美女と野獣
この日、全員が思い思いに過ごすことになった。いわゆる休息日というわけだ。
土方は乗馬の練習も兼ねて遠乗りにでかけることにした。
というのは表向きで、じつは妻子と家族水入らずで過ごしたかったのだ。
厩舎に改造した小さいほうの畜舎で準備をしていると仲間たちがやってきた。
なにもしなくていい、と前夜突然いい渡されたときには「ゆっくり眠れるぞ」だとか「なにしようかな?」などとそれぞれ喜んでいたもののその日の朝にはほとんどの者がいつもの時刻に起き、信江の家事を手伝い朝食を摂った。それからおのおのが自らに課している目標に向けて鍛錬しはじめたり、まだすこし残っている開拓作業に従事したり、取り寄せた瓦版を読んで英語や政治経済を学んだり、とそれぞれ過ごしはじめた。
柳生親子は別の畜舎で刀の打ち直しに専念しているし、何名かはスー族の戦士たちとともにこの辺りの地形や部族の戦い方などを学ぶためにやはり騎馬で出掛けていった。
寝床で春眠を貪る者など皆無だった。
つくづく生真面目な連中だな、と土方はどこか誇らしげに感じた。
「姐御、副長が落馬せんように頼んますよ」
厩舎にやってきたのは「三馬鹿」と沖田だった。彼らもまたあまり得意でない乗馬の練習をするつもりらしい。
土方親子が準備をしているのをみてそういったのは原田だ。
「まっ坊が一緒に乗るんだ、副長は舟をこいでても富士は勝手に走ってくれるさ。なぁ、坊?」
足許に走り寄ってきた幼子の頭を撫でながら永倉がいうと、土方の眉間に皺が寄った。
「乗れねぇわけじゃねぇ。おれは甲府から神奈川まで騎馬を駆ったんだ。新八、それに左之おめぇらはそれをよく知ってるだろ?」
先の戦で京から江戸へと逃げ帰った後、新撰組は甲陽鎮撫隊として甲府城に向かった。甲府城は東進してくる新政府軍を喰い止める重要拠点。そこで新政府軍を迎え撃ち見事撃退し甲府城を護りきることができたらそこを局長近藤に与えられるという。そういうきいたかぎりではおいしい命が下された。文字通り一国一城の主となれる機会だということで即座にその命を受けた。それを立案し、与えたのが旧幕府軍の勝海舟や大久保一翁だった。
が、それは新撰組を江戸から追い払う口実だった。人のいい近藤はそれを鵜呑みにして喜び勇みすぐに快諾したが土方は裏がわかっていた。だが拒否はできない。近藤が引き受けたからだ。
わずかな手勢に粗末な武器装備そして故郷での遊蕩などでの遅延が重なり甲府城はあっけなく新政府軍にとられた。その際援軍を求めて土方は単騎で最も近くに駐軍しているであろう神奈川の菜っ葉隊へ騎馬を駆りに駆ったのだ。
そのとき、土方の懇願はていよく断られた。土方が憤ったのはいうまでもない。
結果、新撰組はほうほうのていで江戸へと逃げ帰った。その後近藤が新政府軍へ投降するという流山への逃避行へとつながってゆく。
「坊っ、きみに重要任務を与える。一緒にきたまえ」
「はいっ、先生っ!」幼子は一丁前に最敬礼してから沖田について厩舎の端のほうへといってしまった。
幼子がまだ言の葉を覚える前から沖田は幼子のそれの先生だった。いまもそれはつづいており、幼子は要所要所で沖田を先生と呼ぶ。
「総司のやつまたよからぬことを企んでやがるに違いない。また坊を使っていたずらするつもりだろうな、副長?」
苦笑混じりの永倉の予測に土方はその端正な相貌に口許には苦笑を、眉間にはふたたび皺を刻んで応じた。
「わかってる。総司のやつ・・・」
「土方さん、総司のいたずらはともかく、せっかくの親子水入らずなんだ、楽しんできてくださいよ」
頭の後ろで腕を組んだ藤堂がいった。
厩舎の外は陽が燦燦と大地に降り注いでおり、野鳥の鳴き声もきこえてくる。人間の格好もシャツ一枚にセーターをひっかける程度。暑がりの永倉や島田などはシャツ一枚でいいようだ。
じつに穏やかだ。
「そういえば坊の育ての親は?」動物好きの原田らしく、いつもだったら幼子とは一緒の白き巨狼がいないことを指摘した。
「ああ、なにゆえか柳生親子と一緒に過ごすといって向こうの畜舎にいってしまった」
(そうか、遠慮したんだ。さすがは年ふる神だけはある・・・)「三馬鹿」は同時に思った。
「姐御、野獣には充分気をつけてくださいよ」
沖田が幼子を連れて戻ってきた。仲良く掌をつないでいるところなど年齢の離れた兄弟のようだ。
「野獣、なんだそりゃ?野生動物だったら坊がいるから・・・」
藤堂がのんびりした口調でいいかけたところを、永倉がその口許を軽く平手打ちした。
原田は笑いを噛み殺している。
「ええそうします、総司さん。野生動物よりも野獣のほうがおっかないかしら?ですが息子がいますし、なによりわたしは野獣より腕が立ちますから」
信江は自身が騎乗する岩手の鼻面を撫でながら応じた。ドン・サンティスから送ってもらった十二頭のうちでどっしりとした馬体の曳き馬だ。曳き馬はもう一頭おり、その名を大山という。二頭とも曳き馬ではあるが元は人間を乗せていた騎馬。いまも騎乗するのになんの問題もない。
「総司っ!」土方は鋭く呼ぶと弟分に近寄った。弟分の足許で息子が可愛い笑みを浮かべてみ上げている。「なんですか、副長?」沖田はにんまりと笑った。余裕の構えだ。
なにせ土方には前科がある。土方が尾張で隠れている信江や沖田・原田を訪れた際、信江を連れだして野外でことをやってしまった。あらゆる想いや状況が重なり作用しての情熱的発作的な流れではあった。
その結果がいま沖田の足許にいる。
「副長、さらなる神を増やさないように願いますよ」沖田は渋面の土方の耳朶にさっと囁き、それから「姐御、愉しんできてください。坊、きみも愉しんで。でも任務は忘れるな。さぁおれの相棒がお待ちかねだ」小さな手下の頭を撫でると、沖田は馬房のほうへと走り去ってしまった。
沖田の愛馬は赤鹿毛で馬なのになにゆえか二枚目な馬面の天城である。
「総司ーっ!」
走り去る沖田の背に土方の怒鳴り声と複数の笑い声、そして口許を平手打ちされた藤堂の呻き声があたって砕け散った。