に二羽の蝶が飛び回っている。みたこともない異国の蝶だ。蝶のでかさまで故国のそれとは桁違いだ。

「亜米利加の 舞う蝶までも おおらかな」

 大地を進むことは富士に任せ、何年かぶりにひらめきインスピレーションに心身を委ねた。京でまだ伊東甲子太郎らが江戸からやってくる前まではときおりそれがわいていたが、それ以降は血生臭さしかなかった。それでも発句帳は蝦夷までもっていった。それだけが形としてある思い出だからだ。

 ズボンの尻ポケットからそれを取りだした。そこのまだ真っ白い頁を開けると一本の鉛筆ペンシルがはさまっている。これはまだ「The lucky money(幸運の金)」号で航海中にニックが使っていたのをみ、衝撃ショックを受けたのだ。ニックはそのとき1ダース贈ってくれた。いまでは愛着のある一品だ。

 日の本でも江戸初期に鉛筆はもたらされていたらしい。江戸幕府開祖の徳川家康とくがわいえやすの遺品のなかにあったらしいし戦国の勇伊達政宗だてまさむねも使用していたそうだ。だが、一般的には筆であることはいうまでもない。

 小刀ナイフで丹念に削った黒い芯の先を舌で舐め、それからいまひらめいたばかりの一句をさっそくしたためた。無論、その前頁までのそれらはすべて墨と筆を使って認めている。

(ふむ、なかなかのできだ・・・)久方ぶりのひらめきは、満ち足りた気分にさせてくれた。

「父上、よいできなのですか?」「ぎゃあっ!」背後から突然問われ、しかも同時に右肩から小さな頭が飛びだしたもんだから、不覚にも尻尾を踏まれた猫のような悲鳴をあげちまった。

「お、驚かせるな、坊・・・」心の臓が激しく鼓動をうっている。息子を頭ごなしに叱った。

 いつの間にか妻が岩手を富士の横に並べており、息子が富士に飛び移っていたのだ。

 発句に気をとられていたから気がつかなかったわけではない。気をつかせなかったのだ、息子が。

 轡を並べる妻をみると、昔のように掌を口許にあててころころと笑っている。

 きっと顔は赤く染まってるだろう。先程の総司の野獣呼ばわりよりよほど恥ずかしい。

 そこではたと思いだした。総司のやつが息子に重要任務とやらを与えていたはずだ。

「息子よ、よんだな?」後ろから発句帳を覗き込んでいる息子に問うと息子は右の耳朶のすぐ横でくすくす笑った。「わたしはまだ総司先生・・・・から字を学んでいません」「ああ、それはわかっている。そのよむじゃねぇ。わかってるだろう、息子よ?」不意に右肩が軽くなった。肩にあった息子の小さな顎がなくなった。それどころか背後から体躯ごとなくなった。

「母上、父上はすごい俳句を創るのですよね?松尾芭蕉っていう俳人よりすばらしいのですよね?」

 息子はすでに岩手の鞍上母親の前にちょこんとおさまり母親をみ上げ誇らしげに尋ねている。

 信江はさらに笑った。いまや大和撫子とは程遠い大笑いだ。

「ええそうよ、坊。あなたの父上はあらゆる意味で芭蕉を超えているわ」

 いまの句は妻もよんだ・・・はずだ。

 観念するしかない。これでまた総司に笑いの種を蒔いてしまった。

 まあいい。こうして家族と一緒にいて平穏なひとときを過ごせるだけでも。その上でささやかだがひらめけたのだ。贅沢この上ない。多少の精神的危険リスクは我慢できるはずだ。

 そう、総司をはじめとした仲間たちにもこのひらめきインスピレーションは共有すべきなんだろう。笑いという形で・・・。


 兎に角なにもない大平原だ。駒を進めども進めども岩陰木陰一つない。いったいこの亜米利加くにってのはどこまでこんなのがつづくんだ?と叫びたくなった。

 野獣になりたくともなれぬではないか?

 場所だけの問題ではない。息子もいる。まさか騎馬たちと遊んでこいと放置するわけにもいかぬ。

 焦燥は募るばかりだ。

 内心は妻や子もわかっている。会話もなくじつに微妙な空気が鞍上を漂ってる。

 頭上の太陽の位置で昼どきだと判断し、昼飯にしようと提案してみた。それを喰って一休みしたら戻ろうとも。

 くそっシット、権謀術数には慣れていてもこういうことは不得手だ。否、昔は違った。まだ浮名を流していた時分ころだ。あの時分ころはもっと器用だった。どんな女子おなごでもいかようにでもできた。

 しまった・・・。相貌、体躯に冷や汗が流れ落ちてゆくのを感じる。こちらをみる妻のはいかなる刃よりも鋭い。

 まずい、まずすぎるじゃねぇか?おれの句よりも、な・・・。

 そんなことねぇっ!みずから突っ込んじまった。

 ああ、系統の違う神よ、とりあえずはしばしの間大神むすこをどうにかしてくれ・・・。

 

 信江が作って持ってきた蜂蜜を塗っただけのサンドイッチとブリキ製の水筒にいれた紅茶ティーをせっせと準備する土方をみながらその妻は子に囁いた。

「昼を食べたら幼い子は午睡するのよ」、と。「ええっ!そうなのですか、母上?ですが・・・」

「いいから眠りなさい。それとも眠らされたいのですか、勇景?」子は口唇を閉じた。なぜなら、母親が本名を使うときはきまって真剣マジだからだ。

 結局息子は朱雀を呼び寄せ、鍛錬するといって両親から離れたところでしばし過ごした。

 とても傍できいていられないではないか、両親・・の睦言など。

 そうとは知らぬ土方はようやっと本来の目的の一つである妻との濃厚な接触スキンシップを果たせたのだった。

 目的の第一が親子水いらずで過ごす、ことはいうまでもない。


「青空や 寄り添い舞うかな 異国の蝶」

 沖田に報告された句だ。

 辰巳は慶応2年(1867年)に崩御された孝明天皇の影武者を務めたことがある。それ以外でも会津候をはじめ公家や武家の子息の影武者も経験しており、文武だけでなく詩歌管弦などの教養も人並み以上に備わっている。否、そういう面でも秀でていた。ゆえに土方の句を脚色した。上手すぎぬ程度に。

 沖田が拍子抜けしたのはいうまでもない。

 だが、父親の面子も保てたからよしとすべきなのだ。 


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