14 ワレモノ厳禁
大学一年目の自分は半分引きこもりだと言っても相違なかった。
お試しの夏季スクーリング含め、一年の間に計画していた単位は全て取れたものの、見つけたかった自分の発見というよりかは目を逸らし続けていた自身に気づかされ、それに振り回される羽目になった。
わたしでない私が化けて出てくるのが怖い。私がわたしの皮を被る条件はわたしが人前に晒されること。その根本的なことを自覚してしまってからは、とにかく人前に出ること、他人の視線に晒されることが耐えられなくなってしまった。
オンラインのライブ授業での顔出しはおろか、出席確認のために画面に表示される自身の名前が他人に認識されることですら悍ましく感じて耐えられない。画面上部の真っ黒な四角の中に自分の名前が白々と表示されることに我慢できず偽名を使ってしまい、あとで注意を受けたこともあった。自身の性質を認識してしまった弊害はそれだけではない。大学の単位修得試験は当然、各地域に会場が用意され、わたしの場合は大本の大学に近いために入学した大学がそのまま会場であった。受けたことのない大学の試験と言えど、だいたいの雰囲気は想像がつく。決められた席に番号順に座らされ、箱が大きかろうが小さかろうが寿司詰め状態で満足に身動きも取れない状態で一日を過ごすのだろう。全く知らない他人の気配が蠢く中で、息を殺して。
想像が鮮明になればなるほどに顔が強張っていく。これではとても試験なんて受けられない。受けるどころか、今の状態では会場にすら入れないのでは。でも単位は最短で取らなくてはいけない。
追い詰められて、それでも何とか踏みとどまろうとして、でもやっぱりどうすることもできなくて。
白旗どころか、処刑台の前に立たされているような気分で毎回オンライン授業を受けていたのを祖父はちゃんと見ていてくれたのだろう。
二年目の初夏だった。自分の今の状態から必死に目をそらして、一年目の時と同じように夏期スクーリングを予定に突っ込みまくって、やってしまったと頭を抱えていた時だ。
「ゆうちゃん。魔法の紙を取りに行こうか」
言っている意味が分からず、とりあえず着いてきなさいと言われたのはわたしの大学だった。今日は試験でもスクーリングでもないのに何故。と疑問符を浮かべていると、平日の昼間なので当たり前だが昼間コースの学生たちがいたるところに大勢いて賑わっている。別にそれだけで、わたしが接触しなければならない相手でもないのに、その声が、気配が、目が。今のわたしには致死量にもなり得る毒でしかなかった。じっとりと流れる不快な滴が、冷や汗なのか照り付ける日差しのせいなのかも判然としない。
ああ。いつからこんな有様になってしまったのだろうか。これではいっそ、化けられた時の方がマシだったかもしれない。
なけなしの意地で、祖父の後ろではなく隣を歩くが視線はおのずと地面へと向かう。と、祖父の足が止まった。
大学内に植わっている自然に溶け込むようなやわらかい色合いの建物、というより小屋に近いのだろうか、がそこにはあった。祖父に促されるままに入ると、内装も落ち着いた色合いで統一され、まず目に入ったカウンターの奥にはさらに部屋がありそこには座り心地の良さそうな椅子が木製のテーブルをはさんで向かい合って二脚。
建物の扉を閉めた瞬間、外のざわめきと気配を断ち切っててくれたような気がして息苦しさが少し和らぐ。
いや、その前にどこだここは。
「予約していました、巳名貴侑です。私は付き添いの祖父でして。本日はよろしくお願いします」
「お待ちしていました。ではまず、ご連絡通りお爺様から先生とお話していただくということでよろしいでしょうか」
「ええ。お願いします」
ゆうちゃん少し待っててと、祖父は奥の部屋へ受付の人に促され入って行ってしまった。
本当に何。情報が全く追いついていない。サプライズどころの話ではないぞ祖父。
混乱したまま扉の前で突っ立ていると、受付のご年配の女性が戻ってきた。
「どうぞ、おかけになってください。お楽な姿勢で大丈夫ですからね。お爺様と先生のお話は少し時間がかかると思いますから、何かお飲み物を出しましょうか。何がいいですか?ドリンクバー並みに何でもあるんですよ」
ふふ、と品よく笑いかけてくれるこの方には申し訳ないが、とりあえずここの説明が欲しい。
ここはどこで、わたしは一体なんで連れてこられたの。
そして今のわたしにとって、何がいいかと選択を委ねられるのが一番精神的にも脳のキャパ的にも負荷が大きい。未だに自分の好みがわからないのだから、選びようがないし、なんなら何もいらない。
「甘いものは飲めますか?」
「……大丈夫です」
「アレルギーは?」
「ないです」
「なら、冷たいオレンジジュースにしましょうか」
わたしの混乱っぷりが伝わったのだろう。女性は質問を変えてきた。これならばまだ答えられる。正直、助かった。
「ミナタカさんって読むんですね。漢字からして品のあるお名前ですね。まるで神様からもらったみたいね」
「あの。わたしは何をしていれば……」
「お爺様と先生のお話が終わるまで、ここでゆっくりしていてください。お爺様が戻ってきたら貴女もできれば先生とお話してみましょうね」
「先生って、教授ですか?ここ研究室には見えないのですが……」
ちびちび目線が会わないようにジュースを飲みながら話していれば、それでもわかるくらい女性は驚いていた。
「あらあら。知らないまま来たら、それは困ってしまうわよね。ここは大学の中の常駐の心療内科のお医者さんと臨床心理士さんがいる診察やカウンセリングを行う場所ですよ」
なんでそんなとこに連れてこられたんだ。説明されたとはいえ、余計に疑問が湧いてくる。そして祖父。頼むから前もって教えてくれないか。祖母にまたちくるぞ。
少々拗ねながら黙ってしばらく待っていると、奥の部屋から祖父が戻ってきた。
「ゆうちゃん。今の自分の状態をそのままお医者さんに伝えてごらん。取って喰われやしないから大丈夫だよ」
意味の分からない声援を背中にうけつつ、なかば遠い目をしながら奥の扉へと手をかけた。
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「暑いところ、御足労ありがとうございました。そんな猫のように気を張らずに。どうぞ、お掛けになってください」
警戒心むき出しで、扉から顔を覗かせていたわたしを苦笑しながら迎え入れてくれたのは白髪で眼鏡をかけ、しゃきりと知的な雰囲気を纏った白衣の男性だった。祖父よりも年齢で言ったらもしかしたら上の方なのかもしれない。固めな印象の中でも、目元は柔らかく皺が多い。笑い皺だろうか。
「巳名貴さん、こんにちは。貴女を担当します、柚子ノ葉と言います。クリニックは別であるのですが、ここには担当の曜日に学生さんの様子を診に来ているんですよ。巳名貴さんのご様子はお爺様からも伺いましたが、本人の貴女からも体調のお話を聞かせてもらえればと思います。」
お医者さん。おじいちゃんからの話。わたしの、体調……?
別に熱を出したわけでもないがと、首をかしげているとお医者さんは紙を一枚、テーブルに置いた。
「簡単なアンケートのようなものだと思ってもらって構いません。わからなければわからないで良いですよ。少し席を外しますので、書き終わったら扉をノックしてくださいね」
そういって席を立つお医者さんを目線だけで追い、扉が完全に閉まる音を聞いてから紙の内容へと目を移した。
だいたい直近二週間のことを聞いているらしい。
用紙に書かれている内容を理解した途端、何のために祖父がわたしをここに連れてきたのか、あのお医者さんはなぜここにいるのかが分かってしまった。
回答欄には、「常に」、「しばしば」、「ときどき」、「ほとんどない」の四つの欄がある。アンケートというより問診票なのだろうか。
一、一日中気分が沈んでいるか。二、何に対しても楽しめなく興味も湧かない。三、食欲がなく体重が減った、または急激に増加した。このあたりはなんとなくするすると回答できた。そんな一日中鬱々としているわけでもないし、体重の変化もない。やりたいことははっきりしているし、祖母の絵画教室の手伝いも介とのゲームも楽しい。けれど、授業で名前や顔を出すようにと言われてからは、言動が自分でもおかしくなっているのは感じる。あとは特定の条件下で、思考が完全に飛んで逃げたいのに動けなくて、そういった日からは数日寝る時間が増えたような。
と、少しずつ思い出しながら一通り生活習慣や基本的な体調のことを聞かれていき、深く考えないままなんとなくで欄を埋めて答えていく。
が、最後の二問で手が完全に止まった。どちらも何を、どう答えればいいのかわからなかった。
「自分には価値がない」または「何かに対して申し訳ない」と感じているか。
「この世から消えてしまいたい」または「死にたい」と感じているか。
価値は、ないかな。多分。特に何かを自身に見出したことなんてないし。神様の方がずっとわたしより価値のある存在だろうし、その神様を差し置いて外に出たわたしが現状何もできていないのがただただ申し訳ない。むしろ神社から出禁を食らったばかりの頃よりうまく動けなくなって、早く何かしなければという逸る気持ちとそれに伴わない自身の心身がどろどろと醜い澱を作っているようでもどかしくて仕方ない。
消えてしまいたい、という願いは昔から持っていた。それこそ神様に会う前からずっと。初めて私がわたしの皮を剥いで化けて出たときから。
わたしでない私を消したくて、でも消すわけにはいかなくて。ならわたしを消せばいいかとなったのが、今のわたしの有様だ。死にたい、はわからなかった。そもそも想像がつかない。私を消したいけれど、わたしも私も死にたい、殺したいのかと問われたら首をかしげるしかない。手段もよくわからない。
けれど、自分は確実に死ぬのだという確信めいた何かは持っていた。何故だかはわからないし、妖しい宗教勧誘なんて受けてはいないけれど、漠然と、漫然と。自分は25歳までできっと死ぬのだろうと現在進行形で思っている。今、わたしは21歳だから、あと4年のうちに何かがどうにかなって死ぬのだろうと。別に積極的にでも消極的にでも自殺を計画しているわけではない。むしろなにもするつもりはない。だけれど、それでもわたしはあと何年かで死ぬのだろうと思って、いや願っているのだろうか。一体わたしは何の根拠の元、何に縋ってそんなことを常に思ってこれまで存在してきたのだろう。わたしがもし本当に信仰するなら、あの出禁をかましてくれた蛇神様だけで、神様はそんなこと一度も、何も言っていないのにな。
その最後の二問でだいぶ時間を取られていたのだろう。後ろの扉からこんこんとノック音が聞こえた。
「巳名貴さん?どうでしょう。書き終わりましたか?無理して全部埋めなくてもいいんですよ」
「全部は無理でしたけど、終わりました」
これ以上考えても、何も出てこない。もうすでに今日一日どころか、一週間分くらいの頭の疲労を感じている。
柚子ノ葉先生はよく冷えたレモンティーのグラスを二つお盆に載せて、再び部屋に戻ってきた。
わたしがまたちびちびとうつむいて喉を潤している間に、先生はわたしの書いたアンケートなのか問診票なのか、こちらからは判然としないものをじっと見つめていた。
手を付けられていない先生のグラスから、カランと氷の音が響いた。
顔をあげた先生から何やら聞かれて、それに疲れた頭のままそのまま思い浮かんだことを返して、をしばらく繰り返した。
「私の専門は心療内科だということは受付の方から聞きましたかね。詳細な診断のために私のクリニックに一度来てもらうことになってはしまいますが、巳名貴さんの現状は十分、生活に支障がでているかと思います。お爺様のお話と合わせて、診断書をお渡しすることは可能です。ですから、もうかなりの負荷を負ってまで自身を追い詰めることはしなくて大丈夫ですよ。診断書を提出できれば大学側から特例の配慮を受けることができます。試験も一人部屋のような形で受けられますし、講義に関しても教員と配慮内容のすり合わせが相談できますよ。ゆっくり療養していきましょう」
あとは継続的な治療を行うのであれば自立支援の、と柚子ノ葉先生は何か言っていたがもうそれは碌に頭に入ってなかったような気がする。というか、入っていなかっただろう。だって、気が付いたら祖父母の家に帰ってきていたのだから。どうやってここまで自分の体を動かしたのか、全く記憶がない。
それくらい衝撃的なことを言われた気がするし、なにより安心したのかもしれない。はっきりと、お医者さんの口から療養をと言われた。わたしはわたしが思っていた以上におかしくて、壊れていたみたいだ。
帰ってきて、祖父母に宛がってもらった自室の扉を閉めた途端、急に呼吸が苦しくなった。そのままふらついて床にへたり込むと、ぱたぱたとうっとしくて不快な水滴が手の甲に落ちた。
あ。泣いてるのか。
完全に他人事のようにぼーっと呆けながら泣いている元凶の感情をラベリングしようとしたが、頭がぐちゃぐちゃすぎて上手くまとまらなく、早々に諦めた。
今はただ、すごく眠りたかった。水底のような、わたしを外部から遮断してくれるような静かで安全な場所で。
そんなところまで連れて行ってくれるのは神様しかいないな、でも今出禁じゃん。馬鹿。いい加減入れてよ。
何をしたって無駄なことは自分が一番わかっていたから、感情の伴っていない罵声の他に思い浮かんだ言葉を懺悔とはいかずとも祈るように、内で繰り返した。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
神様、ごめんなさい。
自力で泣き止めないうちは、きっとまだ貴方には会えないんだね。
わたしがとうに壊れていたことを、貴方はわかっていたんだ。なのに出禁って、荒療治もいいとこだろ。大学の勉強で罵倒用の語彙力鍛えてやろうか。
ひどい。ばか。ごめんなさい。
幼稚園児よりも散々な言葉の羅列で頭が完全にキャパオーバーしたのを感じて、眠気のままに熱を持ち続けている目を閉じる。
会えないことが分かっているから、会いたいという言葉は出てこなかった。




