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第14話 届くはずだったもの

「おい……それ、本気で言ってるのか?」


自警団の持つ魔物避けの匂い袋が、長年交換されていなかった事実を聞き、カイルの声が鋭く張り詰める。


同時に、焚き火の火が小さく爆ぜた。


自警団の男たちは、なぜそんな反応をされたのか分からず顔を見合わせる。


周囲には、奇妙な沈黙だけが落ちた。


この匂い袋は、本来二年に一度交換するものだった。


魔物素材を使っているとはいえ、永遠に効果が続くわけではない。実際には三年近く保つが、配布の遅れも考え、余裕を持たせていた。


それは国へ献上した際、カイルが望んだことだ。

素性を伏せた文書で、王へ伝えられた願いだった。


金も名誉もいらない。

作り方も素材も全て渡す。

だから継続だけはしてほしい。


アロン王は、その願いを受け入れた。


灰葉草はいようそう赤鈴実あかすずみも、そこらに生える雑草同然の素材で、価値はない。


必要なのは、それを摘み取り、加工し、袋へ詰めるための人手と、布の切れ端、それに保存用の食用油程度だった。


魔物素材についても、トリニティ・クロスで商品加工する際に出る血と骨を使えば足りる。


それでも、数を揃え、継続して回すには金がかかる。


だからこそ、国の負担を抑えられるようエルマーとも何度も話し合った。


製造は各地のヴァルディア商会支部が受け持ち、現地生産で輸送費も抑える。


利益も乗せない。


継続して配れる仕組みを整えた上で、国へ提出した。


――だが。


現実は違うのか。


カイルだけが、異様なほど静かだった。


「……今、持ってる匂い袋、見せてくれ」


自警団の男たちは戸惑いながらも、腰や首から袋を外して差し出していく。


どれも汚れていた。


泥や汗が染み込み、布の色もくすんでいる。


長く使われてきた証だった。


カイルはその一つを開き、匂いを嗅ぐと、ゆっくり息を吐いた。


香りは、ほとんど死んでいた。


草の青臭さも、実の渋い匂いも抜け落ち、古びた臭いだけが残っている。


「……これで、魔物は逃げるか?」


自警団の男たちは顔を見合わせ、それから苦笑した。


「前ほど効かねぇな」


「昔はもっと嫌がってたんだが……」


「でも、最初の踏み込みを躊躇ったり、距離取る奴はまだいる」


――当たり前だ。


効果はほとんど残っていない。


それでも僅かな残り香に、本能的な警戒が反応しているだけだ。


本来なら、もっと生き残れたはずなのに。


だが今のこれは、辛うじて“ないよりはマシ”という程度だった。


カイルは一瞬、捨てた方がいいと思った。


だが、自警団の男たちは袋を大事そうに握り締めていた。


「お守りみたいなもんだな。俺たちの命綱だ」


その笑顔が、余計に胸を刺す。


「これのお陰で、死ぬ奴減ったしな」


「弟も、足は持ってかれたけど命までは取られなかった」


焚き火の明かりの中、男たちは少しだけ笑った。


カイルは、一瞬だけ目を伏せる。


「……そうか」


短く呟くと、袋を一つ手にしたまま立ち上がった。


「ちょっとこれ、貸してくれ」


そのまま踵を返すと、ルークを連れて焚き火の反対側にいた傭兵たちの方へ向かっていく。


「お前らの持ってる匂い袋、見せてくれ」


傭兵たちは「何だ?」と顔を見合わせながらも袋を放る。


カイルは中を確認し、眉を僅かに動かした。


――違う。


こちらは香りが生きている。


灰葉草と赤鈴実が混ざった、独特の落ち着いた匂いが残っていた。


「……新しいな」


「あぁ。組合から支給されるからな」


傭兵の一人が肩を竦めた。


「仕事受ける時に確認されるんだ。古かったらその場で交換される」


「なるほどな……」


要するに、傭兵側は管理されている。


だが、自警団側は違う。


国から支給されているはずなのに、森へ入り、魔物を相手にする一番必要な連中へ届いていない。


カイルは無言のまま、帳簿を見ていたエルマーの元へ向かった。


「……エルマー」


その声は、明らかに尖っていた。


「この匂い袋、ちゃんと継続して作ってるんだよな?」


「あぁ、もちろんだ」


エルマーは即答する。


「国からの依頼だ。一度に全て交換するのは無理だからな。地域ごとに周期をずらし、順番に配っている。それに無くならないよう、灰葉草も赤鈴実も栽培している」


カイルは無言で袋を差し出した。


「……なら、これは何だ?」


エルマーは袋を開き、表情を変える。


「……これは」


香りが死んでいる。


一瞬で理解した。


「どこかで止められているな……」


カイルは腕を組み、焚き火の近くへ吊るされた即席の匂い袋へ視線を向けた。


「遠征用に流してるのか……?」


今回のように、大規模な遠征や野営で使っているのか。


貴族側が支給品を自分たちへ優先して回しているのなら、現場の自警団まで数が届かないのも理解はできる。


すると、エルマーが静かに口を開いた。


「足りないなら追加で注文を入れられる。流石にそっちは、きっちり金を貰うがな」


カイルは静かに瞼を閉じた。


「……なら、やっぱりどこかで止まってる?」


そして、エルマーを見る。


「自警団を管轄してる貴族には、ちゃんと届いてるんだよな?」


「あぁ。荷受けの署名も毎回もらっている」


「……なら、領地側までは届いてるのか」


貴族によっては、複数の村や街を抱える大領地もある。


物資が領都へ届いたあと、そこから更に各地へ運ばせることも珍しくはない。


カイルは顔を上げた。


「……ノエルを呼んでくれ。ヴァルデン伯爵家の流通網なら、こういうの詳しいだろ」


しばらくして、元騎士の護衛――ノエルが焚き火の側へやって来る。


「お呼びでしょうか?」


カイルは匂い袋を放った。


ノエルは受け取ると、中を確認し、すぐ眉を顰める。


「……古いですね」


「自警団が持ってたやつだ。交換もされてない」


ノエルは袋を軽く指で弄びながら、静かに目を細めた。


「なるほど……」


カイルは腕を組んだ。


「荷受け証明はあるらしい。領地側までは届いてる……村や街を多く抱える領地だと、その後は誰が運ぶんだ?」


ノエルはそれならと、すぐに答える。


これでも幼い頃から、貴族として家の事業や金の流れについては学ばされてきた。


「大抵は、領地専属の運送屋か、領主家の使用人を使うことが多いです」


「……なら、そこか」


領地を治める貴族だけではない。


荷へ触れる人間が増えるほど、管理は曖昧になる。


「運送屋か、使用人か……どっちにしろ、そいつらも、途中で止めようと思えば止められるってことだよな」


ノエルはすぐには頷かなかった。


「……これは、あくまで私の考えですが」


一度、言葉を区切る。


「魔物の被害は、この国だけの問題ではありません」


周囲の視線がノエルへ集まる。


「これほど効果のある魔物避けなら、他国では高値が付きます」


そして、少しだけ声を落とした。


「止められているというより――横流しされている可能性の方が高いかもしれません」


ルークが「えっ?」と声を上げた。


「た、ただで配られてる物を売るんすか?」


「客の荷を盗み、売り払う運搬屋もいます」


ノエルは淡々と続ける。


「盗賊に襲われたと偽り、荷の一部を消す。あるいは、“紛失した”で済ませることもある。特に高価な品ほど、国内より他国へ流した方が足が付きにくい」


ノエルは匂い袋へ視線を落とした。


「この魔物避けなら、それと同じだけの価値があるでしょう」


その言葉に、カイルは眉を顰めた。


「……いや、こんなもん売れるのか?」


すると、エルマーが低く口を開く。


「知る限り、似たものはあっても、ここまで効く物は他国にもない」


焚き火の火が小さく揺れる。


「……正直、販売は私も考えた」


ルークが「えっ」と息を呑む。


エルマーは静かに息を吐いた。


「だがやめた。民を守るために作った物だと知っていたからだ」


誰もすぐには口を開かなかった。


その瞬間。


「クソっ」


全員の視線が集まる。


カイルは、“横流し”という言葉に本気で悔しそうな顔をしていた。


そして、低く吐き捨てる。


「腐った連中ばっかりだ」


焚き火の火が、ぱちりと小さく爆ぜる。


重たい沈黙が落ちた。


離れた場所にいる自警団員たちは、何が起きているのかまでは分かっていない。


だが、エルマーもノエルも、ルークでさえ、カイルが今、誰に怒りを向けているのかだけは理解していた。


だから誰も、軽々しく口を開けなかった。


「とりあえず、自警団が持ってる匂い袋を、ちゃんとしたやつに変えてやらなきゃな」


そう言い捨てると、カイルはルークへ視線を向けた。


「ルーク。ナイフ持って来い」


「へいへい」


ルークは荷物から狩猟用ナイフと吊りランプを持って戻ってくる。


二人は、そのまま当然のように森へ入っていった。


魔物が出るかもしれないと言っていた直後とは思えない。


エルマーはすぐに顔を上げる。


「ノエル。数人連れて追え」


「承知しました」


護衛たちが後を追う。


やがて灰葉草の群生地へ辿り着くと、カイルは腰のナイフを抜き、片っ端から葉を刈り取っていく。


今度は赤鈴実の低木を見つけると、苛立ったように幹を足で蹴った。


ぼと、ぼと、と赤い実が落ちる。


採り方が妙に荒い。


その間も、ぶつぶつと低い声が漏れていた。


「舐め腐りやがって」


ぼとっ。


「どこのどいつだ……」


ぼとぼとっ。


「それなら、俺が売ってたのに!」


ルークは、きょとんとした。


「……は?」


坊ちゃんは横流ししている犯人へ怒っている。


そう思っていた。


だが今、“俺が売ってた”と言った。


ルークは恐る恐る聞く。


「あの、坊ちゃん……今、何に怒ってるんすか?」


カイルはぎろりと振り返った。


「他国に流せるなら、俺が先に売ってたって話だ!」


「はぁ!?」


「売れるなら売れるって、もっと早く言えよ!」


「知らないっすよそんなの!?」


「マジでふざけんなよ! 俺の儲け、横から掠め取られたようなもんだろこれ!」


「いや、そこっすか!?」


「そこだよ!」


即答だった。


ルークは頭を抱える。


ついさっきまで、“自警団のために怒っている少年”という空気が確かにあった。


それが今では、“俺が売るはずだった利益”に本気で怒っている。


ノエルなど、“なんて立派な少年だ”と思いかけていた自分を殴りたくなっていたほどだ。


だが、当の本人は本気だった。


「こんなことなら、ちゃんと販売ルート考えたのに……」


「今そこ後悔するとこじゃないっすからね!?」


それでも作業だけは異様に早い。


必要量を確保すると、カイルは即座に野営地へ戻った。


そしてエルマーへ指を突きつける。


「調べろ!」


怒鳴ったわけではない。


だが、空気を叩き潰すような声だった。


周囲の大人たちが一瞬肩を震わせる。


「どこで抜かれてるか。中継か、倉庫か、荷受けか、その後か……全部だ! 今すぐ!!」


「わ、分かった……!」


天下のヴァルディア商会会頭へ、ここまで遠慮なく怒鳴りつけられるのは、恐らくカイルくらいのものだ。


だが、エルマーも慣れたものだった。


即座に商会員へ指示を飛ばす。


「おい! 馬を出せ! 一番近い街のヴァルディア商会の支部へ連絡だ!」


「は、はい!」


指名された商会員が慌てて飛び出していく。


夜の森へ馬の嘶きが響き、慌ただしく準備が始まった。


その様子を見ながら、ルークはぼそりと呟く。


「……坊ちゃん、もうちょい言い方ってもんが……」


「うるさい。それにこれは国に関わることだ」


先ほどまで“俺の金”と言っていた男とは思えない真面目な顔だった。


エルマーも静かに頷く。


「……あぁ。匂い袋の配布は、アロン陛下ご自身が認めた事業だ。それを横流しして私腹を肥やしているとなれば……これは、かなり不味い」


その声には、商人としてではなく、“王命に関わる不正”を察した男の重さが滲んでいた。


だが、カイルはそこで止まらなかった。


「エルマー。布と針あるか?」


「……は?」


突然話が飛び、エルマーが目を瞬かせる。


「あるなら出してくれ。あと紐と食用油」


「そりゃ、商隊だからあるが……何をする気だ?」


カイルは、採ってきた灰葉草と赤鈴実を地面へ放りながら答える。


「見りゃ分かるだろ。袋を作り直す」


エルマーは眉を寄せた。


「……そこまで必要か? 袋はボロいが、まだ使えるだろ。中身だけ変えればいい」


するとカイルは、自警団から預かった匂い袋をちらりと見た。


「アイツらにとっては、お守りなんだってさ」


静かな声だった。


「だったら、少しでも綺麗なもん持たせてやりたいだろ」


焚き火の明かりを受けながら、その瞳はどこか優しかった。


エルマーは、ふぅ、と小さく息を吐く。


(……こういうところだ)


結局、カイルは金にならないことでも動く。


それは誰かを喜ばせたいからだ。


カイルのものづくりは、いつだってそこが根っこにある。


エルマーは肩を竦めると、後ろへ声を飛ばした。


「おい、裁縫道具を持って来い。それと、手の空いてる者も呼べ」


夕食の準備をしていた使用人たちが、慌てて動き始める。


布を抱えてくる者。


針箱を持って走る者。


火へかけていた鍋を別の者へ任せ、こちらへ駆け寄ってくる女までいた。


野営地の空気が、再び慌ただしく動き始める。


つい先ほどまで、“今夜は魔物が出るかもしれない”と緊張していた空気とは思えない。


だが、カイルはお構いなしに地面へ座り込み、布を切り始めた。


「ルーク、そっち縫え」


「はいはい。何で俺まで裁縫してるんすかね……」


文句を言いながらも、ルークの手は慣れていた。

二人は当たり前のように布袋を縫い始める。

その様子に、使用人たちは何でもするなと、目を丸くした。


一方その頃。


ノエルたち護衛は、回収した灰葉草と赤鈴実をもう一度刻み、潰していた。


葉を細かく裂き、実を砕くたび、独特の香りが広がっていく。


その様子を見ながら、エルマーはカイルへ小声で尋ねた。


「……おい。一番肝心な魔物の骨と血はどうする?」


効果を長持ちさせるためには、それも必要だ。


だが、今回は急ごしらえだった。


まさか今から「狩りに行く」などと言い出すつもりではないだろうな、とエルマーが内心で冷や汗を流していると、カイルは針を動かしたまま平然と答えた。


「持って来てる」


「……は?」


「大荷物の方。粉末骨と保存血、ちゃんと入ってる」


エルマーは思わず言葉を失った。


あの馬鹿みたいに多い荷物の中に、そんな物まで入っていたらしい。


だが同時に、“まぁコイツならやるか……”という妙な納得もあった。


「……せめて、それは隠れてやれ」


「何でだよ」


「普通の貴族は旅へ魔物の血なんぞ持ち歩かん」


「便利なのに」


「便利で済ませるな」


エルマーに睨まれ、カイルは不満そうに口を尖らせた。


それでも周囲の視線は気になったのか、ルークと二人で荷馬車の裏へ回り込む。


「ランプこっち」


「はいはい」


荷台の影へ身を潜めるようにしゃがみ込み、カイルは小声でごそごそと作業を始めた。


人目を避けるように、新しく縫い上げた袋へ灰葉草と赤鈴実を手際よく詰め込んでいく。


そこへ食用油を染み込ませた骨粉を加え――最後に、どろりとした魔物の血を数滴垂らした。


すると、ふわりと香りが変わる。


青臭さの奥へ、落ち着くような深い匂いが混ざり込んだ。


カイルは香りを確かめるように小さく鼻を鳴らし、中身が零れないよう袋の口を固く縛った。


「……よし、出来た!」


荷台の影から顔を出したカイルは、満足そうに笑った。


その表情は、まるで初めてこれを作り上げた時のように、無邪気なほど輝いていた。


「……ほら」


完成した袋を、カイルは近くにいた自警団の男たちへ順に手渡していく。


男たちは戸惑いながらも、慌ててそれを受け取った。


袋から漂う匂いに、彼らの顔色が変わる。


「これが、効き目のある匂いだ」


カイルは腕を組みながら続けた。


「必ず二年に一回は交換。匂いが薄れたら意味ねぇからな」


「に、二年……?」


自警団の男たちは顔を見合わせた。


「じゃ、じゃあ俺たちが今まで使ってたのって……」


カイルは、一瞬だけ言葉を止めた。


使い物にならない。


そう切り捨ててしまいたかった。


しかし、ここでそれを言えば、不信感だけが広がる。


領地を治める貴族への不満。


現場の混乱。


そして、“もっと早く交換されていれば”という後悔まで生みかねない。


まだ、不正があったと決まったわけじゃない。


今必要なのは、誰かを吊し上げることじゃない。


ちゃんと元の流れへ戻すことだ。


カイルは静かに拳を握り、言葉を濁した。


「……力を使いすぎてたんだろ」


男たちは、今まで使っていた袋を見下ろした。


泥や汗が染み込み、擦り切れた布。


長く、自分たちを守ってきた袋だった。


その横で、ルークは小さく目を細める。


かなり我慢している。


本当なら、もっと違う言葉を吐き出したかったはずだ。


それでも坊ちゃんは、今は誰かを責めるより、この匂い袋を本来の形へ戻そうとしている。


「今度、交換してもらえなかったら、近くの役場に行け」


その言葉に、自警団員たちは一斉に顔を曇らせた。


「……そんなことしたら、俺たち、何言われるか分かんねぇよ」


役場と言っても、結局は領地を治める貴族の息がかかった場所だ。


物資不足を訴えれば、“面倒な連中”として目を付けられる可能性もある。


空気が重く沈みかけた、その時だった。


「なら、ヴァルディア商会の店に来い」


エルマーが静かに口を開く。


「うちの商会なら、庶民向けの店舗も出している。貴族用の店ほど堅苦しくない」


「あ……それなら、うちの女房が日用品買いに……」


「知っているなら話は早い」


エルマーは頷いた。


「交換用を置いておく。伝達も回そう」


カイルがちらりと横を見る。


「いいのか?」


「そんなに費用はかからん。むしろ、魔物除けが機能せず死人が出る方が高くつく」


さすが商会の人間だった。


損得で話しているようで、その実、見捨てるつもりはない。


すると、自警団の男が遠慮がちに手を上げる。


「あ、あの……家族の分も、もらえるんですか?」


「もちろんだ。近くの村や街の自警団にも話を回せ。必要なら配る」


男たちの目が大きく開かれる。


だが次の瞬間、エルマーの声音が低くなった。


「――ただし、内密にな」


その場の空気が引き締まる。


「派手に動けば、横槍が入る。お前たちを矢面に立たせるわけにはいかん。何かあったら店に相談しろ」


エルマーは静かに周囲を見渡した。


「このままでは、せっかくこれを作った者の想いが無駄になる」


あえて名前は出さなかった。


だが、その場にいる数人は分かっている。


最初にそれを形にしたのが、誰なのかを。


そして、少しだけ目を細める。


「何より――配布を決めた陛下の名にも傷がつく」


その言葉に、自警団員たちは息を呑んだ。


王が民を守るために流した物資。


それを途中で食い物にしている者がいるとしたら。


単なる横流しではない。


王の善意を、踏み躙っているのと同じだった。


静まり返った空気の中、カイルは腕を組んだまま口を開く。


「……ただ、勘違いするなよ」


自警団員たちが顔を上げる。


「これがあるからって安全になるわけじゃねぇ。匂いの効かない魔物もいる」


カイルは、焚き火の向こうに広がる暗い森へ視線を向けた。


「腹減ってる奴、縄張り荒らされた奴、そもそも鼻が鈍い奴。そういうのは普通に来る。過信すんな。最後に頼れるのは自分の足と武器だ」


その言葉に、自警団員たちは真剣な顔で頷いた。


「分かった」


「気をつける」


「本当に……助かりました」


そして、一人の男が笑う。


「アンタ、俺たちの救世主だな」


周囲からも笑い声が漏れた。


カイルは少しだけ目を丸くする。


彼らは知らない。


この匂い袋を作ったのが、目の前の少年自身だということを。


それでもその言葉は、まるで。


“作ってくれてありがとう”


そう言われたように聞こえた。


「……別にいいよ」


カイルは少し照れくさそうに視線を逸らした。


「これで少しでも、生き残れるなら」


ぶっきらぼうに呟くと、そのまま焚き火から少し離れる。


夜空には、無数の星が広がっていた。


森の奥から虫の音が響き、遠くで火の爆ぜる音が聞こえる。


そこへ、後ろから足音が近づいた。


「よかったっすね」


ルークだった。


いつもの軽い笑みを浮かべながら、隣へ並ぶ。


カイルは星空を見上げたまま、小さく鼻を鳴らした。


「……俺は、夢で見たもの真似して作っただけだ」


「いやぁ、それを形にするのが大変だったんすけどねぇ」


ルークが苦笑する。


「腐らないようにするの、かなり苦戦したじゃないっすか」


防腐剤代わりになる素材探しには、かなり苦戦した。

異臭騒ぎになったことも、魔物を呼び寄せて全力逃走したこともある。


「……それでも」


カイルは静かに呟く。


「役に立ててよかった」


その言葉に、ルークは嬉しそうに笑った。


「そっすよ! 頑張った甲斐あったじゃないっすか!」


カイルは小さく笑う。


「……まぁ、ちゃんと届いてればもっと役立ってたんだけどな」


「それはほんとそうっすねぇ……」


ルークも苦笑する。


夜風が、静かに木々を揺らした。


焚き火の火は小さくなり、遠くでは護衛たちの笑い声が微かに聞こえている。


しばらく星空を見上げていたカイルは、ふっと目を細めた。


「……俺の作ったもんで稼いでる連中がいるなら」


口元だけが、ゆっくり吊り上がった。


「倍で請求してやる」


その声には、冗談とも本気ともつかない冷たさが混じっていた。


そして、その問題は翌日から王国の流通網を静かに揺らしていくことになる。

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