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君と暮らす退屈な日々  作者: サクラギ
≪第二章≫
29/53

>3

「逃げないのですか?」


 部屋の中から声が聞こえ、驚いて声の方を向けば、そこに桐原と呼ばれた男が立っていた。


 黒いスーツ、藍色のネクタイをした桐原は、コウヤよりも10センチほど背が高く、男にしては線の細い体格をしている。手にはトレイがあり、その上に透明の液体が入ったグラスと、食事が載せられていた。


「こんなもの、必要ありませんでしたね」


 壁際に張り出しているダクトの上にトレイを置いた桐原は、コウヤのいるテラスの方へ歩いて来て、ガラス戸に手を置くと、コウヤに対し中に入るよう、促した。


 コウヤは、桐原と距離を取り、警戒しながら室内に戻った。


 コウヤが部屋に戻ると、一瞬、視線を馳せた桐原は、ガラス戸を閉め、鍵をかけると、コウヤの方へ向き直った。


「そうしていると普通の人に見えますが、ああいった様子を見せられると、やはりあなたも一族なのだと思えますね」


 桐原は、とても静かに、ゆったりとした口調で話す。

 コウヤの警戒を解こうとしているのか、懐柔しようとしているのか、桐原の思惑はわかりづらい。才馬首相と呼ばれた男のように、また、他の人のように、侮蔑や敵愾心を表情に乗せている方が、感情に素直なように思え、コウヤにしても関わり方を考えずに済み、煩わしさが減るのだが、桐原はそうした感情を表に出す人物ではなかった。


「私としては、逃げて頂いた方が、こうして客人として扱う必要がなくなり、楽だったのですが……」


 ふっと笑みを浮かべた桐原は、懐から何かを取り出し、中から一枚の小さなカードを抜き取った。


「これはあなたの身分を証明する物です」


 コウヤに近づき、カードを差し出した桐原は、戸惑うコウヤの手を持ち上げ、その手の上にカードを載せた。


「あなたの身分を保障する才馬首相の名と、あなたが人に危害を加えないという制約が書かれています。こちらの小さな四角い金属部分に情報が入っていて、あなたの名がパスワードになっておりますので、何かを購入される時や、何か不都合があった際には、このカードをご利用ください」


「……利用って言われても、俺は何もわからない」


 コウヤの手のひらに乗せたカードを、指先で示しながら説明していた桐原は、コウヤの言葉を聞き、一瞬、驚きの表情を見せると、手を引き、取り繕うような笑みを見せた。

 驚いたのはコウヤも同じで、思わず手の上のカードを落としていた。


「失礼しました」


 咳払いをしながら、床に落ちたカードを拾った桐原は、丁寧な態度でコウヤにカードを差し出すと、警戒を解いて欲しいというような笑みを浮かべる。


「……声の質が、思っていたよりも美しいので戸惑ってしまいました。確かに、一族の者たちは、美しい容姿をし、人を魅了するのですから、あなたもそうであって当然でした。見た目がその……あなたは私たち人に近いですし、幼く見えますから、目に入る情報と、実際の情報との差に驚いてしまったのです。決して、何か別の企みがある訳ではありませんので、私とふたりでいる間は、信用下さって大丈夫ですよ」


「あなたは、奇妙な言い回しをする。ふたりでいる間は、ですか? それは、ふたりではない場合、信用してはいけないという意味にも取れますね」


 コウヤは手にしたカードを手の中に握り込み、疑う視線で桐原を見る。

 桐原は、笑みを引き、哀しげな表情でコウヤを見た。


「……良かった」


「何がですか?」


 尖った口調は、コウヤの警戒心を表していた。


「信用はなされない方が賢明です。ですが、今の私には何の含みも、計画的な何かもありませんよ。まずは、どれほど理解しあえるのか、会話が成り立つのかが知りたいのです。気に入らないことがあればおっしゃって下さって構いません。質問があれば、今のうちにどうぞ。誤魔化したり、嘘を言わないと誓いましょう」


「報告はするくせに?」


「それは仕事ですから仕方がありませんね。ですが、無理に話させることはしませんよ」


 コウヤの手からカードを抜き取った桐原は、大切な物ですと示すように、改めてコウヤの手に収めた。


「これはこの国の通貨の代わりになるものです。欲しい物があれば、このカードを機械に翳し、パスワードを入力ください。やり方は、利用する機械に記されているか、店員が教えてくれます。あなたは現在、この国の客人として扱われています。こちらの要求に忠実であれば、こちらもそのように接するよう、指示がなされております。……才馬首相は厳しいお方です。あなたの身は、才馬首相が保障されております。ですから、才馬首相には逆らわぬよう、最初に忠告致しますね。何かご相談があれば、私に……」


「……話を聞かせて」


 コウヤは、桐原の言葉を聞きながらも、この地に長くいるつもりもなかったから、ほとんどを聞き流していた。


「何をお知りになりたいのですか?」


 それをコウヤの態度で察したのだろう。この地においての説明を続けようとしていた言葉を引いた桐原は、受け入れる態勢を整えながら、仕事用の笑みを顔に張り付けていた。



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