後編
夢に出てくる『彼』はいつも同じ名前なのです。
夢の中の『私』は何度生まれ変わっても『彼』に出逢うのです。
そして、間違いようがなく『彼』だとわかるのは、その暖かい雰囲気です。オーラとでもいうのでしょうか。
生まれ変わると『彼』はいつも近くにいます。父親だったり、兄弟だったり、従弟だったり。
気づいた時には、もう妻や恋人がいました。
『彼』が幸せになってくれれば、『私』も幸せな気分になれるので、いつも祝福しています。
でも、次は、次こそは、『私』が一番『彼』の側にいて、『私』が幸せにしたいと、想い願います。
―――夢だと思っていました。
だけど、この世界では『彼』は父の友人でした。肉親ではないのに、早いうちに気づけたことも幸いでした。
『シルビオ』に妻も恋人もいないことを知り、とてもとても嬉しかったのです。
*◆*◇*◆*◇*
「リセリア嬢!」
「殿下。ごきげんよう。」
「急いでおられましたが、どちらに行かれるのですか?」
「宰相様のところへ、ご挨拶に向かうところですわ。」
にっこり淑女の笑みである。
「・・・豚宰相の。そんなことより、あちらで私とお茶でもしませんか?」
王子のセリフ後の、リセリアの笑みを見たなら、父は王子を抱えて逃げ出すだろう。
この時を持って、王子はリセリアから敵認定されたのだった。
王子にそんな気はなかった。愛しい少女の気を引きたかっただけなのだから。彼女が父親の友人である、あの宰相に挨拶に行くのは付き合いだろうと思ったから。好きで行っているなんて、思いもよらない。一度ぐらい救ってあげよう。自分の方が優先されても誰も彼女を叱らないはず、大丈夫だろうと。
「お誘い有難うございます。ですが、申し訳ありませんわ。宰相様が先のお約束なのです。お渡ししたい物も御座いますので。」
王子はちらりと、リセリアが大事そうに抱えているバスケットを見る。ふんわりと美味しそうな匂いがする。
「じゃ、それが終わった後ならいいですか?」
「私も用事がありまして。急なお誘いは困りますの。後で父に聞いてみます。急ぎますので、失礼致しますわ。」
優雅に見える小走りで、王子の横をすり抜けようとしたリセリアの腕を王子が掴んだ。
「・・・殿下といえど、未婚の娘の腕を軽々しく触るのは、いかがなものかと思いますわ。」
「し、失礼!私も宰相殿に用事があり、探しておりまして。ご一緒してもよろしいですか?」
自国の王子が、宰相のところに用事がある。不自然ではない話に拒否ができない。そして、王子の後ろに居る護衛からも、鋭い視線が突き刺さる。
仕方なく王子を伴って、シルビオがいるであろう騎士団の建物に急ぐ。途中、何かと話しかけてくる王子を邪魔だなと思いながら。
「シルビオ様ー!」
騎士団での打ち合わせが終わって、部下に指示を出していたシルビオを見つけて、リセリアは嬉しそうに小走りで近寄った。
「間に合ってよかったですわ!」
シルビオに懐いている娘の背後にいる人物を見て、同じく騎士団で打ち合わせに参加していたハーシュベル公爵は眉間に皺を寄せた。
「シルビオ様、朝から頑張って作りましたの!皆様もお疲れ様ですわ、召し上がって下さいませ。」
「皆様」の時に、シルビオの部下達にもリセリアは幸せそうな笑顔を向ける。シルビオの部下達も、いつも自分達を忘れず、気遣ってくれるリセリアには好意的である。
そして、上司であるシルビオも見た目のせいで損をしていると思っている。仕事も出来るし、威張り散らさず、きちんと教え助けてくれるのだ。ちなみに、月に何度か、やはりとても忙しい時もあって、そういう時はお金を渡し、皆で呑んでおいでと、笑顔で労ってくれるのだ。皆、理想の上司だと思っている。知らない者もいるが、知っている役人達に取っては、理想の職場なのだ。リセリアという、癒しも付く。
「リセリア嬢!」
無視されていた王子が声をかけた。
「なんですか、殿下。」
その娘の顔を見て、ハーシュベル公爵はコレあかんやつやー!と先ほどとは違う意味で、眉間に皺を寄せた。今度は眉が八の字になっていた。
リセリアの冷たい声に反応したのは王子の護衛だけで、当の王子は彼女の視線が自分に向いたことで、嬉しそうである。
「今からお食事なのですよね。私もご一緒してよいですか?」
「殿下。お暇なのですか?」
「いえ、あの・・・。」
リセリアの言葉に王子は怯んだ。勉強を逃げ出してきたのだから、暇だったわけではない。護衛はさすがに、無礼だと声を上げようとして、彼女の目線に氷ついた。
―――自分はこの女性に勝てない。
一瞬で悟ったのである。相手の実力に気づくほどの、力があったことが災いしたのだ。
「殿下。現在、王宮の者は皆が数か月後に開催される武闘大会の用意で忙しいのです。貴方にもやることがあるはずです。王子としての義務を果たされませ。」
「別に、好きで王子になったわけじゃない!」
「では、貴族の息子になりますか?商人の息子になりますか?農民の息子にも、なれますわよ。」
「え?」
「ですが、貴族のご子息は今の貴方とほぼかわりません。第二王子なのですから、一番の重責は王太子、王になられる貴方の兄であるアルベリード様が受け持ってくれるでしょう。」
「次に商人や平民の息子ですわね。貴方が来ている服も、貴方が食べる食事も、その者達が作り、息子や弟子に伝えております。やりたいことがあるのでしたら、そちらでもよいでしょう。アルベリード様も、弟君もいるのです。王族で無くなれば、すぐになれますわよ。」
「ですが、勉強を逃げ出す貴方ではどこにいっても同じでしょうね。」
「リセリア殿・・・。」
シルビオは第二王子の立場を気にして、そっと声をかけた。まだ若いのだ。許してやってほしいと。いや、リセリアよりは年上なのだけれど。
夜会の時に二人ともお似合いで、リセリアも好意的に接しているなら、身を引こうかとも考えていたのに、これでは恋しているだろう王子に少し同情してしまう。
「なんですか、シルビオ様。」
いつもならシルビオが声をかければ、すぐに笑顔になるのに、どうしたことだろう。
「・・・それぐらいにしてあげてくれ。」
「嫌です。嫌ですわ!」
シルビオも、ハーシュベル公爵たちも驚いた。皆も忙しいのだが、去るに去れず、この場に残っていたのである。
「だって、私のシルビオ様を・・・。」
悔しそうに俯くリセリアを見て、
皆が、あぁー。と現状を理解した。
リセリアの前で、シルビオを貶めるようなことを言ったんだな、と。こうなると、シルビオを与えても、なかなかご機嫌が治らない。
最近は王宮内では無くなってきたが、昔は頻繁にあったことなのだ。そして、そのたびにリセリアは相手をきっつい正論と可愛い毒舌と恐ろしい腕力で排除してきたのだ。だが、今回は甘ったれだろうとも、自国の王子だ。堪えてくれと、皆が願った。
ハーシュベル公爵だけは皆の想いに、そっと視線をそらした。昔、国王もおちゃめな冗談を、シルビオの前で、リセリアという名の少女に言ってしまい、後悔したことがあるのだ。王にさえ、容赦しない娘が王子に温情を与えるとは思えない。
だが、皆の心配を余所に、王子も王子で変わっていた。
叱られて嬉しかったのである。
自分は、彼女に気にしてもらえていると。
誰も親身に王子のことを考えてくれなかった。第二王子だけど、優秀な兄がいるので、期待されていなかったのだ。確かに両親も兄も愛してくれているのはわかっている。だが、必要とされていないのではないか。弟も産まれたのだ、自分はいなくても、いいのではないかと、悩んでしまうのだ。
だから、勉強に身が入らない。
何事も中途半端になってしまう。
でも、目が覚めた気がした。
両親も兄も、兄を真似て剣術がしたいと言った時も、母の興味が引きたくてピアノが弾きたいと言った時も、応援してくれたのだ。何か、本当に好きな事を頑張ってみようと思った。
弟が産まれて、かまってもらえない間に心に産まれた黒い棘が消えたようだ。
棘は抜けたが、王子の心には、新たに別の問題も発生していた。
惚れ直した彼女が先ほど「私のシルビオ様」と言わなかっただろうか。
「リセリア嬢。・・・貴女は宰相殿が好きなのですか?」
「はい。お慕いしておりますわ。」
きっぱり、一ミリも悩まずに即答である。
王子はやっと立ち直ったばかりで、その衝撃に耐えきれず、思わずいつも護衛が言っている台詞をこぼしてしまう。
「そのブタのような男にですか。」
シルビオの部下達は、ここから一刻も早く逃げ出したいと、皆の心が一つになった。
言われたシルビオは、今更気にしない一言ではあるが、その言葉を聞かせてはいけない人物がここにはいるのである。
「ええ、その素敵なブタのような男性を、お慕いしておりますの。」
ハーシュベル公爵は、神に助けて欲しいと祈った。いや、誰でもいい!誰でもいいから、王子を連れて逃げてくれ!
娘から、娘から、黒い靄が出そうなんだ!俺は、情けないが動けない!
王子の護衛は、初撃で撃ち落とされて使い物にならない。近衛隊では、五本の指に入る男だったはずなのに。
「り、リセ殿!そろそろお腹が空いたんだ、リセ殿の作った美味しい料理が食べたいな!」
「はい!シルビオ様!」
リセリアが振り向いた。満面の笑みである。
良かった。王子への殺意を一時的にでも逸らせたようだ。
シルビオの部下達は、頑張った上司を尊敬の眼差しで見た。この、何故か息が苦しく、動けない状況を救ってくれたことに。そして、ずっと彼女がいなかったであろう宰相が、リセリアを愛称で呼び、敬語を無くすことがどれだけ大変かを知っているので、部下達は涙が出そうだった。
そっと、シルビオがリセリアをエスコートし、去って行く。ハーシュベル公爵は、シルビオの後は任せるという意志を受けて、王子に近づいたが、
―――王子は立ったまま気絶していた。
彼の護衛ですら、恐怖する殺気を受けて、耐えられなかったようだ。
*◆*◇*◆*◇*
「父上、母上、ご迷惑をおかけしました。これから心を改めて、王になる兄の力になれるよう、頑張ります。あと、リセリア嬢も振り向いてもらえるように頑張ろうと思います。」
何が息子にあったのかわからないが、すっきりした顔で告げてきた。リセリアの件は別として、良い方に向かってくれたことに、夫婦で喜んでいたら、ハーシュベル公爵の侍従が、面会の伺いに来た。
そして、話を聞き国王は思う。
ソレ、あかんやつやー!
息子とリセリアの件で話した時に、もっと何か助言を与えておけばよかったと、膝から崩れ落ちた国王は両手を床につき、打ちひしがれた。
王妃は、あらあら、ちょっとフォローしないと大変なことになるわねと、笑っていた。昔、国王がおちゃめしちゃった時も、華麗にフォローしたのは王妃である。リセリアからも尊敬されている。
ちなみに、王子の護衛は、戦えば誰にも負けないという矜持を粉砕され、涙目で貴族御用達の近衛を辞め、実力主義の騎士団に新人として入ったそうだ。
リセリアとシルビオの約束の日まで、あと一年。
気絶して、リセリアの殺気にやられたことを覚えていない、ある意味天然な王子は巻き返せるのか。
みんなが思う。む、無理じゃないかなぁ。
今日も、リセリアは花が舞うような嬉しそうな笑顔でシルビオに駆け寄る。それを見て、皆が思うのだ。
「なぜ彼女はあの男に惚れてしまったのか、不思議だ。」
シルビオだけは、その秘密を近いうちに教えて貰えるかも知れない。




