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1921年2月23日と24日の境 高天原と思しき場所

 淦色の黄金で満たされた空間。

 形容しがたき溶け合い、悶え、別れ、時として、意味なき歌声のような韻を踏みながら知性感じることなく蠢くもの。白痴なる黄金。もし一言で表すのならば、それはそう呼ばれることだろう。ただ見るだけで、生理的な嫌悪感と正気を疑うような空気すらその場に感じさせるそれは、ゆっくりとうねりながらまた、1つに絡み合っていた。

 ぐねぐね、うねうねと風もないのに、ただのたうつその姿からは知性など感じることなどあろうはずもない。だが、アドルフ・ヒトラーは嫌悪感とは別に確かにこちらを値踏みするような視線。のようなものも同時に感じていた。それは、連想させることのない幼き頃に見た憧れの景色のような郷愁を思い出させ、ありうるはずもない憧れの念を体の内から生じさせる。

 音は、声のようになりて、まるで、何かを語り掛けるかのように、アドルフ・ヒトラーの耳に入り込んでいた。

 

「私を……見ているのか」


「ええ。これは、成れの果て。忘却の堕とし仔と真反対の道を選んだ。考えによっては、滑稽なもの」


「滑稽などと。姿かたちを失うほどになり、やがて道に落ちたる石仔の1つのように名もなくなっても。忘れ去らじと、己が主を慕い続ける。これこそが、忠の最たるもの。そう思わへんか。」


 アドルフ・ヒトラーには、2人の声は入ってこなかった。それは、黄金の中から先ほどより、意味もなく聞こえる音が、まるで声のように、まるで歌のように周りの音と声に溶け合っていく。聴こえるはずのないどこか、懐かしさと厳格をも感じる音は、広がっていく。それは、目に映るすべてを消し去っていく。残されたのは、アドルフ・ヒトラーのみ。それすらも、消し去り、暗闇が残った。


「――」

 

 最後、確かに声が響いた。だが、その意味を悟ることもできないままに、アドルフ・ヒトラーの意識は黄金の海に呑み込まれていった。



 

 紀元前 1万8千年前 不明


 ラグナロクの終わりを告げる喇叭が天上をかける、天使(他宇宙起源種)共の手により鳴り渡っている。

 灼けて、焼き尽くされたこの可知宇宙(世界)に新たな歴史が創られる。

 それは喜ばしいことだ。終焉を退けることができたこと。我々の義務ではあるが、それを成し得たことは誇りであり、それこそが、歓喜(よろこび)であった。

 我が神の後姿を見る。すると、その視線の先にある者の姿が自然と目に入ってくる。このラグナロクにおいて、最も闘いを堪能したといっても過言ではない女神。手に男の握りこぶし10個ほどの刀身の奇妙な剣を構え、ありとあらえる巨人をその太陽により奪いつくし、焼き殺した。我らの敵、巨人から言わせれば、禍神。

 我らから見ても、戦いに酔っていると感じるほどに、それの戦果はすさまじいものがあった。

 聞けば、彼の女神は、我が神と親友のような関係にあると聞いている。個人的な意見ではあるが、あのような粗野なものが、我が神に並び立つなどという義憤もある。


 夜の空が青く染まっていく。先触だ。どうやら、主神とあの天使の長がこの戦場跡に姿を顕す。改めて、戦場の痕を見る。焼き尽くされたその場所。最後の闘いに赴いたのは、我々ではなかった。


 最後の闘いを繰り広げたのは、我々ではなかった。だが、我々は残った。

 勝者にはなれずに。


 顕現(気配)を感じ天を仰ぎ見た。隻眼、左手に知の生首、右手に常勝の槍を持つ見慣れた主神の姿とその天井に浮かぶ巨大な八翼を中心にした光の群れ。いつみても見慣れない天使共の姿が見えた。


「我らと共闘せし神々よ。事、ここに成り。」


 ああと、思わずうなった。もし、考えが変わっていたのならば、我らは勝利を成し得た。と言っていたはずだ。だが、主神の考えは、変わらなかった。

 思わず、視線を巡らせる。主神の言葉に、思わず顔を曇らせる神々とその眷族、信徒。神々と共に歩んだ歴史はここに終わりを告げる。

 そんな中で、あの女神だけは、天上を見上げ、満面の笑みを浮かべていた。

 何がそんなに可笑しいのか。

 我々は……。


「ゆえに、この地に興される新しき世界は、かねてより、神々(我ら)と苦楽を共にし、導きと共に歩み、この戦いの勝者足り得た。人間にこそ、その創たる権有る。」


 人間。主神と我らに共にあったアーリアの民。そして、ケルトの民。彼らが、この地を興すというのか。

 私は、再度我が神を見た。それに気が付いたのであろう。我が神も我らを見た。

 美しい(かんばせ)であった。戦いに疲れ、勝利しながらも、すべてを失った。それであっても、ただただ、気高く微笑んでいた。


「まずは祝福を。

 勝者にして、新たなるものたちに。我らと我らの主神の子であるアーリアとケルトの民に祝福を。」


 我が神は、我らにそう告げた。その言葉に深い想いを見た。神去りし後に、残れる人間(もの)に祝福を。我らと共に在りしものに。我らの忘れじの念と祈りを込めて、彼らが安らか永くを過ごせんことを。


 

 1921年2月24日 ヴァルハラ


「子供の時に感じたのだ。

 世界は、こんなにも美しいものだと。

 駆けあがった丘陵より見渡す景色には、黄金がうねり。黒き森には精霊が住まい人に呼びかける。

 そんな中で、人間は、神を信じ、隣人を信じながら、善意と協調を以て歩みを進める。

 そう思い、そう教えられてきた。

 それが、私にとっての理想であり、私にとっての神秘になった。」


 空間の真ん中で、黄金の杯の前で、アドルフ・ヒトラーは、ゆっくりと息を吐きながら言葉を出した。

 

「その理想の世界は絵筆を折ったときに砕け散った。軍に志願し、現実を見ようと考えた。友とは喧嘩別れし、親類一同からは止められた。だが、理想は止めることなどできなかった。

 彼に言われてたように、私の理想は、私をすでに圧死させていて、その屍より現れて、現実を喰らい始めていた。


 だが、今日。理想の姿を現実の屍より観る諦観の日々は終わりを迎えた。ようやくここに私の現実の新生を観た。理想は我が身となり、阻むものたちとの闘争の一部となった。

 私が描いたものは。確かに見えた神秘と現実に抗いた闘いは。間違えてなどいなかった。ここにあり得たのだ」


 ゆっくりと視線を上げると、貴婦人ととこよは階段の上で静かに待ち受けていた。その間には、あの青白い男性もいる。


「開かぬ眼でいかに白地に色を重ねようと、それは、ただ絵具を塗りたくっただけにすぎず。だが、盲真なるを描くという。アドルフ・ヒトラー。あんさんは、自分の真なる創造をようやく見ることができるようなった。

 創り上げた真なるものを世に放つこともできるようなった。

 どうや。自ずから神秘見れるようになった感触は。」


 とこよが、皮肉気に口元を隠しながら囁くように言を出す。


「アドルフ・ヒトラー。貴公の大願の種に水をやるものが現れた。だが、それは、まだ土の下にある。

 求めよ。芽を出すことを。求めよ大願咲くことを。

 それを、我は期待している。」


 青白い男性は、腕組みをしながら威厳のある声で激を飛ばした。


 アドルフ・ヒトラーは、ゆっくりと淦色の黄金が固まった杯のようなものを手に取る。それは、形を変えながら、旅行鞄のような形に変わる。貴婦人が眉をひそめたような気配を感じた。


「私は、彼の教えにあるような洗礼者ではない。伝令者だ。告げるものに聖杯は不要。」


 アドルフ・ヒトラーの言葉に、3人の顔に、笑みが浮かんだ。それは、まるで、勝利を確信したかのような昏き笑み。煉獄と地獄とあの世に住まう神が向ける美しくも醜悪な笑みであった。


「ふふ。やはり面白うのう。アドルフ・ヒトラー。

 では、伝令者の権に沿うて、世界に伝えてはくれぬか。

 

 忘却の堕とし仔たちよ。シオン・ヒルの誓約を歪たものに従うものよ。その救済を歪め、真を忘れるものよ。

 貴様らが抱こうとする偽神。赦されざる。

 炎の涯て、鉄風雷霆の先に己が身を地に臥せるが良い。

 

 自ら忘却を選び、その気高き忘却すら忘れようとするものよ。

 無垢なる堕とし仔の救済たる誓約に、自らの傲慢を注ぎしものよ。

 人にして誓約を歪め。隷属させようとするものよ。

 絶えよ。絶えよ。絶えよ。」


 アドルフ・ヒトラーは、その言葉を背に受けながら自らが変えるべき世界へと帰っていく。

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