ブサメンの醜態、恥また恥の赤っ恥
勇吾は入口を入りかけて、曖昧に笑みをうかべて立っている。
状況がまだ、よく分からないらしかった。
「矢部さん、いったいどういう話なんです、この経緯は」
「早い話しが、そこの体格のいいお前さんのセンパイが、うちのジムの人間を、さらにはキックをナメやがったのさ」
「ナメた?キックを、ですか」
「そうだ」
その、ナメられてるのにはお前さんもはいってるぞ。
矢部の説明を勇吾は、笑顔はそのままで聞いている。その心中までは、分からない。
勇吾をみた深沢の顔つきが、明らかに変わった。
いや、正確には、勇吾と共に入って来たらしい牧陽香の姿を見て、というべきか。
怒りだろう、顔面がまた、真っ赤になっている。
その表情のまま、さらに場違いなセリフが出た。
「何でテメェと陽香ちゃんが一緒にいるんだよ、おいっ?!」
勇吾は目を丸くしつつ、答える。口元が苦笑に変わっていた。
「別に、ジムに来た時間が偶然同じになっただけですけどね」
「アタシが上村センパイと一緒にいちゃ、何か悪いことでも?」
勇吾の後から、陽香が突っかかるように深沢に質問した。食ってかかる勢いである。
「悪いも何も、オレが散々、誘ってたのによ、何で上村なんかと一緒にいるんだよ」
「そんなの、アタシの自由のはずでしょ。それに何ですか、上村なんかとって、そんな言い方ないんじゃないですか?」
「言い方がなんだよ、上村なんかだから、なんかって言ってんだろ」
「だから、失礼じゃないですかって言ってるんですよ、上村さんに」
二人のやり取りを、ジム内の人間が呆気に取られた顔で見ていた。
いや、どちらかと言うと、呆れているという表情である。むろん深沢に、だ。
「オレなんか、ってのは、別に良いんですけどね。深沢センパイ・・」
勇吾がため息をつきつつ、口を挟んだ。
「そもそも、センパイのデートの誘いに乗るも乗らないも、彼女にも断る権利はあるはずでは?」
「あぁん?!」
深沢が勇吾を睨んだ。殺気だった顔である。
「何でテメェからそんな分かりきった突っ込み、されなきゃなんねんだよ、こら」
「分かってるなら、なおさらですよ」
「なおさら?何がだよ」
「彼女、牧はどうやらセンパイのことは・・」
言いかけた勇吾の言葉の先を、陽香が遮った。
「アタシ、もう何度もはっきりと、お断りさせていただいてたつもりだったんですけど」
「えっ?えっ、何だって?」
深沢がやや慌てたように、声のトーンを変えた。やはり陽香には、途端に態度を変えるようだ。
「は、は、陽香ちゃん、断ったなんて、いつ断ってたのよ、まだ返事、聞かせてもらってなかったじゃん・・・」
「いいえ、返事したつもりでしたけど。ですから・・・」
陽香は言葉を選びながらも、毅然と返す。
「クルマ買ったからドライブに、って誘われた時、アタシ言いましたよね、彼氏が乗るクルマは別に軽でも良いって・・」
「それが、どうしたのよ・・」
「あれは、アタシなりに気を使って答えたつもりだったんですけど」
「何ぃ?」
「だって、はっきり断るのも言いづらいじゃないですか、一応センパイだし、それに・・」
「それに・・?」
「軽でも良いって言ったのは、上村さんのことを言ってたんですけど」
「何だとっ?!」
深沢の声が、勇吾の名を聞く度に荒くなり、勇吾はというと、やれやれとでも言いたそうな顔である。
陽香がさらに、ダメ押しに断言した。
「だってアタシ、良いなと思ってたのは上村さんですから。現に・・・」
このセリフに驚いた表情を一瞬、深沢が浮かべたのに構わず、
「現にアタシ、今日、上村さんとつき合うことになりましたから」
「な、な、な、ななななな、何だとうっ???」
深沢が顔を真っ赤にして目を剝けば、勇吾は苦笑してアタマを掻いていた。
勇吾なりの、照れ隠しである。
ジム内には、どよめきと驚きの声が大きく上がり、口笛まで交差するように飛び出した。
「おいおい、本当のことか、勇吾?」
矢部が心底驚いた顔で尋ねてきた。声に意外そうな響きがある。
「まあ、つまり、そういう事のようですね」
「何だよ、まるで他人事みたいに言うじゃないか」
「いや、実は、オレもまだ実感がないんですよ・・・」
何しろが、半分なり行きででしたんで。
勇吾が矢部に、その先を説明しようとした時だった。
「・・・認めねぇ、認めねえぞ・・・」
怒り心頭の様子で話しを聞いていた深沢が、唸るように言葉を発していた。
「何でオレじゃなく、上村なんだよ?先に目つけてたんだぜ、オレはよ?それを、それを、上村ぁ、テメェ、横から掻っさらいやがってっ、テメェさえ、テメェさえいなけりゃよおっ・・・」
唸りはやがて、叫びになり、最後には怒声に変わっている。
「う、え、む、らぁぁぁ、テメェ、この野郎ぉぉぉ・・・・」
深沢が勇吾に向かい、怒鳴ろうとした、その時だった。
「いい加減にしろっ!!」
それまで黙って事の成り行きを見守っていた草刈が、深沢の言葉の先を制するように怒鳴った。
反射的にそちらを向いた深沢に、さらに怒鳴る。
「アンタが認めるも認めないもないんだよ。まだ分からんのか?アンタはね、振られたんだよ、つまりは。いい加減にそれを、認めんかっ!!」
「ふ、振られただとっ!?オレは、振られてなんか・・・」
「アンタのモーションには洟も引っ掛けないで、上村の誘いには応じた。これを振られたと、普通は言う。まして、上村にそれで文句をつけるなぞ、逆恨みもいいところだ」
草刈のこのセリフには、勇吾は思わず苦笑した。
本当のところは、少々違うんだがな。
「ち、ちくしょう・・」
深沢がまた唸った。唸るしか、なくなったのである。
「さて、アンタの勘違いの色恋沙汰はどうでもいいとして、だ」
矢部が口を挟むように、無理やりその話題を打ち切り、かつ、変えた。
「どうするんだ、やるのか、それとも、やらんのかね?」
深沢が矢部に、魂の抜けたような顔を向けた。陽香に振られた現実を、受けとめ切れていないようだ。
「な、何をだよ??!」
呆けたような声で、泣きそうな顔になっている。辛うじての問い返しだったと云えるだろう。
「とぼけるんじゃないよ、つい先刻まで自分が言ってたセリフを忘れたのか?、」
「セリフ?」
「うちの誰とやる気だという話しさ、スパーを、な」
矢部はそう言いながら、草刈を、次いで、勇吾を見やった。
どっちがやる、という、無言の問いかけであった。
「ああ、そう言えば、オレとやりましょうよ、って最初に言いましたよね」
勇吾が思い出したように矢部に尋ね、それを聞いた深沢の表情が一転した。
「そ、そうだったぜ、思い出したぞ・・・」
鼻息を荒くしながら、深沢が勇吾に顔を向ける。その顔には、もはや怒りよりも憎悪と言っていい、歪んだ感情が見え隠れしていた。
「上村ぁ、こうなっからにはよぉ、オレにも意地があるんだよ・・・」
「意地?」
いつもの、どこか笑みを含んだ顔で、勇吾は問い返した。
「そうだよ、狙ってた女は持ってかれたけどよ、元々のオレの今日の狙いは、テメェをここで、甚振ることだったんだよ」
「甚振る?オレを?アンタが?」
「そうとも、陽香ちゃんの目の前でな・・」
深沢の口元に、残忍そうな笑みが浮かんでいた。心からその場面を想像し、愉しんでいるだろう笑みである。
陽香が寒気を覚えたらしく、己が両肩を自分で抱きしめていた。本気で拒否反応を示している。
もはや自分にはもう、芽はないと知ったからか、深沢はそれに構わず続けた。
「そうすりゃ、テメェの弱さに愛想を尽かして陽香ちゃんは、オレに靡くって計算だったんだよ」
「・・・どうやら、聞いてたんですね。夕方の、オレと彼女の会話を、会社の駐車場で」
盗み聞きとは、あまり良い趣味とは言えませんね。口にはださなかったが、勇吾が口元に、さすがに呆れたような笑みを浮かべた。
矢部ももはや、感心したように言う。
「全く、どうすりゃそう、そこまで都合良く考えられるんだ、自分に」
「初めて見ましたよ、ここまで自分に、根拠のない自信を持ってるヤツは」
草刈がすかさず、矢部に同調した。
ジム内の練習生たちも、口々に何かを叫んでいた。やれ、自分の顔を鏡で見たことないのか、とか、舐めるんじゃないよテメェのレベルを知りやがれ、というように、罵声が飛び出している。
「自惚れないで下さいよ、仮に上村さんがアナタより弱かったとしても、アタシはアナタとなんて、つき合いません。絶対にです」
どこまで勝手な思い込みで勘違いしてるんですか?
陽香がそこまで言い切った、その時だった。
勇吾が静かに、言った。深沢に対し一歩踏み出しながら。
「いいですよ、やりましょう。そうしない限り、納得いかんでしょうから、ね」
「おい、良いのか勇吾?やりたくなけりゃオレがやってもいいんだそ」
矢部が一応、そう言ってきた。しかし、そうは言ったものの、本当に止める気はないようである。
「構いませんよ、それにどうやら、キックをナメてるのは確かなようですから・・・」
オレのことはともかく、思い知らせなけりゃならんでしょう。
勇吾が口で言わずとも、そう言いたいのは明白だ。矢部と草刈は、そう取った。
元より、そんなことをいちいち言葉にするような漢ではない。そのこともよく知っているからこそだったと云える。
矢部が頷きながら言った。
「よし、なら二人とも、すぐに準備してリングに入れ」
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深沢はリングの中に入るなり、我知らず舌なめずりしていた。
やっとだよ、やっと、ボコボコに出来る。
上村を、気に入らねぇ、あの野郎を。
入社してきた時から、気に入らなかったんだよ。
何かと女にモテる、テメェがな。
挙句の果てには、陽香ちゃんまで、オレから盗りやがった。
こうなったら、もはや意地だ。
テメェだけは、徹底的に叩きのめしてやる。
せめて、陽香ちゃんの目の前で、みっともないくらいの負けを味あわせてやる。
思い切り恥をかかせてやるぜ。
お、何だよ、いつもはどこか笑ってるような顔のテメェも、真剣な顔つきじゃねえかよ。
そうか、怖いんだろ?オレにボコられるのがよ。
安心しろよ、オレはケンカも強えんだぞ。
柔道だけじゃないんだよ。
それを見せてやるぜ。
あ、ブザーが鳴ったな。
確か、このジムじゃこれが、ゴングの代わりだったな。
いよいよ始まった、よし、行くぞ。
あれ、何だ?
テメェはただ構えてるだけのはずなのに、何か固くて重いものが飛んで来たぞ。
痛え、しかも、やたら効くじゃねえかよ。
テメェは何もしてないはずなのに、何で何か、塊が飛んで来るんだよ。
あ、痛っ、まただよ。くそっ。
ん、何だよ、数が増えて来たぞ。
テメェ、何をやってんだよ、どんな手品を使ってんだ?
あ、そうか、手品どころか、種もしかけもないのか。
何のことはない、全部これ、パンチなんだよな。つまり、テメェの。
速すぎて、見えないだけなんだ。
あれ、つまり何か。
これじゃ、オレ、手も足も出ねえだろが。
さすがにこれだけ殴られりゃ、目は馴れては来たよ。
大体だが、どんなパンチを出してるのかは分かるぜ。
これはジャブだな。凄え、この重さでジャブなのかよ。
次はストレートだな。ガツんと来る、テメェの体格からは想像出来ねえ重さがあるじゃないかよ。痛えし、効くな。
さらには左ボディ、もろに肝臓を打たれた。
今度は右フックかよ、分かってても、避けられねえ。
えっ?
と、いうことは何だよ?
これ、凄えマズいぞ。
だって、さっきからオレ、タコ殴りにされてるじゃねえかよ。
パンチは、ほぼ見えねえし、こんなに実力差があるのかよ、あるってのかよ。
冗談じゃねえよ、あの小せえ体格で、どうやったら、こんな体格差のあるオレ相手に、こんな芸当が出来るんだよ。
おい、ちょっと待ってくれ。
オレが、オレが悪かった。
こんなに強えとは思わなかったんだよ。
テメェが、アンタが、いや、アナタが。
だから、もう、勘弁してくれ、いや、勘弁
して下さい。
お願いです、オレを気絶させて下さい。
倒れることを許して下さい。
でないと、このままじゃ、オレ、死んじまうよう。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、
ご、め、ん、な、さ、い・・・・。
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「す、ス、ストップ、ストップ、ストップだっ!!」
「それ以上は、死ぬっ!練習中の事故で誤魔化せなくなるぞっ!?」
深沢が意識を失くしていると見た矢部と草刈が、慌てて勇吾と深沢の間に割って入った。
途端に深沢が、膝から崩れるようにダウンする。
矢部が深沢の傍に屈み、状態を確認した。
すでに失神していながら、深沢は倒れることさえ許されなかった。
勇吾の猛攻が凄まじく、そのため深沢はダウンしたくとも出来なかったのである。
勇吾は息を乱すことなく、汗すらもかいていなかった。
草刈に止められながら、いつもの涼しい顔に戻っている。
リングの周りでは、その光景を目の当たりにした練習生や陽香らが、皆一様に言葉を失っていた。
「す、凄え、まるで竜巻だ」
誰かが呟くのに応ずるように、また誰かが呟いた。
「デカい口を叩くだけ叩いておいて、蓋を開ければこれかよ」
呆れ半分、ざまを見やがれと言いたげな口調は、その場のジム関係者全員の想いを代弁していた。




