19話 挿話 一日の終りに
ステンレスの使い込んだカップにウィスキーの濃い水割りが香る。
ひと口、喉を焼き滑り胃の腑へと落ちる。
「ふうぅ」
溜め息とも吐息とも付かない声が漏れて出た。
夜営の小さな焚き火に、就寝前の寝酒が一日の終りを区切った。
見上げれば満天の星。
見渡せば夜の水平線はオボロに曖昧ながらも、天の川の星々が海に沈む。
大地を走り今日の今夜、寝床を張って尻を降ろした地面のココから、夜の海が誘う様に途轍もなくソコに在る。
夜の肌寒さなジャケットのポッケトを探り、タパコを一本取り出す。
野外の風からタバコに火を着けるのは焚き火に直着けだ。
深く吸い込んだ煙は旨いがたゆう間も無く流され消える。
酒とタバコの煙を混ぜて体の中へ。
心に引っ掛かり邪魔をするモノはこの時だけは何も無く、止まって居る様な時も味わいに為る。
ジッと、ボンヤリと、夜の中にたたずむ。
その自分の中から泡の様にポカリポカリと浮かび上がってくるモノが有る。
何かを得ようとすれば、何かを失う。
何かを守ろうとすれば、何かとブチ当たる。
今の世の中じゃ生きるのは、どうしょうも無く磨り減っていく事だ。
銃を持って殺し合う代わりに、蝕む毒を毎日飲み込む様だ。
生きるって事はそんなモノなのかも知れないが、やるせなさ過ぎる。
一日、一日を何とか生き延びるのだけれど、その一日、一日が、自分を殺している様だ。
カップのウィスキーをひと口。
タバコを深く吸う。
夜の海から足元の小さな焚き火へと眼をやる。
一日の走りに身体と心、魂に、溜まりこびり付いていたモノを洗い流した。
それでも芯まで沁み込んだモノは、まだ取りきれていず残っている。
もっともソレまで消えてしまうと自分が自分じゃ無くなり、消えてしまうだろう。
誰に見せるでも無い苦笑いを浮かべて、カップからもぅひと口。
唇の端からタバコの煙を流し出し、顔を上げる。
満天の星空。
世界ってのは人の命の尺度とは別モノだ。
それが憧れで、それが無性に悔しい。
ちっぽけな人間に、幸せってのがこの世の何所かに有るらしい。
ソレが手に入れば満足出来るのだろうか。
分からない。
誰かが真実、隣に居てくれたなら。
そんな夢は昔に諦めたモノのひとつ。
こんなヤツに為ってしまった自分では、今さら他人とは煩わしくて一緒には居られないだろう。
吐息をひとつ、カップから甘いウィスキーを飲みタバコを深く吸う。
再び眼をやれば、暗い夜の海に沈むきらめく天の川。
夜の大気がヒンヤリと身体と己を冷ましてくれる。
片手を伸ばす。
夜の中へ、空へ向かい、星々へと。
指を広げ、つかみ取れたなら、本能の如く。
かなわないのは分かっている、けれども憧れずにはいられない。
全て、全部がそうだった。
知った時は既に手遅れで、気が付いた時はどうにもならず、分かった時は諦めるしかなかった。
そんな事の繰り返しの果て、人の命は短すぎる。
今、自分に有るのは走る事くらいだ。
誤魔化しが効かない数少ないモノと向き合い、命を剥き出しにただ走るだけだ。
それでやっと生きていると実感して、また日々を繋げて行くだけだ。
こんな自分に残っているのはそれくらいなモノで、それだけが縋るモノなのかのかもしれない。
伸ばした片手を胸元にカラッポの手の中を見る。
何が残ったのか。
掴めたモノはもっと有ったのかも知れない。
お利口に立ち振る舞えば得たモノはもっと有ったろう。
でもソレが出来なかった。
バカだから。
笑っている自分が居る。
それが答えだ。
明日も走ろう。
それだけでいい。
十分だ。
走る事は生きる事で命そのモノだ。
それ以上、何が有る?
静かにたたずむ相棒のバイクへと目をやり、カップの酒を飲み干し、タパコをひと口吸ってから消えかかっている焚き火に放り込んだ。
明日のために小さなテントへと潜り込み寝た。
いつか。
いつか。
いつか、全てを無くして走る日を夢見て。




