第ニ十四話 霊珠
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私はメインフレームの強化から手を付け始めた。何を行うにせよ演算能力は必要だ。幸いここでは真空や超低温に近い環境が比較的容易に手に入る。現在の主流は量子コンピュータとデジタル・コンピュータの複合型だ。量子コンピュータはまだ限界が多い。量子誤り訂正の強化とデコヒーレント耐性の強化、量子状態を保ったままメモリへの入出力などが主な改善点だろう。
ほかにもあるがこの3点を改善できれば、飛躍的に演算処理能力が増加する。まず誤り訂正から始めた。現状主流になっているものは4量子ゲートで誤り耐性を強化させる方法だ。これを5量子ゲートにできれば理論上誤り耐性は更に強化される。別の実験で使っていた素子を流用し、どうにか稼働するものができた。これで今より規模の大きい演算回路を組み立てられる。
流用した素子は思わぬ適合性を示し、一時メモリまで実現できた。とはいっても現状では、一度の演算処理で、8量子ビットの演算部分を5ミリ秒ほど連続で動かせるだけになる。その時間内であれば一時メモリへの入出力も可能になった。一時メモリが使えるようになったことは大きい。これで量子状態を保ったまま、デジタル・コンピュータで言うところの四則演算が可能となった。
その上、使った素子はフェムト秒単位で稼働した。通常の量子演算素子に換算すると1000億個相当のスコアが得られた。演算処理能力だけであれば現在各国が持っているものを上回れたと思う。まだ改善の余地は大いにある。ともかくこれでいくつかの実験やシミュレーションを始めることができる。
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「こちらでよろしいでしょうか、ヒトミどの」
「ええ、十分です。ありがとうございます」
ここはツカハラ家の道場の近くの小さな建物。昨日ヨシヒデさんに話した作業を行うスペースとして借りている。ヨシノリさんが奥の蔵にしまってあった魔核を持ってきてくれた。いくつかの箱に大きさごとに分けて魔核が入れられている。フタバも運ぶのを手伝ってくれた。
魔核の中でも小さなものを布越しにつかんで並べていく。1cmぐらいの魔核だ。ナノマシーンは生き物を構成するときは活発に活動する。逆に布などを構成するときは不活性化する。不活性化したものは侵食されにくい。
私はデバッグ・モードに入る。
魔核と呼ばれるバグのあるハイブリッド・ナノマシーンは修復力も強い。多数の有機ナノマシーンで作る疑似細胞のデータが書き換えられても、内部の無機ナノマシーンの集合体がすぐに直してしまう。無機ナノマシーンの集合体の方を書き換えても、今度は疑似細胞が直してしまう。バグを直すには両方を同時に直す必要がある。霊刀から発信される修復プログラムだけだと、おそらく足りない。いや一部は修復される。
残りの大部分によってすぐにもとに戻されてしまう。相応の数の修復プログラムを同時に伝える必要がある。デバッグ・モードで思考加速を行った理由でもある。全体を制御しながら、魔核に多数の修正プログラムを送信する。全体の制御は魔核の活動を少しでも抑えるためだ。バグがあってもナノマシーンであることに違いはない。コマンドで魔核の活動を抑えることも少しはできた。やがてバグの修正が完了した。
「こ、これは、よもや、霊珠」
「霊珠でしょうか、ヨシノリさん」
「はい、おそらくはですが。都の学園で見たものに似ています。時をかけねば魔核の浄化はできぬと、法術に優れているフソウ家やイクノブ家の者に聞いておりました。それを瞬く間にされるとは、さすがはヒトミどのです」
バグがなくなったハイブリッド・ナノマシーンのかたまりは霊珠と呼ばれるらしい。浄化はバグを取り除くことだろう。霊刀に使ったものと似たプログラムもあると聞いている。私は短時間に何度も修復プログラムを発信した。時間をかければ同じことができると思う。ヨシヒデさんにも確認してもらうためヨシノリさんに霊珠の一つを渡した。フタバは残って手伝いを続けてくれる。
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「フタバ、小さな刃物を持っていないかな」
「う、うん。これで良い? ヒトミ」
今はフタバと二人きりだ。話し方も二人だけのときのものに戻っている。私はフタバに渡してもっらた刃物に細工していく。ハイブリッドに対応できるのは同じハイブリッドだけだろう。霊刀は刃先の無機ナノマシーンが修復プログラムを発信するようにしたものだ。霊刀では魔核があると効果が薄れてしまう。私は修復したハイブリッドで刃物をコーティングしていく。
発信する修復プログラムの強化も行う。この修復プログラムは無機と有機のナノマシーンに同時に信号を送る。一回ではうまく行かないと思うので、短時間で何度も送るように設定する。小さくなった霊珠を刃物の中にススウと染み込ませるように入れる。こちらはバックアップ用だ。刃物の方が侵食されそうになったとき、素早く復元するために入れた。これでハイブリッド同士の戦いが有利になったと思う。
「霊刀より強い?」
「試してみるね」
刃物を小さな魔核に近付ける。少し抵抗があったけど、魔核が霊珠になっていった。
「す、すごい。すごいよ、ヒトミ」
「ふふ、あなたの精霊は優秀でしょ?」
「う、うん」
感心していたフタバが赤くなる。ふふ、初々しい。可愛いよ、フタバ。だから昨夜みたいに剣気で私を操る回数は減らしてね! 少しなら良いけど。ネコやウケも良いけど。タチやリバもしたいから。
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残りの魔核も霊珠に変えていく。修復プログラムの送信機能も設定する。あらかた霊珠に変えたところで、次の作業に入る。修復プログラムを発信するようにした霊珠をほどいてナノマシーンに戻す。それを陶器の入れ物に入れる。残しておいた魔核から一部のナノマシーンを慎重に取り出す。それを作業台に固定し、陶器の中身を少しだけかける。液体のようになった霊珠が小さな魔核にかかる。成功したみたいだ。魔核は霊珠によって修復されていた。
これで「治療薬」も手にはいった。治療薬は多目に作っておく。霊珠を細かくすりつぶし、私が手を加えた霊珠に触れさせれば、同じ薬も作れると思う。ただ普通の人がやると時間がかかりそうだ。タネミさんなら速く作れると思う。次にいくつかの霊珠を使い厚めの箱を作る。その箱の中にやや大きめの魔核を入れる。さっきの小さな刃物では霊珠に変えられなかったものだ。
「あっ、霊珠に変わった?」
「うん、そうだよ。これでいつでも霊珠を作れるようになるよ」
「⋯⋯ヒトミ」
フタバが身を寄せてきた。私がこれを作った理由を察したみたい。これは私が居なくなったあとのために作った。この箱で浄化した魔核は、修復プログラムを発信する霊珠になるように設定している。
「フタバには生きていてもらいたいから」
「⋯⋯うん」
「もし再ログインに手間取ってしまっても、無事でいて欲しいから」
「⋯⋯うん」
いつものように優しくあやしながら伝える。
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「先日は済まなかった、一美君」
「一美です! ⋯⋯どの件のことでしょうか」
「い、いや、どの件と言われても、科学者としてあるまじき態度を取ってしまったことなのだが」
「⋯⋯と言いますと」
「うむ。科学者であれば得られたデータは全て検証し、観測ミスなどがなければ冷静に受け入れなければならない。例えそれがどんなにへ⋯⋯特異なデータであってもだ」
おい、今変なデータと言おうとしたな!
「私はそんなに『変』でしょうか」
「ああ、そこに疑問の余地はない。へ⋯⋯ではなく特異なのだがね」
「⋯⋯疑問の余地もない」
「その通りだ! これまでの観測データがそれを明確に示しているのだよ、一美君」
「一美です! 趣味や嗜好は個人の自由だと思います!」
「君は一体何のことを。ああ、あの短尾とか呼ぶもののことか。いや、あれとは違う」
「字が違います! 耽美な趣味です!」
「う、うむ。いや私は主に物理関係の研究者なので、心理学や精神医学は専門外なのだがね」
「精神医学って何ですか! 多少マイノリティかもしれませんが、私は正常ですわヨ、オホホ」
「そ、そうかね。君の趣味の特異性は私にとってたいした問題ではない。君は気付いていないと思うが、私はそういった人の感情の機微に疎いようなのだ。済まないがそう認識しておいてもらえないだろうか」
「とっくに認識しています! ⋯⋯それで物理的な特異性とは何でしょうか」
「う、うむ。君がVR環境下で高速処理をするときのことだ」
「先日もその話しがあったかと思いますが」
「ああ、それ以降も観測は続けていた。どうやら君は高速演算中に思考を分けることができるようなのだ」
観測をしていただと?
「⋯⋯私のプライバシーをのぞいていたのでしょうか」
「い、いや、もちろんプライバシーへの配慮はしたとも。あくまで数値のみの計測だぞ? 私は遵法精神のかたまりのような存在だからな」
そこで、なぜ目をそらす?
「それで、思考を分けるとは」
「うむ。君の生体部分の脳とナノマシーンが作ったネットワークは普段完全に同期している。ところが高速演算をするときだけ、ネットワークのみで処理しているようなのだ」
「と言いますと」
「あくまで高速演算中に限るが、君の思考部分の一部が同期しなくなる。すぐに戻って再同期するのだが」
「つまり、一瞬だけ二重人格のようになると言うことでしょうか」
「いや正確には違う。同期していない状態でも記憶は引き継がれている。別人格が生じるのではなく、わずかな間だけ二人分の思考を行うのだ」
うーん? よくわからない。
「ほんの少しの間だけ電脳化された状態を保てる。すぐ元に戻るので気が付かないレベルだが」
「電脳化でしょうか」
「ああ、君はVR環境下だけでも自我を保てる可能性があるのだ」
「それは何日でも耽美なゲームを続けられるということでしょうか」
「う、うむ、おそらくはいずれ可能になると思われる。ただ君の特異な趣味を存分に味わうだけというのはもったいないと思うのだがね 一美君」
「一美です! それ以上大事なことなどありません!」




