我儘女王マルガレーテ④
「少しずつ虫が集まって来ましたよ。あっ!キバガの仲間が飛んできました!あはは、カトカラ類もいる!」
辺りが暗くなりライトトラップのランプをつけたアルベルトは白い布に反射した光につられて続々と集まる蛾に興奮していた。猟犬二頭もはしゃぐ中マルガレーテは冷静にその様子を見つめる。
「無邪気にはしゃぐそなたを見ていると王都の広場で見た庶民の子供を思い出すな。しかしこのランプ通常のものより随分明るくないか?」
「白光石という昔の錬金術師が作った魔法石を入れてあるんですよ。熱を加えると蝋燭の二倍明るい光が出て蛾がより集まりやすくなるんです!あっ!やった!狙ってたユーロッパクジャクヤママユだ!」
捕まえた珍しい蛾を乗せ虫眼鏡で観察しながらアルベルトは答えた。そしてその蛾をうっとりとした目で眺め
「あはは、シックな色の羽に面白い目玉模様も良いしつぶらな目が可愛いなぁ。この森に採集に来て良かった!領地の森より植生が豊かなので沢山の種に出会う事が出来るよ。あーあ、将来領主を継ぐ立場じゃ無かったら鱗翅類学者になってこの森の蝶や蛾を調べ尽くすのに」
と呟く。マルガレーテはアルベルトの兄の存在を思い出して聞いた。
「そなたには確か隣国ヴィルクセンで駐在大使の秘書官として働いている兄がおるじゃろう。兄が領主を継ぐ訳にはいかぬのか?通常領主を継ぐのは長男であろう」
「父上は僕より優秀な兄を将来的に高級官僚か議員にしたいようです。それ故に僕が領主を継ぐ事になっています。本音を言えば領主にはならず自由に蝶や蛾の採集や研究ばかりして生きていたかったのですが……」
アルベルトは捕まえた手元の蛾を三角紙に挟み大きくため息をつく。そんなアルベルトの言葉にマルガレーテは王族や国王になるより自由に趣味を楽しみ行きたかった自身の立場を重ねた。
「……そなたは少し余に似ておるな」
「えっ?」
「いや何でも無い。そなたと犬どもばかりはしゃいで余だけが仲間外れなのは何だか癪じゃ。余も芋虫や毛虫でなければ蛾には触れる。そなたの採集の手伝いをしてやろう」
そう言って羽根を屋根型に畳み白い布に止まっていた灰色の蛾に手を伸ばす。するとアルベルトが叫んだ。
「マルゴットさん!その蛾は危ない!」
次の瞬間蛾は羽根を開いてお尻の毛を上に逆立て掴もうとしたマルガレーテの手に黒く小さな針を数本飛ばした。
「ぐっっっ!!!」
マルガレーテは言葉にならない声を上げ針が刺さった右手を左手で押さえその場にうずくまる。蛾は飛び去っていきアルベルトがマルガレーテに慌てて近づいた。
「今の蛾はヌイバリドクガです!鉄の魔力で作った鉄針を腹部の先端に仕込んで襲われた時に飛ばす習性があるんです」
ドクガという名前を聞いたマルガレーテは途端に顔を青くする。
「ドクガじゃと!?余は毒の針が刺さったのか!?」
「ドクガの仲間ではありますが毒はありません。刺さった針を抜いて消毒すれば大丈夫ですよ。ライトトラップはヌイバリドクガの様な危険な虫も来る事があるので気をつけなくてはなりません」
軽くパニックになるマルガレーテをアルベルトは落ち着かせ右手の針をカバンから出したピンセットで抜いて同じく出した救急セットで傷の消毒をする。
「すまぬアルベルト。手伝ってやるつもりがとんだ足手まといになってしまった……」
情けない姿を見られてしまったマルガレーテは座り込んで治療を受けながら落ち込む。アルベルトは優しい声で励ました。
「僕も蛾を集め始めた頃に同じ失敗をした事がありますから大丈夫ですよ。むしろ僕の手伝いをしようとして下さりありがとうございます」
「勝手にドジを踏んだ余に治療を施してくれるとは優しいなそなたは」
マルガレーテの右手を押さえて消毒しながら微笑むアルベルト。その愛らしい童顔と丸くクリクリとした琥珀色の瞳にマルガレーテは一瞬ドキッとして頬を染めた。
(こっ、こやつこうして近くで見ると綺麗で可愛い顔をしておる……余とした事が見惚れてしまった。危ないところだ)
そう心の中で呟きアルベルトから視線を横にそらす。アルベルトは消毒が終わり包帯を軽く巻くと採集の続きを始めた。マルガレーテは包帯が巻かれた手を少し見つめた後立ち上がってアルベルトに思い切った質問をした。
「アルベルト、そなたは父親を国務大臣に復帰させたいとは思わないのか?」
「どうしました?藪から棒に」
「そなたの父は贈収賄の罪で王宮を追放された。父親を国務大臣に戻してやりたい気持ちはあるのかと思ってな」
マルガレーテの突然の想定外な質問にキョトンとしたアルベルトだがすぐに首を横に振って答えた。
「いいえ。父上は法律に違反する行為を犯したのです。追放は当然だと思っています。それに自分の父親ながらお金と権力を持つとすぐ調子に乗ってしまう人なので小さな領地の地方領主という今の立場ぐらいで丁度良いと思います」
「そなた自分の父親に対して容赦無いな」
「本当の事ですから。でも僕は今の領地で暮らせてそれなりに幸せですよ。蛾や蝶は沢山採集出来ますし農民の皆さんも優しくて良い人達です。他の貴族の方々は王都で高い地位を求めるのでしょうけれど僕は出世を求めるより趣味に生きる生き方の方が性に合っているんです」
蛾を集めながらそう話すアルベルト。決して良い人ぶらず自然に本音を話す態度にマルガレーテはようやくアルベルトを信頼する気になった。
「アルベルト。どうやら余はそなたを誤解していた様じゃな」
「誤解?」
「正直余はそなたを信用していなかった。そなたも父親と同じ俗物だと思っていたのだ。だが今日一日そなたを見ていて俗物どころか純朴で偏見が無い好青年だとわかった。ヴェンツェルがそなたを気に入った理由が良く……」
マルガレーテがそう言いかけた時、突然近くの茂みがガサガサと動きロムルスとレムスが激しく吠え始めた。二人が茂みに顔を向けるとフゴーッフゴーッと荒い鼻息をたてて熊の様に巨大なイノシシが現れた。
「!?何じゃこやつは!」
「何て巨大なイノシシだろう……!」
二人がその巨大さに驚き声を出すとイノシシは足で土や落ち葉を巻き上げ猛烈な勢いで二人に突進してきた。
「避けよアルベルト!!!」
イノシシを茫然と見ていたアルベルトをマルガレーテは横に突き飛ばし、自身は迫って来るイノシシを相手に銃を構えた。
「マルゴットさん!」
地面に倒れたアルベルトは上体を起こし叫んだ。その時走るイノシシの前にロムルスとレムスが吠えながら立ちはだかる。イノシシは一旦立ち止まり二頭の猟犬の前でカプカプと顎を鳴らし泡を吹いて威嚇した。
「ロムルス!レムス!」
アルベルトがイノシシと対峙する犬達を心配して叫んだ。
「案ずるなアルベルト。あの犬どもは強力な火の魔力と氷の魔力を持っておる優秀な猟犬達じゃ」
マルガレーテは銃を構えたまま様子を見る。犬達はイノシシを吠え立てて周りをぐるぐると周り挑発した。イノシシはロムルスの方に突進したがロムルスはかわす。そして口から炎を出しながらイノシシの左後ろ足に噛みついた。
「プギィ!」
イノシシが悲鳴をあげると途端にレムスが口から冷気の煙を出して横から首筋に噛み付く。レムスに噛みつかれた所が少しずつ凍りつき毛に霜がつき始めた。だがその時
「フガアアアァァァ!!!」
とイノシシが目を血走らせ咆哮を上げると次の瞬間周囲の土と落ち葉が地面から一気に爆発する様に噴き上がった。
「うわぁぁぁぁ!!!」
「くっ、何という威力じゃ!土の魔力か!」
アルベルトとマルガレーテも衝撃波に巻き込まれる。ライトトラップのランプは倒れアルベルトは飛ばされて白い布にぶつかり倒れた。マルガレーテは直前に防御魔法でバリアを張って守った為その場に立ったままだった。一方噛み付いたロムルスとレムスはイノシシの魔力に怯み口を離してしまった。吹き飛ばされた犬達は地面に着地し再び攻撃しようとするが、イノシシはまずレムスに突進し木にぶつけた。木に突き飛ばされ背中をぶつけたレムスは気を失った。イノシシは続いてロムルスに突進する。ロムルスは口から火を吹き威嚇するがイノシシは関係ないとばかりに突き飛ばししゃくり上げた。
「キャイン!!!」
悲鳴を上げ宙を舞ったロムルスは地面に落ちそのまま動かなくなった。
「ロムルス!!!レムス!!!」
マルガレーテは犬達の名を叫ぶ。そして怒りの表情になりバリアを張るため一度降ろしていた銃を再び構えた。
「よくも余の猟犬達を……来るなら来い!この豚めが!!!」
「プギィィィ!!!!!!」
イノシシはマルガレーテを睨み突進する。だがその瞬間マルガレーテとイノシシの間の地面が突然火山が噴火するように地面の土が小さく噴き上がりイノシシは驚き止まって後退りした。マルガレーテはまさかと思いアルベルトの方を見る。アルベルトは白い布の前で地面に這いつくばりながら魔法の杖を土の噴き上がった地面に向けていた。地の魔力を使ったのだ。




