十九話
レオの処遇をどうするか決まったという連絡が入り、ロイドは書類を捌いていた手を止めた。部下に指示を残し呼び出された会議室へと向かう。
脳裏に赤茶色の髪の娘を思い浮かべて、彼女が悲しむ結果にならなければいいと願う。感触は悪くなかった。良くて国外追放、悪くて生涯幽閉というところだろうか。
後者になれば何のためにエルーシャが命を賭して助け出したかわからなくなる。レオのためというよりは彼女のためにも、できればそれは避けたかった。
知らないうちに自分の頭の中を一人の少女が占めていることに気づくと、何度目かの自嘲が零れそうになるのを噛み殺す。本当に、自分はどうかしてしまったようだ。
為政者として、メイザンに仇をなす可能性がある者は排除しなければならないことは百も承知だ。これまでは冷静に見極めてきたというのに。
……彼女を前にすると全てが狂う。
ふとした瞬間に重なる影に、まさか、そんなはずはないと幾度も否定した。エルーシャ自身が言った通り、王女の面影を追っているからあたかもそれが真実のように見えるのだと。
それに、ロイドは非常に現実的な人間である。生まれ変わりなどという超常現象は信じていない。もし誰かに己がそうだと言われたとして、嘘つきか病気患いと断じるだろう。
だからこそ、エルーシャの行動にも自分の思考にも理由がつかず、困り果てているのだが。
会議室の前に着き、伴ってきた護衛騎士を置いて部屋の中へ入る。既にファノンとレオが話を進めていた。
促されて椅子に座ると、早速ファノンが結論に向けて話し始める。
「殿下もいらしたところで最終確認をしたい。レオ、君は本当に記憶がないのだね」
「はい、今更自分が何者かなんて興味ありません」
「たとえ自分がエミリオ王子だと言われても、王権を回復しようなどとは思っていないと」
「自分が担ぎ上げられるなんて想像するだけでぞっとする。野心とか栄誉とかどうでもいいです」
国のトップを前にして言うことではないと思うが、レオは臆さず言った。
ファノンは気を悪くした様子もなく頷く。
「よろしい。それでは今から君の名前はレオ・サイナスだ。北の寒村出身の30歳。盗賊団の一味だったが捕まり永久国外追放となった。再びルクサンディの国境を跨いだら、理由を問わず即死刑、それでもいいかい?」
「構いません」
レオが迷わず承諾すると、ファノンは紙を差し出した。
「それじゃあここにサインしなさい」
レオが内容も見ずに書こうとしたので、念のためロイドが問題ないことを確かめてからレオに書類を返す。
ファノンはその様子を面白そうに眺め、今度はロイドに書類を差し出した。公式の内容を記すために使われる上質な羊皮紙だ。
「殿下はこちらを。実は、エミリオ王子が生きているという説がしぶとくくすぶっていた理由は、発見された少年の遺体が王子本人だと誰も判別できなかったからなのです。遺体は地下水路で見つかり、王子の衣服を身に着けていたのですが、いかんせん顔が膨れ上がって生前の見る影もなかった。一応王族の系譜には死亡と記されましたがね。ちょうどよい機会ですから、殿下にはエミリオ王子の死亡を間違いなく確認したという署名をいただきたく思います」
ロイドは説明を聞きながら書類に目を通した。既にルクサンディの高官たちのサインが入っている。後はロイドのみという状態だ。
ロイドはさらさらとペンを滑らせファノンに返した。
「ありがとうございます。これでエミリオ・フォン・マクラミンは完全にこの世から消え去った。ルクサンディ以外のどこへでも好きな場所に行くがいい。殿下、彼の手綱を離さないようお願いしますよ」
「わかっています。寛大な処置に感謝します」
「はは、殿下に良いようにやられてしまいましたよ。さあ、さっさと連れて行ってください」
ファノンは娘に「狸か狐」と評された笑みで2人を追い出した。
会談室を後にして、ロイドはレオに尋ねる。
「よかったのか? 二度とルクサンディには戻れない」
「いい思い出は何もないから、捨てていくにはちょうどいいです」
彼にとってはまぎれもなく生まれ育った地だというのに、その顔は晴れやかだった。
一度エルーシャの元へレオの処遇について報告するために訪れた以外は、淡々と帰国のための準備を進めた。
そして帰国が翌日に迫った日、ロイドは金髪の青年を己の部屋に呼び出した。手元には一枚の羊皮紙がある。劣化したそれを破らないよう、優しく撫でる。
紙が入っていた木箱が見つかったと聞いた時、ロイドは「まさか」と「やはり」とが入り混じる思いがした。土に塗れていた木箱の汚れを落とすと、それは美しい彫刻の模様が現れたのだった。
レオが到着したと知らせを受け、入室を許可する。糊のきいた服を纏うレオは、なるほど多少陰気だが憂いを帯びた貴公子に見えなくもない。
レオはファノンに対峙していたときよりも緊張した面持ちで目の前に立った。
「お呼びと聞いて来ました」
かしこまった口調に内心苦笑する。彼の世間に対して斜に構えるような質はもう知っている。
ロイドはその紙を手渡した。
「これに見覚えは?」
「何ですか、これ? ……落書き?」
レオは幼児が描いたらしき絵を見て首を傾げた。初めて見るという表情は嘘をついているようには見えないが、注意深く観察する。
エルーシャには王子と王女が隠したという箱は見つからなかったと話したが、実際は彼女が語った通りの場所に語った通りの物が納まっていた。王女が気に入っていたという髪飾り。王子が描いたという家族の絵。
髪飾りにはラヴィニア王女の瞳の色に合わせて紫水晶があしらわれていた。長年手入れされなかったために金がややくすんでいるが、紛れもない王家の逸品である。
その髪飾りの上に、羊皮紙がそっと被されていた。金銭的には価値のない、しかし幸せだった頃を写し取った思い出の残片。
レオはしばらく感慨なさげに落書きを眺めていたが、一瞬心をどこかへ置いてきたかのように遠くを見つめたように見え、ロイドは鋭く問いかけた。
「どうした?」
「いえ……」
レオは首を振った。
「見覚えはありません。家族の絵なんて縁遠い人生でしたから」
「そうか」
「役に立てなくて申し訳ありませんね」
取り繕おうとしてもついひねくれた言い方が出てしまうのか、レオの申し訳なさそうに聞こえない謝罪に今度ははっきりと苦笑する。
「いや、手間をかけさせたな。メイザンへ発つのはまもなくだ。ゆっくり故郷に別れを告げるといい」
「故郷というほど思い入れはないですが、そうさせてもらいますよ」
レオはおざなりにお辞儀をした。顔を上げてさっさと振り返る――その一瞬前、彼の頬に一筋の跡を見たような気がしてロイドは呼び止めた。
「おい」
「……何ですか」
青年は背を向けたまま答える。
「本当に見覚えはないんだな?」
「ありませんよ。それでは」
素っ気なく告げて去っていく後姿をロイドは無言で見送る。
そして残された絵に目を落とし、深く思考に沈んだ。




