新興流派のすすめ
厳蕃のその提案は全員を興奮させた。
若い方の「三馬鹿」の「すっげー!」、「真にですか?」、「やったね!」にはじまり、普段は物静かな山崎や相馬もなにやら騒いでいる。そして、永倉、斎藤、沖田といった大御所すら興奮気味だった。
「自分たちで流派を興そう」
これがこの集団を沸かせた厳蕃の一言だった。
「ここには各々違う流派を学んできた者が集っている。なにも剣術だけではない。槍の達人もいる。武器だけではない。体術もある。つまり剣もしくは武器によらず、これまでのあらゆる武格闘術によらず、なにものにもとらわれぬわれわれ独自の戦闘術を編みだせばいい。なーに、時間だけはたっぷりある。全員で試行錯誤を繰り返せばきっといい術を編みだせるに違いない。それまでに到る過程にも意義や意味があるしな。それをこのなかではまだ若い鉄、銀、良三がつぎへとつなげてくれればいい」
さらに若い幼子が入っていないのを市村が指摘した。
「あぁそうだな、わが甥も、だ」厳蕃の刹那の間が気になったのは指摘した市村以外の全員だっただろう。
「やはり宗祖は師匠でしょうね?」斎藤が尋ねた。こと刀や剣術の話になるとこのおとなしい漢ですら俗物となりはてるのだ。
「まさか。穢したとはいえまがりなりにもわたしは尾張柳生の当主だったことがある。ここはわが義弟に一任しようではないか」
「さんせーい!」意外にも沖田が叫んだ。全員が同じ思いでこの「副長のいじり屋」に注目した。当の土方も含めて、だ。
「だって師匠を除いてその資格がある者は、当主だったり皆伝だったりするでしょう?しいていうなら一さんだけど控えめな一さんが宗祖なんて肩書きを背負いたがるわけないし。それだったらお情けの目録もちの目立ちたがり屋の副長なら万事うまくおさまるでしょ?」
ああやはり、と全員が無言のうちに納得し頷いた。苦りきった表情の当の土方も含めて。
流派の名はおいおい決めることとした。なぜなら、おのおの提示した案がありすぎたからだ。
また一つ一行に目標ができた。これは長期に渡るものであり、一行にとっては生涯をかけた一大事業になりそうだ。
打ち身の癒えた柳生親子を含め、乗馬も含めた鍛錬に余念がない。無論、農場の整備開拓もだ。
短期間に全員が逞しくなった。そして精神面でも向上がみられた。
若い方の「三馬鹿」もずいぶんと成長した。市村のお馬鹿ぶりはあいかわらずだが、鍛錬でも作業でも率先して挑むところなどもはや立派な新撰組の隊士だ。入ってきた時分の局長・副長両局長付きの小姓とはみる影もない。
市村の相棒は「伊吹」だ。市村は美濃大垣の出身で故郷に近い山の名を与えられた騎馬を相棒とした。黒鹿毛の小柄な騎馬である。だが走るその速度は上位に入る。
えてして馬は動物のなかでも頑固者の部類に入る。自身が気に入らなかったり機嫌が悪かったりすると手がつけられない。伊吹は一行のなかでもとくに頑固だった。古巣の騎馬隊から転売に転売を重ね、ここにたどり着いたときにはすっかり人間を信じられなくなっていた。市村がどれだけ友好的かつ下手にでても後脚で蹴りつけそうな勢いで拒絶した。これにはスー族の戦士たちも手を焼かざるを得ない。こうなってしまうとある意味では野生馬を調教するよりも難しい。
そこで幼子の登場だ。
『伊吹っ!』
ある朝、幼子は調教用の馬場にやってきた。そしてその小柄な黒鹿毛に向かって叫んだ。その横で市村が手綱を握って立っている。幼子が現れる直前から伊吹はそわそわしはじめていた。
大きな二つの耳朶が動いた。刹那、小柄な馬体が柵の入り口に立つ幼子に向いた。
「鉄兄、手綱を放してっ!」幼子の注意と騎馬が地を蹴ったのが同時だった。間一髪、手綱を放した市村は走りだした騎馬に引き摺られずにすんだ。
『伊吹、伊吹、黒鹿毛の小兵、戦ではその走りで敵を驚かせたんだね?』騎馬は走り寄るとその長い鼻面を小さな幼子の体躯に擦り付けた。
『これからはわたしたちにその力を貸しておくれ。一緒に走ることを愉しもうよ、伊吹』大きな耳朶に英語で囁くと騎馬は即座に了承の意を示すように馬首を縦に振った。
「鉄兄、乗って!遠乗りにいこう」
伊吹に鞍はのせておらず馬銜のみ装着している。
「おうっ!」市村はいわれるままに伊吹に飛び乗った。市村は蝦夷で乗馬経験がある。市村の前に幼子も飛び乗った。
『さぁゆけっ!』幼子の言葉とともに再び地を蹴り走りだした伊吹。跳躍一番、柵をも優雅に飛び越えてあっという間に農場の彼方へと消えてしまった。
野生馬の調教もこの調子で進められた。
騎手も含めて準備は整いつつある。