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2-2.プリュニエ・ファーマシー

 それはアストライアの案内で街の中心部へと向かっていたときだった。

 徐々に賑やかさを増す通り。するとそれに合わせたかのように人通りも増えていく。


「ぅわっ!?」


 活気さに包まれてる街並みに目を向けながらアストライアと並んで歩いていると、不意に身体が何かとぶつかった。

 その衝撃で身体がふらついたが、アストライアが支えてくれたくれたことで聖鞠はどうにか転倒を避けられた。


「ヒマリ様、大丈夫ですか?」


 恭しい声音が耳のすぐそこに落とされる。

 アストライアの美麗な顔立ちが目の前にあって、思わずときめきそうになった。


「だ、大丈夫よ。あ、ありがとう」

「いえ、これも従者の務めですから」


 ────騙されるな。この爽やかな笑顔の裏は暗黒である。

 こいつにときめくなどとんでもないと、聖鞠は慌ててアストライアから離れた。しかし、助けてもらった身なので、一応の礼儀として感謝を伝えるのは忘れない。


(ていうか、私何とぶつかったんだろう……?)


 正面に視線を戻して衝撃の正体を探すが見当たらない。

 セーラー服が相手を弾かなかったということは、例えばスリなど聖鞠に対して危害を加えるつもりでぶつかってきたわけではないということだ。

 そもそも余所見をしていたのは聖鞠だ。ぶつかったのは全くの偶然だろう。しかしその相手はどこにいるのか?

 少し視線を下げてみる。すると、フード付きのマントを羽織った少年が尻もちをついていることに気がついた。


「ご、ごめんね! 怪我、してない?」


 ぶつかった相手が子供だと分かり聖鞠は焦った。慌ててその場で膝をつき、少年の様子を伺う。

 周囲には彼が持っていたと思わしき荷物が転がっていた。


(……あれ、なんかこの子……)


 マントの下に見えた少年の衣服は、道行く人々のものと比べると貧しそうな印象があった。

 元は純白であっただろうシャツはくすみ、裾はほつれた糸がそのままになっている。ズボンも穴が空いており、膝小僧が丸見えだ。

 お世辞にも綺麗とは言えない服装だった。


「大丈夫? ──はい、荷物拾っておいたよ」


 レアスの言語で“薬草”と書かれた小袋と、たくさんの錠剤が入った抗瘴剤と記された透明な筒。

 その他に回復薬(ポーション)などと記された液体入りのボトルがいくつかあり、少年の腕で抱えるには少し多いように思えた。


「たくさんだね。ぶつかっちゃったお詫びに手伝おうか?」


 これはあくまで、ぶつかったのはこちらが余所見していたのが原因だからと申し出ただけである。

 しかし少年は、すっと立ち上がったかと思えば聖鞠から荷物を受け取ることなく走り去ってしまった。


「えっ、あっ、ちょっと……!」


 慌てて振り返るも時すでに遅し。少年はあっという間に人混みの中に紛れ、見えなくなってしまっていた。


「おやおや、慌てん坊さんな少年でしたね」

「そんな呑気な……。これ、どうすんのよ……」


 聖鞠の腕の中には彼が落としたアイテム。ラインナップから見るに、回復関係という割と大事そうなものばかりだ。

 それなのに少年は行ってしまった。

 仕方なく聖鞠はポーションを一本手に取り、ラベルに書かれた文字を読んでみる。


「……えーと……プリュニエ……ファーマシー……。ねぇ、アス──テル。これどこか分かる?」

「はい、アステルです。ヒマリ様」


 アストライアと言い掛けたことに気付いていたようで、わざと名前を強調した返事をされた。

 しかしそれに逐一反応していられない。聖鞠は黙って彼の前にポーションを差し出した。

 夕焼け色の瞳がラベルの文字を辿る。


「……この大通りをもう少し進んだ先に薬屋がありますが、これはそこのものではないようですね」

「他にはないの?」

「うーん……あぁ、でも確か……小道に入った先に小さな店があったかもしれません」

「そう。じゃあそこに連れてって」

「おや、アクセサリーなどはよろしいのですか?」

「見たくてもこの荷物をどうにかしないと見るに見れないでしょうが……」


 日本では調剤薬局で販売された薬は購入者の履歴が残る。

 もしレアスにおける薬屋が調剤薬局と似たものなら、先程の少年がどこの誰かが分かるかもしれないと思ったのだ。

 自身の考えをアストライアに伝えると、レアスにおいても特別に調合された薬は指導が必要なのでしっかりと記録されているというので安心した。

 ならばプリュニエ・ファーマシーに行けば、あの少年にこのアイテムたちを返すことができるはずだ。

 そこに預けておけばきっと少年が取りに来るだろうと思って。




 アストライアの言ったように、大通りを逸れて入った狭い小道の突き当りにその薬屋はあった。

 人気をまったく感じない寂れた空気の中にぽつん、と。


「……本当にここなの……?」

「うん、ここのはずだけど? ──ほら、ちゃんと看板に書いてあるよ。プリュニエ・ファーマシーって」


 従者モードから素に戻ったアストライアが示した先には、確かに看板がある。


「めちゃくちゃ色褪せてるじゃないのよ……」


 もうどれくらい塗替えをしていないのだろう。看板の文字は元の色が分からないほどに日に焼けて色褪せ、おまけに文字の端々が崩れてしまっていた。

 窓ガラスは一部が割れたままで、雑な修繕の跡が目立つ。

 木造建てのその外観はぼろぼろで、築何十年も経っているのが見て分かるほどだ。


 小道に入るとき、控えめに掛けられた案内板を見かけている。

 しかし、いざ案内に従えばその先にはオンボロな見た目の店が一つしかないのだから、本当に営業しているのかと怪しんでしまうのも無理はないだろう。


「とりあえず入ってみるしかないんじゃない?」

「……まあ、そうね」

「それではお先にどうぞ、聖女様」


 アストライアが錆びた鉄のドアノブを掴んで開いた。まるでドアマンの如く恭しく促されて、聖鞠はその先に足を一歩踏み入れた。


「すみませーん、どなたかいらっしゃいますかぁ……?」


 おそるおそる声を発してみるも外と同じく店内にも人気がない。

 内装も外装に並んで古ぼけた印象だが、あまり埃っぽくはない。見渡した棚にも小瓶や大瓶が雑多に並ぶカウンターの上にもあまり埃は落ちていないのを見て、間違いなく現在進行系で営業中の店だろう。


 しかし聖鞠の発した声は、店内に満ちる静寂に消えていくだけだった。

 物音ひとつ返ってきやしない。


「誰もいないのかなぁ……?」

「鍵が開いていたからさすがにそれはないと思うけど」


 ドアを閉めてアストライアも店内へと入って来た。それ以外はシーンとしている。


(場所は間違いないよねぇ……)


 腕に抱えていたボトルたちをもう一度見下ろす。外の看板とラベルに書かれている店の名前は一致している。

 もしかしたらタイミング悪く外出しているのかもしれない。きっと偶然鍵を締め忘れたのだろう。

 このまま待っていてもいいが、せっかくなので街をちゃんと見たい。今は聖女スキル“オールアイテム”で収納しているが、これはメモでも残して荷物を置いていくほうが早いかもしれないと聖鞠は考えた。


「ねぇ、アストライア。何か書くもの持って──むぐ」

「……シッ! ヒマリ、黙って」


 言葉の途中で口を塞がれた。アストライアの手のひらで。

 黙ってと言われたのでとりあえず黙ったが、とりあえず手を外せと思った聖鞠である。この王子、良い匂いがする。


(一体何なの)


 アストライアはじっと黙って、何か耳を澄ませているようだった。

 何かが聞こえたのだろうか。聖鞠も静寂な空気に耳を傾ける。

 すると────。


 ────す──て。


 細々と何かが聞こえてきた。

 これは声なのだろうか。しかし何を言っているのか分からない。


 ──すけて。

 ────タスケテ……。


 ぞわっと、寒いものが背筋を駆け抜ける。

 聖鞠は思わずアストライアにしがみついていた。


「ちょ、ちょ、たす、助けてって……! 何この声……!?」


 人気のない、お世辞にも綺麗とは言えないオンボロな建物内でか細く響く声。まるでホラーである。


「何を怖がってるの、ヒマリ」

「こ、こわ……っ!? 違うわよ、普通、驚くに決まってるでしょう!!」


 嘘である。ホラーものが苦手な聖鞠には充分怖かった。


「声は奥から聞こえてくるみたいだけど、行ってみようか」

「は!? 行くの!?」

「だって、助けてって言ってるんだし。ゴーストじゃなかったらどうするの?」


 ────逆に人間じゃなかったらどうするのよ!

 という言葉は飲み込んだ。聖鞠がしがみついたままであるのも厭わず、アストライアが店の奥に向かって歩き出したからだ。


 カウンターの中に入り、奥へと続くドアを開ける。

 ギィィと蝶番を軋ませながら開かれたドアの先は薄暗く、かろうじて窓から入り込む外の明るさが足元を見やすくしてくれていた。

 木造の廊下はオンボロな見た目と相応しく、角には穴があって床の下を覗かせている。足を乗せるとドアと同じく軋んだ音を立てるので、底が抜けやしないかと不安が拭えない。


 ────タス……ケテ……。


 二階へと続く階段と奥へと続く廊下。声は廊下の奥から聞こえてくるようだった。


「ゆ、ゆっくり進みなさいよ……っ」

「はいはい」


 アストライアの背中にぴっとりと身を寄せて進んでいく。

 ぎっ、ぎっ、ぎっと、軋んだ足音が響くのが恐怖心を煽る。

 少しずつ、少しずつと声の出処へと近づいていた。

 廊下の奥を曲がった先にあったドアの向こうに声の主がいるらしい。


 ────タスケテ……。


 アストライアが背中の聖鞠を振り返って、目で何かを伝えてくる。

 開けるよ、ということだろう。聖鞠は緊張で高鳴る胸を押さえながら、こくりと頷き返した。


 アストライアがノブにそっと手を置く。

 そしてゆっくり──ではなく、一気にドアを開いてみせた。


 そこに広がっていた光景に、聖鞠は目を見開く。


 ここは倉庫なのだろう。

 背の高い棚が壁三面に渡って並び、薬の材料と思われるものがたくさん並んでいた。

 しかし一部がごっそりと空いており、その空いた棚の真下のあたりには割れた小瓶や乾いた草が散らばっている。


 そして見えたのは足。

 そこには、老婆が一人倒れていたのだった。

※サスペンス、ミステリー展開はありません。

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