第1話 お紺の魔窟2
町奉行所の詰所。
榊原は胸を押さえ、息を呑んだ。
「……出たな」
腰の十手の影に寄り添う 見廻りの神 -神守が囁く。
「長屋のあたりだ」
榊原は立ち上がり、同心を連れて駆け出した。
そのころ、長屋の前には、すでに野次馬が集まっていた。
人ひとりが通るのがやっとだったはずの黒い穴は、
いまでは長屋一部屋を埋めるまでの大きさに
「なんだよこれ……影か?」
「昨日まで何もなかったぞ……」
ひとりの男が、恐る恐る手を伸ばした。
「ちょ、やめとけって!」
だが遅かった。
ズッ……!
「ぬ、抜けねぇ!! 手が……!」
榊原が叫ぶ。
「腕を切れ!!切らねば死ぬ!!」
同心が刀を振り下ろし、男の腕は穴に吸われ、
代わりに血のついた布切れが吐き出された。
男は地面に倒れ込み、周囲は悲鳴に包まれた。
その時、黒い穴が脈動し、ドサッ と何かを吐き出す。
お紺の旦那だった。
外傷はない。ただ、恐怖に歪んだ顔だけが残っていた。
「……魔窟の最初の死者だ」
榊原は歯を食いしばった。
その頃。
弥一は工房で、預かった手許箪笥の修理を終えて、箪笥を抱えて長屋へ向かっていた。
折れた桟を作り直し、割れたほぞに埋め木を合わせ、木目を読むように指先で撫でる。
「……よし。これなら大丈夫だ」
――修理のとき、箪笥の底板を外したら、古い手紙が一通、挟まっていた。
しかし、読まずにそっと戻した。持ち主が最初に読むべきものだと思ったからだ。
だから今日、お紺が取りに来る前に届けようと思っていたが、その肩の上で、
正がぴたりと動きを止めた。
「弥一……」
「どうした?」
「……ひとつ、開いた」
「開いた?」
「魔窟だよ。しかも……すぐ近く」
その瞬間、外からざわめきが聞こえた。
「誰か呼んでこい!」「腕が抜けねぇ!」
弥一は手許箪笥を抱え、声のする方へ走り出した。




