1.殺し屋の女
投稿初日、5話同時投稿の1話目です
女は、殺し屋だった。
「来る、な。来るな来るな来るなああぁぁぁあ!!」
悲鳴が、響く。
女は無表情に、無感情に、目の前でみっともなく腰を抜かす男に近づいた。
女が纏うのは、喪服のような漆黒のドレス。ふりふりとしたレースがふんだんにあしらわれたクラシカルロリィタのそれは、作り物めいた女の無機質さを強めている。
陶器のような白い肌を彩るのは、鮮烈な色彩の返り血だ。
女の手には、一丁の拳銃。
女は一ミリのズレもなく、男の眉間に狙いを定める。
「やめろ。やめて、くれ。やめてやめ——っ」
パンッパンッと乾いた音が二回、鳴った。
次いで、ドサリと重いものが落ちる音がして、あたりに静寂が満ちる。
女は絶命した男を確認すると、くるりと背を向け出口へと歩を進めた。
一歩、足を進めるとピチャリと液体を踏む音がする。その液体は全て朱色であり、わずかな粘り気を伴っている。
女の進む道に、生命の灯火はない。
あるのはただ、ものを言わぬ、数多の骸だけだった。
〇〇〇
仕事を終えた女は、早足で帰路につく。
すでに血に濡れた服は着替えていた。頬についた鮮血も洗い流した。
都会の、なにも知らない一般人の中を、女もまた一般人のひとりであるように進む。
常に心は平坦に。そう教育された女だが、帰宅する足は心なしか軽い。
女が帰るのは、寂れたボロアパートだ。中は恐ろしいほどに生活感がなく、がらんどう。
玄関扉を開けた女は、手を洗うでもなく、ご飯を用意するでもなく、壁ぎわに座り込んでスマートフォンをカチリと起動した。
暗い部屋の中で、スマートフォンの画面だけが煌々と輝く。
『花と聖なるアカデミア』
ポップな音楽と星が流れるようなエフェクトと共に、タイトルが画面いっぱいに表示される。
タイトルが消えると、このゲームのメインキャラたちの立ち絵が順々に映された。
最近、巷で人気の乙女ゲーム『花と聖なるアカデミア』。通称、『聖アカ』。
女にとって、唯一好きだと言えるもの。
心なしかキラキラと輝く瞳で、女は画面を凝視する。
画面の中のキャラクターたちは人と人とで心を通わし、暖かな人間関係を築いている。
殺ししか教えられなかった女には、想像もつかない世界だ。
(今日、殺した人にもそういう人、いたのかな)
ゆらり、と心が動く。
女は自分の胸に手をあて、不思議そうに首をかしげた。
今まで指示通りに数え切れないほどの人を手にかけてきたが、この乙女ゲームを始めてから時折心のゆらぎを感じるようになった。
これが一体なんなのか、女には全く分からない。
ブーッブーッ
唐突にスマホの呼び出し音が鳴り響き、乙女ゲームの画面が暗い通話画面に切り替わる。
「はい」
『仕事だ。【いちご】』
「はい」
女はすぐさま立ち上がり、装備を整える。
スマホに送信された位置情報は、人気のない地域に位置する廃工場を示していた。
〇〇〇
「【いちご】、到着しました」
「遅い」
「申し訳ありません」
もう使われないホコリを被った機械が立ち並ぶ廃工場には、異様な光景が広がっていた。
「すみません、すみません!! どうか、どうか娘だけは……っ!」
中央のイスに縛り付けられ、切り傷や打撲だらけの中年男性。
おそらくつい先ほどまで拷問を受けていたのだろう。ぐったりとしているが、それでも必死に顔を上げ、なにかを目の前の男に訴えている。
「お父さん!! お父さん!!」
「おとうさんっ」
中年男性を取り囲む数人の男たちに腕を押さえられているのは、姉妹らしき二人の少女だ。二人とも泣いて叫んでいるが、父親に向かって腕を伸ばし続けている。
女を呼んだ師匠とも言える男は、そんな彼らを顎で示して、指示を出す。
「【いちご】、全員処分しておけ」
「……」
女は無言で、目の前の親子を見つめた。
一歩、そちらへ近づくと、中年男性を取り囲んでいた男たちは、娘二人を解放して女の後ろへと移動する。
娘たちは解放されるやいなや、父親の元へ駆けつけた。
父親は娘を逃がそうと必死だが、娘たちは頑として父から離れようとしない。
これは、女が、知らないものだ。
「おい【いちご】、さっさと済ませろ」
「……はい」
女が再び近づけば、親子は恐怖に凍り付いた顔で、それでも離れまいと手を握り合う。
女は拳銃を取り出し、ギュッとグリップを握りしめた。
「……」
「なにしてんだ、早く撃て」
「……」
「聞こえなかったのか?おい——」
「私、この人たちは殺すべきでない、と思います」
この人たちは、女にないものを持っている。『聖アカ』のキャラクターたちのように、温かいものを育んでいる。
だから
パンッ
「……っ」
鋭い痛みが肩口を走って、思わずよろめいた。
反射的に痛みの元を確かめれば、ちょうど弾丸ひとつ分の空洞が空き、そこから鮮血が溢れ出ていた。
誰が撃ったかなど、自明。
「おい、何言ってんだ。血迷ったか?」
背後で女に銃口を向けた男は、片眉を上げる。照準を確実に女に定め、イライラしたように舌打ちをした。
「調子乗ってんじゃねえぞ。人形は壊れたらいらねえんだ。さっさとやれ」
「……私は、彼らを殺すべきではないと思います」
男が引き金に指をかけた瞬間、女は袖に隠していたナイフを投擲し、その射線をそらす。
男の目を見開いた表情を見て、なぜそんなに驚くのだろうかと不思議に思った。
(私に強くあれと、そう命じたのはあなたなのに)
人生で初めて、女は自分を管理する存在に牙をむく。
〇〇〇
ポタポタと、腕から鮮血がしたたり落ちる。
この血が自分のものなのか、あたりに転がる死体のものなのかは分からない。
ただひとつ確かなことは、廃工場の中で生きているのは女と親子だけだということ。
女はイスに縛り付けられた父親の方へ、ゆらりと歩を進める。
親子はビクリと身をすくめるが、女はそれを横目に父親を縛り付ける紐をわずかな動作で切り落とす。
「どうして……」
呆然としたような父親の呟きに答えることはできず、女は重力に従ってコンクリートの地面に倒れ伏した。
さすがの女も、この人数の手練れを相手に無傷ではいられなかった。
体にはいくつもの穴が空いている。どれが致命傷となったかなんて、判断がつかない。
「お、おい、しっかり!」
「おねえちゃ……」
親子三人に囲まれながら、女は抗いがたい眠気に従ってまぶたを閉じていく。少女の小さな手が、女の服の裾をそっと握った。
——血に濡れて汚いのに、どうして。
最期の視界に映ったのは、心配そうにこちらをうかがう三人の顔だ。
女は、最期の最期に、自分を案じる言葉や視線というものを初めて知った。
この日、名もなき女の人生はひっそりと幕を閉じた。




