02 : トーエイの森の魔王。
「つまり……勇者が、召喚されたと?」
「はい、そうです」
ツヴァイの話は簡単だった。
トーエイの森に封印されているはずの魔王が、最近になって封印を破り表に出てきた。魔王についていた者たちは、これ幸いと再び悪行を重ね、世界は魔に溢れようとしている。魔王はそれを高らかに笑いながら眺め、かつて自分を封じた者を殺してやろうと今捜しているらしい。だから世界を代表した神殿が、勇者を召喚したとのことだ。
なんて安易な話だろう。
「この森に魔王っていたの?」
セヴンが、本気で「そんなのいた?」的な顔をしてノルジスに訊いてくる。
訊くなよ、と言いたい。
「この森にいるのは、昔も今も、僕だけだよ」
「だよね? ノルジスしかいないよね?」
どこに、魔王、とかいう人物がいるのか。セヴンは、わざとではないだろうが、きょろきょろと大袈裟に周りを見渡す。
「魔王って……随分と昔の言葉だと思ったけどなぁ」
「年寄りみたいな言い方するね、セヴン」
「明らかにノルジスの息子だから安心して」
「え、なにを安心すればいいの」
「おれはノルジスの息子だから」
ちょっと前に、「まあ……息子みたいなもの」と言ったのを、かなり根に持たれてしまったようだ。冗談だったのに、こんなときに限って本気に捉えるから、この息子はちょっと可愛い。
「だったら、パパって、可愛く呼んでくれてもいいのになぁ」
ついでに眠りから起こすときも、可愛らしい微笑みで優しく起こして欲しいものだ。寝台から叩き落とす、全裸にさせて放置する、いきなり風呂に突っ込む、とか、可愛くないったらない。
「呼ばれたくないってノルジスが言ったんでしょ」
「あれ、そうだった?」
セヴンとはずっと一緒にいるせいか、いちいち日常の言葉を記憶しておく必要がない。だから、随分と前に言ったことなどすぐに忘れてしまう。
「おっと……話が反れた。魔王と勇者だったね、今は」
脱線してしまったのを軌道修正すると、さすがに親子の会話には目が点になったツヴァイがいた。
「本当に親子……?」
うっかりとそう呟くくらいには、呆気に取られていたらしい。
「紛れもない親子だよ。レヴンもいるから、ノルジスってば実は二児の父親です」
「そ……そうですか」
「似てない?」
「ま、まあ……」
「それはよかった」
「え?」
「ノルジスみたいな女好きにはなりたくないからね!」
「は?」
それはちょっとひどいな、とノルジスは口を挟んでおく。
「僕は女性が好きなだけで、人間は嫌いだよ?」
「なんであれ女であれば態度変わるじゃないの」
「女性と子どもには優しく。そう教わったからね」
「このお姉さん、竜騎士だからね? 女というより騎士だからね?」
「最近の女性は逞しいねぇ」
「女騎士は昔から存在してたよっ」
「え、そうなの?」
「ノルジスってどこまで記憶力悪いのっ?」
頭はだいじょうぶかと、乱暴に揺すられて目が回った。
忘れられているようだが、ノルジスは一週間ほど眠っていない。そろそろ眠気に負けそうなほど、体力がない。
「あ、ちょっと死んでいい?」
「ああごめん」
軽く謝られた。
「あの、話を……いいでしょうか」
「そうそう、脱線してしまったね。魔王と勇者の話をしなくては」
本題を大いに忘れかけていた。
「トーエイの森にいる魔王を倒すために、勇者が召喚されたのだったね」
「はい、そうです」
「この森に勇者が必要な存在はいないんだけどねえ?」
「そのように、見受けられます。ですが、わたしがこの森に入る際、確かに今までになく魔が多く見られました。わたしは竜騎士ですから、それほど困りませんでしたが」
「きみ、そういえばどうやって森に入ったの? 僕はこの森に不可侵の結界を張っていたのだけど」
「ふつうに入れましたが?」
「ここにもふつうに来れた、と?」
「はい」
ふむ、とノルジスは唸る。
どうやらツヴァイを招き入れたのはセヴンではないようなのだが、だからといってツヴァイが入って来られるような安易な結界でもない。いくら破るのが容易い結界でも、セヴンの姿を見ずして破ることは敵わないのだ。
とすると、犯人はセヴンではない。
「レヴンか」
「レヴンがなに?」
「僕の結界を壊していったようだね」
「ああ、確かにレヴンなら壊すかも。けっこう乱暴者だからね」
セヴンがちょっと抜けた性格なら、兄のレヴンはちょっと抜けた乱暴者だ。その怪力が尋常ではないと、いつになったら気づいてくれるだろう。
「もしかして、魔王の正体もレヴンだったりしない?」
「まあ可能性的には大いに。レヴンの印象なら、魔王に見間違えられてもおかしくないからね」
「あほ兄貴捕まえてこようか」
「そうだね。とりあえず捕まえておいで」
「はーい」
ちょっとそこまで行ってくるよ、という軽いノリで、セヴンは行ってしまう。もちろんそれくらいのノリで充分な成果を得られるから、問題はない。
「え、あの……ノルジスどの?」
「ノルジスでいいよ。とりあえず魔王もどきをセヴンが捕まえてくるから、話を進めておこうか」
「はあ……しかし、その、だいじょうぶですか?」
「なにが?」
どうも呆気に取られ易いツヴァイは、しかしノルジスとセヴンの軽さについていけないだけである。
ノルジスが首を傾げると、きりっと表情を改めた。
「先にも言いましたが、今この森は魔に溢れています。この家の周囲だけ不思議なことに安全なのですが、だからこそ、一歩でも外に出たら危険です。セヴンどのをおひとりで行かせてしまうのは……」
ツヴァイは、自分の経験からセヴンが危ないと、心配してくれているらしい。
ノルジスはにこりと、微笑んだ。
「セヴンを心配してくれてありがとうね」
「え……は、いえ、わたしは竜騎士として見過ごせなかっただけで」
ノルジスの笑みに少し頬を赤らめたツヴァイは、それでもちらりちらりと背後を見やり、セヴンを心配してくれる。
けれども、とノルジスは暢気に、セヴンが淹れていってくれたお茶を啜る。
「あの子はこの森から、麓の都市にある学校に通っている。歩き慣れた森だから、だいじょうぶだよ。それに……可哀想なことになるのは、魔のほうだからね」
「は……い?」
「僕のセヴンに手を出す魔なんて消滅すると思うよ?」
「しょ……消滅」
にこり、と笑みを深めたら、なぜだろう、ツヴァイが顔を引き攣らせた。
「あれ? 僕、なにか変なこと言ったかい?」
「い、いえ!」
「ああごめんね? ここ数年、十数年かな、話し相手がセヴンとレヴンだけだから、ちょっと言葉がおかしいかもしれない。記憶も曖昧だからね」
「お気になさらず!」
「そうかい?」
「はい! それより、魔王に御心当たりがあるようですが!」
急に硬くなったツヴァイに、さてどうしたのだろうと思いながら、なにもないそこを叩くように空を指差す。
「噂を、聞いたことがないかな」
「どのような噂でしょう」
「真っ黒な竜騎士が空を横切る噂」
「それは……」
思い当たる噂があるのだろう。ツヴァイは少し思案して、彼女の国で聞く噂を話してくれた。
「悪くもなければ、好いわけでもないのですが……親が子に聞かせるものとして、黒い竜騎士の話があります。悪さをすると黒い竜騎士が地獄へと連れて行くぞ、と」
「ふぅん?」
「随分と昔から存在する子どもへの戒めですが、それがここ数年、本当に黒い竜騎士が空を飛ぶようになって……滅多に見かけませんが、だからこそ、悪いことが起きそうだと、人々は恐れています。そういう噂でしたら、耳にしたことはありますが?」
うん、とノルジスは頷く。まさに、それだ。
「それ、僕のもうひとりの息子ね。よろしく」
「そうでし……、はっ?」
面白いくらい驚いてくれて、こちらとしても満足だ。ころころと表情が変わる竜騎士でよかったと、つくづく思う。
「それがレヴン、セヴンのお兄さんだよ。レヴンの竜は黒竜だから、ついでのように自分まで黒づくめになっちゃうような、ちょっと残念な子でね。せっかくきらきらした容姿に作ってあげたのに、なんで台無しにしちゃうかな? 黒竜をあげたのがいけなかった? 銀竜をあげたらきらきらしてくれたのかな? まあとにかく、残念な子なんだよ」
「は……はあ」
「セヴンはその点、ちゃんときらきらしてくれているからいいけど。ほら、僕って髪も目も真っ黒でしょ? きらきらすることって、たまに瞳が銀色になるくらいで、ふだんは一つもきらきらしないわけ。だから子どもたちにはきらきらした要素をあげたんだけど……レヴンはどこで失敗したのかな」
「……わ、わたしが言うのも、おかしいかもしれませんが」
「うん?」
「その……育て方を間違えられたのでは?」
ハッとした。
「僕が悪いのかっ!」
「いえそういうわけではありませんが!」
そうか、とノルジスは項垂れる。
ツヴァイに指摘されるまで気づかなかった。どうやら長男の育て方を、間違えてしまったらしい。いや、だからこそ次男のほうにはきちんと、レヴンのようにはならないようにと気をつけることができた。おかげでノルジスの望みどおり、セヴンはきらきらとした淡い金髪を、さらさらと太陽にかざしてくれる。いつだってそれは目に優しい。瞳も、琥珀色の双眸は太陽の光りで優しく輝く。
「セヴンはきちんと育てられた気がする、うん」
あまりのきらきらに恨めしくなるときもあるが、まあそれは置いておく。自分が真っ黒だという残念さに拍車がかかるだけだ。
「……ノルジスどのの、それは、本物ですか?」
「ノルジスでいいってば。それって?」
「では、ノルジス。その、髪や瞳の色、です。真に、漆黒なのですか?」
紅の色を持つツヴァイには、ノルジスのこの色は珍しいかもしれない。いや、この世界的にも珍しいだろう。
「忌み子」
「はい?」
「僕が、忌み子であるか、そう訊きたいんだろう?」
ふう、とノルジスはため息をつき、しかし口許には笑みを浮かべたまま、腰かけていた椅子に深く座り直した。ツヴァイは、口を噤んだようだ。
「そうだよ、僕は忌み子だ。誰からも嫌われる。人間に好かれたことなんて一度も……ああいや、一度だけあったかな。魔術師として、僕は都市に呼ばれた。あの頃は若かったからね……乞われたらなんでもしたよ。喜ばれることが純粋に嬉しかったからね。けれど……長くは続かなかったなぁ」
もう忘れたと、思っていたけれど。
思い出してみれば、意外にも記憶は蘇ってくるもので。
楽しかった気持ちも、嬉しかった気持ちも、そして悲しかったり虚しかったり、憎く思ったりしたことも、すべて思い出すことができる。
「……あなたは、本当に、トーエイの森の魔術師でしたか」
「住み着いているわけではないけど、そこは否定しなかったでしょ」
「では、あなたは……」
顔色を白くしたツヴァイに、やっぱりそういう顔をするのかと、少し残念に思いながら、しかし嘘をつけるほど優しい性格ではないノルジスは、はっきりと告げる。
「魔王と、呼ばれたこともあるよ」
かちりと、ツヴァイの腰にある剣が、小さな音を出す。
「セヴンやレヴンには、内緒。父親が魔王なんて……あの子たちが笑って喜ぶだけだからね」
「……、は? あの、そこは悲しむのでは?」
「突っ込めるようになったね、竜騎士さん」
いい成長ぶりだ、と笑うと、ツヴァイがまた顔を引き攣らせた。
「話がまた反れてしまったね。とにかく、僕に心当たりがある魔王は、僕の息子だから。しばらくおとなしくさせるから、それでいいでしょ?」
「今あなたが自ら魔王だと名乗りましたが」
「いやだなぁ、それは場の雰囲気だよ。それにほら、魔王のイメージって黒なんでしょ? 僕って忌み子だから、それに該当するんだよね」
きらりと、ツヴァイの目が光った。
「今、わたしの耳に理解できない言葉がありました」
「……わぉ」
しまった、と思ったが遅い。誤魔化そうと思ったのに、よくもまあ短時間でここまで成長してくれたものだと、ノルジスのほうが今度は顔を引き攣らせた。
「いめーじ、とは、どの国の言葉でしょう」
ここで笑って誤魔化せるだろうか。できなかったら、自分は彼女に、斬られることになるのだろうか。いやしかし、ツヴァイは「逃げろ」と言っていた。「命が危ない」とも、言っていたではないか。
ツヴァイにその気はない。理由は知らないが、トーエイの森にいる魔王を殺すつもりは、彼女にはない。
目的はなんだろう。
今さらだが、ノルジスは首を傾げた。
「あなたが、魔王なのですね」
「……セヴンとレヴンには黙っていてくれる? いやあのね、あの子たち、本気で喜ぶから」
「あなたが忌み子として嫌われ続けたのなら、あなたの御子である彼らは、確かにあなたが魔王であることに喜ぶでしょう」
「竜騎士さん、実はものすごく頭の回転が速いね?」
「あなた方の軽さに気を取られたのは事実です。まさか、こんなに軽いお方が魔王だとは、思いもしませんでしたので」
なにが悪かったのだろう、と考えてみる。
一つ言えるのは、起きた時期が悪かっただけ、だろう。そして、起きてすぐ一週間も起き続けたのもいけなかった。本になど夢中にならないで、さっさと眠ってしまえばよかったのだ。そうして、またいつか起きる。その生活を、セヴンとレヴンに護られながら、永遠に続けていればよかったのだ。
「休眠があるって、便利なようで不便だね」
はあ、と諦めにも似た肯定をツヴァイに見せると、ちょうどよく空に、黒い影が降りてきた。
「父になにしてるか、竜騎士!」
「……ちょっと片言に聞こえるのはなぜかな、レヴン」
「父から離れろ、ちゅうきち! あ、噛んだ」
「噛み過ぎだよ」
いったいどれだけ人と触れ合わない生活を送ったのか危ぶまれるレヴンの声に、ノルジスは笑った。