三人の日常
「ちわー」
部室に入ると、既に西園寺と三柳は駒を並べて指していた。
ガランとした教室。中央に二つの机を向かい合わせにくっつけて、二人が対面で座っている。
僕は教室の奥から椅子を引っ張り出してきて将棋盤を横から覗きこめる位置に座る。
「なぁ西園寺、何で今日は道場じゃないんだ?」
「今日は休みだからよ。あそこは席主が休みと決めた日が休みなの。それがたまたま今日だったのね」
盤を見つめながら答える。
「へぇ……」
なんだか近所のおっちゃんが切り盛りしてるラーメン屋みたいだ。
盤をのぞき込む。先手後手がわからないが、ほぼ西園寺の勝ちで間違いない形勢だった。
「負けました」
ほどなくして三柳が投了する。
「そうね……歩を垂らした手がまずかったと思うわ。私の飛車に成り込まれてしまったのだから一回は受けに回らないと」
「でも、それだと攻めきられてしまうから攻め合うしか無いと思ったんですけど……」
二人が互いに対局の感想や意見を交換する。感想戦というやつだが、これも意外と楽しいのだ。
当然だが、人間は皆同じではない。したがって、考え方も十人十色。感想戦では相手固有の考え方が垣間見えることが多く、一種の不思議な興奮を覚える。
「次、僕と西園寺でいいか?」
何の気なしに二人に向けて聞く。
「わたしはいいけど……三柳さんは?」
「私も大丈夫です」
そういって彼女は立ち上がる。
僕は三柳と席を交換し、西園寺と対面する。
三柳は先程まで僕が座っていた観客席へと移る。
僕と西園寺は黙々と駒を並べていった。
「後手で指してみたいから僕が後手でいいか?」
「ええ、いいわよ」
西園寺は居住まいを正す。
僕も背筋を伸ばす。
「「よろしくお願いします」」
彼女は飛車先の歩を突く。居飛車党である彼女にとっては自然な一手だ。
一方の僕は角道を開ける。振り飛車党である僕にとって必須な一手だ。
そこからは互いに探りを入れながらの駒組みが続く。
相手の戦型を意識しつつ自分の最も得意とする形に組む。
先に仕掛けたのは彼女だった。
僕が攻めの手を作ろうとしていた矢先、自陣の弱点を突かれる。
こちらも負けじと攻めるが、相手の攻めが速すぎて攻めきれない。
どこかに手はないかと探るが、どうしても相手の攻めが先に僕の玉に届いてしまう。
必死に抵抗したが、振り飛車名物美濃囲いは瞬時に崩されて勝ちの目が無くなってしまった。
「負けました」
僕は詰めていた息を吐き出すと、椅子に沈んだ。
西園寺も背もたれによりかかる。
「攻めを意識しすぎね。自陣のバランスを見ないと」
西園寺は持駒を細い指で弄くり回しながら言う。
「あの……西園寺さんは詰みを見逃してました」
三柳が恐る恐る発言する。
「……どこかしら?」
三柳は盤面を戻していく。
僕と西園寺は身を乗り出して盤面を見つめる。
「ここです。ここで金をとるんじゃなくて桂を打てば……」
「そうか、17手詰めだ……」
僕は思わず呟いた。
「あら、本当ね」
西園寺も驚いたような調子で言った。
形にもよるが、17手詰めを実戦で読み切るのは難しい。長い詰み筋を見つけるより、「詰めろ」と呼ばれる『何も対策をしなかったら詰んでしまう』という状態を連続で作り出して追い込んでいく方が実践的である。
したがって、西園寺が17手詰めに気付かなかったからと言って彼女が弱いことにはならない。
ここで問題なのは、三柳が盤側から見ていて17手詰めに気付いたことだ。
彼女はまだ将棋を初めて一週間。それでいて17手詰めを読み切る終盤力を身につけているのは恐るべき事だ。
「すごいわね、まだ一週間なのに読み切るなんて」
西園寺は素直に賞賛の言葉を贈る。
「あ、ありがとうございます……」
三柳はサッと顔を赤らめてうつむく。短い前髪がはらりと顔にかかり、目元と眼鏡を隠す。
不覚にも可愛いと思ってしまった。
そんな自分を誤魔化すように咳払いをする。
「とにかく、三柳に特訓の成果が出ているようでよかった。大会は近い。気を引き締めていかないとな」
「偉そうなこと言ってると、三柳ちゃんに負けるわよ」
西園寺が薄ら笑いを浮かべながらこちらを見てくる。
「いや、さすがにそれは無いな」
思わず意地になって言い返してしまう。男のプライド、というやつだ。さっき西園寺に負けたけど。
「なら指してみればいいじゃない」
「おうよ上等だ。やろうぜ、三柳。本気で叩き潰してやる」
三柳は困ったような顔で西園寺を見やる。
「大丈夫、今のあなたなら楽勝よ。アイツは頭に血が上ってるもの」
どこまでも煽ってくる西園寺に乗せられている自覚はある。
だが、たまにはこういうのもいいかもな、なんて思っている自分がいることにも気付く。
三人とも、自然と顔がほころんでいた。




