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4.騎士団長の憂慮はさておき

クレアが目を覚ましたとき、心配そうに顔を覗き込んでいたのは久方ぶりに会う母親だった。

 母シーラは、一昔前は社交界の華とも呼ばれた人だった。父に愛され、たくさんの子を産んだ彼女は今ではすっかりふくよかになってしまったが、その美しさは損なわれていない。福々とした愛らしい人である。


「あ、れ……? 母、様?」

「ああクレア。あなたが気を失ったと聞いて、飛んできたのよ」


 ぎゅっと母に抱きしめられ、忘れかけていた温もりに包まれる。母の肩越しに見慣れない天井が広がり、クレアははっと自分の置かれている状況を理解した。

 そうだ、私ははっきりと求婚されたことに驚きすぎて、気を失ってしまったのだ。

 王子の目を見つめたまま、意識がふっと遠のいたのを、はっきりと覚えている。


『生涯、愛し続けると誓う』


 深緑の瞳に、嘘や偽りの気持ちは欠片もなかった。あまりにも真摯で純粋で、だからこそ信じられなくて、結果現実に耐えられず頭が機能停止した。だって、自分が求婚される日が来るなど、想像だにしていなかったのだ。


「わ、私!」


 抱きついた母をそのままに、身を起こす。

 はっと室内を見れば、父親とアルフレッドがいた。


「あ、団長! す、すみません、私、情けないことに倒れてしまって……」


 とんだ失態だと顔を青くしたクレアに、アルフレッドが「仕方のないことだよ」と気弱に笑う。


「クレアちゃんも、女の子だもの。気が動転して、当然だよ」

「し、しかし」

「クレア! あなた、結婚が嫌なのでしょう? わたくしがお断りしてあげるから、安心なさい」


 がば、とクレアの体を離した母が、息巻いて言う。


「こんなバカな話があるものですか! あなたが眠っている間に、お父様にはちゃあんと言って聞かせました。大丈夫よ、あなたを他国に嫁になど行かせるものですか!」


 ぎろ、と母が睨みつけると、疲弊した様子の父親がため息をついた。


「シーラ、分かっておくれ。クレアが嫁ぐというのは、万の命に値するんだよ。トウランと友好国になれるというのは、この上ない、いいお話だといってるじゃないか」

「クレアを人身御供にしてまで友好国にならずともいいと、わたくしも何度も言っております! 私は国よりもこの子の方が大事なのです! いい加減理解しなさい、この武術馬鹿!」


 ぎゅっとクレアを抱く手に力を込めて、シーラは言う。クレアが眠っている間に、このやりとりは何度も繰り返されていたらしい。父は情けないうめき声をあげて天を仰いだ。


「か、母様。あの」

「まだ若い娘ひとりに国の命運を預けてどうなります。国交が不安定になれば、王族でもないあなたはたちまち殺されてしまうわ。クレアをそんな道具扱いするなど、わたくしは絶対に許しません!」


シーラは、国家騎士団長を務めあげた父アランでさえ敵わない烈女であった。俗に言う、『尻に敷く』というやつだ。

 しかし彼女の強さは家の中だけのことではない。彼女ならば、国王でさえ同じように叱り飛ばすであろうと、エクスリーン家のふたりは知っている。

 案の定、「陛下に直訴してきますわ」と彼女は鼻息荒く言った。


「そんなに国交を深めたくば、あなたの可愛い王女を嫁がせればいいと言ってあげます。向こうだって一貴族の姫より王女の方がいいでしょうよ」

「だ、だめだって、シーラ。先方はクレアを指名してるんだと言ったじゃないか」

「だいたい、それがおかしいのよ。指名など、こちらの意思を全く考慮していないわ。王族特有の、民草を自分の持ち物だと思う下劣な勘違いなのですわ。民なくして、どうして王だと威張れます!」


 金切声の彼女の言葉に、室内の三人は一斉に扉を見た。

 なんという不敬の言葉を吐きやがるのだ。誰かに聴かれでもしたら、断首ものである。


「お、落ち着いて下さい、母様。私、まだ返事をしてませんから!」


 とりあえず、落ち着かせることが先決だとクレアは慌てて言った。それにアルフレッドも続く。


「え、ええ、そうですよ、シーラ様。クレアちゃんは返事をすることなく気を失いました。だから、まだ話はお受けしてません」

「アルフレッド殿!」


 は、と気付いたシーラが、おろおろしたアルフレッドに向き合う。


「な、なんでしょうか」

「クレアに手は付けましたか?」


 ぶほ、と顔を真っ赤にして吹き出したのは、横にいた父親だった。アルフレッドは、表情を凍りつかせ、「は?」と訊き返す。


「ですから、同衾したのかと訊いております。クレアとはもう男女の仲になりまして?」

「母様、何を⁉」

「ままままま、まさか!」


 一瞬遅れて顔を真っ赤にし、必死に否定するアルフレッドに、シーラは大きく舌打ちをした。


「手付けになっていれば先約があると言えたものを! だいたい、クレアをクーベニア騎士団に置いたのも、いずれはアルフレッド殿と夫婦にと思っていたからでしたのに!」


 ええ! と三人が叫ぶ。そんなこと、聞いていない。


「シ、シーラ? お前、いつからそんなことを考えてたんだ?」

「クレアが騎士団に入りたいと言った時からですわ。聖騎士アルフレッド殿ならクレアの夫として最高ですもの。それに、夫婦で騎士団を盛りたてていくというのも、なかなか素敵じゃなくて?」


 うっとりと夢見るように言う母を見ながら、クレアは両親に入団を直訴した時のことを思い出していた。

 社交界でちやほやされることもできる可愛い末娘を、艱難辛苦の騎士団に入れるのは、と逡巡する父と、ごねることなく認めてくれた母。

 そうだ、母は「クーベニア騎士団」ならばよい、と条件を付けたのだった。


「クレアはもう十八ですわよ? もうれっきとした大人。しかもこんなにかわいいのに、どうして手をつけませんでしたの。もしや、クレアのことがお好みではない?」

「あ、いえ、そのような、ええと」


 到底ありえない叱責を受けて、アルフレッドはへどもどするしかない。顔を真っ赤に染め、口ごもるしか出来ずにいた。


「母様、いい加減にして! 団長はそんな公私混同をなさらない方です! 部下にそんな真似、するはずがないでしょう!」


 クレアが声を荒げる。


「好みとか好みじゃないとか、団長はそんな目で部下を見ません!」

「あう」


 小さく情けない声を洩らしたアルフレッドだったが、幸いにも誰の耳にも届かなかった。


「わかりました。ではクレア、恋人はいるの?」

「は? そんなもの、いません」

「情けない! わたくしがあなたの年には、もうエリック(クレアの兄)がいました! だのに、求愛する殿方までいたものです。人妻であっても愛おしいと、それはもう熱烈な文まで頂いて……」

「な、何だと、シーラ。どこのどいつだ」

「あら、言う必要はございません。女の過去は宝石箱の中にそっとしまっておくものですわ」

「宝石箱だな! 帰ったら見てやる!」

「馬鹿ね、実際に宝石箱に入れているわけじゃありませんわ」


 なんだか、話の本筋からずれてきている。それに気付いたアルフレッドだったが、下手に会話に入ることは出来ない。どうしてクレアと関係を持たなかったのかと詰られては、回答に困る。

 そんなとき、扉が遠慮がちに叩かれた。


「クレア姫、お目覚めでございますね? あの、リヴァイス王子がこちらへ参りたいとのことなのですけれど……」


 この騒ぎは室外にまで洩れていたのだろう。女官の遠慮がちな声がする。

 はっとした四人だったが、一番先に落ち着きを取り戻したのはシーラだった。


「丁度いいわ。わたくしが直接、求婚をお断りして差し上げましょう。どうぞ、お呼びしてくださいな」


 ピシ、と背を正して言ったシーラに慌てたのは勇猛果敢と名を馳せた元国家騎士団長である。


「シーラ! 待ちなさい、お前の言葉一つで戦になりかねんのだぞ!」

「お黙りなさい! 娘一人守れなくして、どうして国家安寧を叶えられますか! 女ひとりの身でどうこうなる国交など、童が作った砂の城より脆いですわよ」


 ぐっと息を飲む父の顔が引き攣る。


「アルフレッド、シーラが何かヤバいことを言い出したら、儂はあれをひっかかえて部屋を出る。後のことは、任せたぞ」

「な……っ! この場を俺に任されると言うんですか!」

「母様! ことは本当に重大なんです。どうか、どうか何も仰らないでください!」


 クレアだとて、この件の重要性は認識している。自分の意思一つでどうこうできるとは思っていない。母の言動によっては、お家とり潰しと言う最悪の事態だって、ありえる。

 しかしシーラはクレアににっこりと笑ってみせ、「安心なさい」と言う。


「なにも、失礼なことは言おうと思いません。母として、言わなければならぬことがあるのですよ」


 三人がシーラをどうすべきか、来る王子をどう対応すべきかと必死に頭を巡らせている間に、扉が再び鳴った。


「リヴァイス王子の、お越しです」

「どうぞ、お入りになって」


 緩やかに扉が開き、女官の先導によって、王子が入ってきた。側近のクラハを従え、堂々とした態度である。


「姫が目覚めたと聞き、参った。クレア姫、お加減はどうだ?」

「あ、だ、大丈夫。じゃない、大丈夫です。あ、このような状態で申し訳ありません」


 慌てて寝台から降りようとするクレアを、リヴァイスが止める。


「ああ、そのままで結構。何かあったら大変だからな」

「王子、このようなところまでお越しいただいて、ありがとうございます」


 頭を下げるアランに、王子は笑顔を見せる。


「ああ、クレア姫の父上でしたな。いえ、俺のせいでもあるので、当然のことです。ええと、こちらはクレア姫の母上だろうか」


 ずい、とシーラが前に出て、「ええ」と言う。


「クレアの母のシーラ・エクスリーンと申します。初めてお目にかかります」


 ドレスの裾をとり、優雅に頭を下げる。


「トウラン第一王子、リヴァイスと申す。よろしく」

「よろしくお願い致します。早速ですけど、王子、今回わが娘を妻問いなさったことでお話がありますの」


 顔色を変えたのは、夫であるアランである。単刀直入に言いすぎだ! と顔にはっきりと出ている。


「シ、シーラ。控えなさい」

「嫌です。王子、身分は重々承知しておりますが、わたくしは今、母として娘の求婚者とお話したいんですの。よろしいでしょうか?」

「ふ、む。勿論だ。拝聴しよう」


 王子が頷く。シーラは「では」と一呼吸置いて、自分より背の高い王子を見上げた。


「クレアが王子の妹君をお助けする薬を渡し、妹君のお命を救ったと言う話は、聞きました。王子がその時に誓いをお立てになっており、その誓いの元にクレアを妻にすると決めたことも、存じております」


「うん、間違いない。俺は生涯、クレア姫を唯一の妃として愛し続けようと思っている」


 照れも恥じらいなく、しごく真面目な面持ちで言うリヴァイス。シーラの目が見開かれた。


「わ、わたくしは、正直言いまして、このお話は反対なのです」

「ふむ。推察するに、シーラ殿は娘を人狼国に嫁がせることが不安なのだな。それはよく分かる。俺も正直に言うが、トウランの王宮でも、誓いだからといって何も人族の姫を妃に迎えなくともと、ひと騒動起きた。父からは、王位継承権を剥奪されかけた。しかし、俺はそれらをすべて黙らせてれっきとした王位継承者としてここへ来た。まあ、それには七年も擁してしまったが」

「七年⁉」


 思わず声を洩らしたシーラに、リヴァイスはこくんと頷いた。


「アイリーンの命が助かったと分かって、すぐに父に直訴したので七年ほどだな。父は堅物なので説き伏せるのに手間取ったんだ。しかし、その父も新しい一歩だと今回俺を送り出してくれた。我が国は、クレア姫を正式なる次期王妃として迎える準備がある」


 シーラが黙る。夫の口から、トウランがどれだけ好条件でこの婚姻を持ちかけて来たのか何度も聞いていたのだ。しかし、この王子が何年もかけて、廃嫡の危機を乗り越えてでも妻問いに来たと言うことは勿論知らず、それに少し感動してしまったのだ。それに加え、言い躊躇う様子もなく、はっきりと愛し続けると宣言したことにも心を揺さぶられていた。

シーラは、恋物語に弱い。


「シーラ殿に誓おう。絶対にクレア姫を不幸にはしない。どんなことからも彼女を命を懸けて守り通す。それで、人狼国へ嫁がせる不安を少しでも減らしていただけないだろうか」


 リヴァイスは、心を込めて言った。父も、自分がどれだけあの誓いを果たそうと思っているかを語って聞かせれば最後には納得してくれた。彼女の母もまた、きちんと話せば理解してくれると思っている。


「は……」


 シーラはぱちぱちと瞬きを繰り返す。ここまで熱心に言われるなど、思っても見なかったのだ。

 振り返り娘を見てみれば、生まれて初めての甘言に顔を真っ赤にしている。このままもう一度失神してしまうのではないだろうか。

 そんな娘からリヴァイスに視線を戻し、シーラは尋ねた。


「どうしてそこまで、クレアのことを?」


 少し声音が優しくなったのは、絆されてきた証拠であるが、彼女は気付いていない。


「誓いのため、と言えばそうなのだが、それだけではない。俺は、狼の姿で彼女と向き合ったのだが、彼女は一度も恐怖の色を見せなかった。大きな体躯の差があると言うのに、怖気づくことなく対等に話をした。なおかつ、妹を救う薬まで分け与えてくれた。そんな強さと優しさをもつ女は、そうそういない。共に生きていくに、最良の女性だと思う。だからこそ、神は俺に彼女を遣わしてくれたのだろうと感謝している」

「まあ……」


 密かに「よし!」と声を洩らしたのは、夫アランである。王子が上手く妻を黙らせてくれそうなことに、心底安堵していた。

 しかし、その横に立つアルフレッドの顔はといえば、苦悶に満ちていた。


(ヤバい。ここで、クレアちゃんの結婚が決まってしまいそうな気がしてならない……!)


 このまま決まってしまえば、自分はサッバッカに戻れない。戻ったとしても、確実に部下たちに殺られてしまう。

 クーデリア騎士団内で、クレアを本気で想っている男など炒り煮にするくらいいる。そいつらが手出しできなかったのは、偏に『勝手に手を出したらどんな奴でも(団長でも)殺す』という暗黙の了解があったに過ぎない。

 あの猪突猛進タイプのライでさえ、それを分かっていて手出しできずにいたのだ。

 クレアが自発的に選んだ男を、大人しく(出来るかはわからないが)祝福しよう。それが、クーデリア騎士団有志の総意なのである。

 そんな奴らに、『クレアちゃん、嫁ぐって』なんて言おうものなら、まず自分は殺される。そして、クーベニア騎士団は『結婚反対』を掲げた反乱軍になる。きっと。


(ヤバいヤバい、これ本当にヤバい。どうしよう!)


 平然とした顔をしていながら、背中には冷や汗がだらだらと流れる。各々が自慢の武器を持ち、怒号を上げてサッバッカ城を駆けだしていく映像がまざまざと思い浮かんだ。

 どうにかしなければ!

なにより、クレアを嫁がせるなんてこと、嫌だ!


『どうして手を付けて下さらなかったの』


 先の、シーラの問いが蘇り、ぐっと唇を噛む。


(まさか、横からいきなりかっさらわれるなんて思わないじゃないか!)


 アルフレッドもまた、炒り煮の中のひとり。だから大人しく暗黙の了解に従い、ひっそりとクレアを想っていたのだ。団長団長と自分に懐いてくれるクレアを抱きしめたい衝動に駆られたのは、一度ではない。彼女が自分を団長ではなく男として見てくれるのを辛抱強く待とうと思っていたのに! なのに!

 そんなアルフレッドの心情も知らず、話は進んでいく。


「どうだろうか、シーラ殿。我らは姿を変えることはあれど、れっきとした人間だ。この国と文化こそ多少違えど、トウランは同じ人の住まう良い国だ。すぐに不安は払しょくされんだろうが、姫を俺の花嫁に頂けないだろうか」


 丁寧に頭を下げるリヴァイス。それに慌てたシーラは「あら、違いましてよ」と言った。


「わたくし、人狼国だから不満なのではありませんわよ。そこだけは、訂正させていただきたいわ」

「と、言うと?」


 顔を上げたリヴァイスが問うと、シーラは「人狼族に対する偏見は、わたくしにはございません」と胸を張って言った。


「人狼国だからこのお話に不満を抱いているのではありません。どの国であろうと、同じように異議を申し立てました」


 ほう、と目を見開いたのは、王子とその後ろに控えていたクラハだった。ふたりは、人狼族であるがゆえにシーラがこの結婚を納得していないと思っていたのだ。


 トウランの王宮で、人族の姫を次期王妃に、という話を決めるまでの六年は、大変なことばかりだった。王子は乱心されたと騒ぎ立てる者や、人族の姫などよりわが娘をと縁談に熱心になる者。リヴァイスを見限り、第二王子にすり寄って暗殺を示唆する者まで現れた。

 父親である国王も、妃の忘れ形見であるアイリーン王女を溺愛しているにもかかわらず、この話には激怒した。元々人族のせいで死にかけたのだから、人族の娘が助けたからとて恩義を感じることはないと切り捨てたのだった。

 リヴァイスはあっさりと『王位継承権剥奪』と言ったが、実際は独居房に押し込まれ、諦めるか死かと迫られたこともあるのだ。このままでは餓死してしまうという状態になっても、リヴァイスは頑として意見を変えなかった。


 その熱意は父王をはじめ幾人かの臣下の心を打ち、それをとっかかりとして、時間をかけて妻問いにまで持ち込んだ。

 未だに反対を唱える者も多いが、それでも世論は『人族』と『人狼族』の懸け橋となるべき二人を祝福しようという流れになっている。

 人型を取って人族の国に出入りしている者はいて(法で禁止しているが、)、それが堂々と行き来できるとなれば諸手を挙げて賛成する者もいるほどだ。

 今回、人族の姫を妻問いするにあたって、人族からの反発が出ることは想定内だった。ましてや、姫の両親が納得しないだろうことはわかりきっていたことだった。


 時の流れによって凄惨な過去は生々しさを失いかけているが、それでも二族の間に『恐怖』や『嫌悪』が残っていることは否定できないのだ。

 だからこそ、トウラン側の誠意を見せる為に最上級の条件を用意し、王子自らが説得に来たのだ。

 クラハが王子の横まで出て、「シーラ様。王子側近のクラハと申します」と頭を下げた。


「どうぞ、お見知りおきを」

「クラハね。ええ、覚えました」

「失礼を承知でお尋ね申し上げます。シーラ様は、人狼族である我々に、嫌悪の念はないと仰るのですか? 私たちはあなた一人、ひょいと背に乗せて向こうの塔までひと息に駆けあがることもできる獣にもなれるのですよ? 怖くはありませんか?」

「クラハ! そんな無礼なことを言うな!」


 クラハの意地の悪い質問を、リヴァイスが咎める。しかし、クラハは彼女の本意が知りたくて訊いた。人狼族に対して否定的な思いがないと言うのは喜ばしいことではあるが、そこにどんな理由があってのことだろうか。

 シーラは笑みを湛えた側近を見て、くすりと笑った。


「それは、騎士が携えた剣が怖くはないのかというのと同じ問いですわね。騎士はか弱い女に徒に刃を向けたりはしません。剣とは守る為にこそあるもの。ですから私は、騎士を怖いと思ったことはありませんわ。それともあなたたちはわたくしのようなただの女を抱え上げて怯えさせる風習がおありかしら?」


 目を瞠ったクラハは、深々と頭を下げた。


「御無礼申し上げました。私の思慮の浅さをお許しください」


 シーラはコロコロと笑う。


「なんて、少し偉そうでしたわね。真実は、夫ですわ」

「夫……アラン様でございますか?」

「ええ、そう。わたくしの夫は父としては些か残念ですけれど、騎士としては本当に素晴らしい人なの。尊敬しているわ。その人が、王子やあなたのことを素晴らしいと、とても褒めるのです。可愛がっている末娘を嫁がせてもいいと思うくらいに。ですから、最初からそのような思いは抱きません」


 愛しい娘を嫁がせてもいいと夫が判断した人を、恐ろしいとは思うはずがない。それが他種族であろうと。

 アランを見やれば、アランもまた笑みを浮かべて言った。


「こんなことを王子に向かって言うのは失礼ではありますが、大変すばらしい心をお持ちの方であらせられます。あなたもそうです、クラハ殿。尊敬するに値する方々でございます。膨大な歴史書を読むより、あなた方にお会いする方が何倍も、人狼族について知ることができました。その上で、私は娘を嫁がせることに賛成いたした次第ですよ。国に仕える臣下としては勿論のこと、父親としての判断でもあります」


 嘘偽りないアランの言葉に、クラハは胸を熱くする。さすが、クレア姫の両親である。人品素晴らしい御人たちだ。


「話を戻しますけれど、わたくしがこの結婚話に不満なのは、クレアが普通の姫ではないからですわ」

「は?」


 思わず声を洩らした面々の中には、クレア本人もいた。

 不思議そうな彼らを見渡して、シーラは続ける。


「普通の姫ならば、このような見目麗しい王子に愛を誓われ、正妃として迎えられること、喜びますでしょう。まるで、わたくしの愛読している恋愛小説のようですもの。自分であったならと夢想する娘もいるでしょう。けれど、クレアは違います」


 シーラは寝台の上のクレアに近づき、手を取った。甲を優しく撫で擦る。


「エクスリーン家の末姫として、この子は平和に幸せに暮らすことができましたの。煌びやかなドレスを着て舞踏会に行き、恋の駆け引きをして楽しむことが、生まれた時から保障されていました。けれどクレアは、花よりも剣を、ドレスよりも軍服を、詩歌よりも兵法を好みました。そして、女だてらに騎士団への道を歩みましたのよ」


 自身の手で人々を助けたい、そんな素晴らしい事を言う娘だった。シーラは娘の望みをきき、クーデリア騎士団への道を止めなかった。


「入団してしまえば、会うこともそうそうできません。文のやり取りでどうにか近況を知る、ということが何年も続きました。クレアが大怪我を負って臥せっていると聞いても、高熱で苦しんでいると聞いても、わたくしは看病に行くことさえ許されませんでした」


 親の死に目であっても、職務についていれば駆けつけることも許されない。そんな過酷な場所に娘を投じたことを悔やんだ日がいくつもあった。


「とうとう副団長になったと聞いた時は涙が出ましたわ。決して、父の七光り、家の力などではありませんのよ。この子が自分一人の足で登った階段なのです。誇らしいと思います。クレアは副団長として、これからもっと頑張っていくつもりでした」


 ぎゅ、とふくよかな手がクレアの手を握る。その温かさと母の想いに、クレアは知らず、目に涙が滲んでいた。


「だのに、こんなことってありますかしら。今までの努力を全部無にして、ただの姫に戻って妃となって嫁げなど、わたくしはこの子に言えません。普通の姫の幸せを望んでいないこの子に、王子のお申し出は余りにも残酷なのですわ」


 しん、と室内が静まり返った。

 アランも、アルフレッドも、クレアが血のにじむような努力をしていたことを良く知っている。辺境の地での過酷な労働も、男たちの中での訓練も、生半可な覚悟ではやり通せないのだ。

 しかしクレアは、自身の家にも、性別にも甘えることなく今までやり抜いてきた。副団長の席を得られたのも、クレアの実力である。だからこそ、荒くれ者ばかりの団員たちはクレアの昇進を喜んだし、歓迎もした。反対する者は誰一人としていなかったのだ。


「わたくしは王子とお会いして、この人ならば確かにクレアを一人の姫としての幸せを与えて下さるだろうと思いました。しかし、どうしても、この子がそれで真実納得して幸福になれるのだろうかとも、思ってしまうのですわ」


 しばらく考え込むように腕を組んでいたリヴァイスが、クレアを見た。母の想いを知って涙ぐみ、少し瞳の周りを赤くしたクレアがびくりとする。


「……ふむ。騎士団に属しているのは分かっていたことだった。しかしなるほど、そうだな。姫の気持ちも大事だよな……」

「リヴァイス王子?」


 クラハが訊けば、リヴァイスはクレアに言った。


「神が遣わせてくれた人を幸福に出来んと言うのは、俺の本意ではない。俺との婚姻が姫を不幸にすると言うのなら、考えを改めねばならん。しかし、俺も誓いを果たしたいと思っている。そこで、クレア姫に尋ねよう」


 クレアが「え」と声を洩らした。ここまで、自分のことであるが話の中に入り込めなかったのだ。

 驚くクレアに、リヴァイスは続ける。


「最初に訊いておくべきだったと思うが、まず、姫は誰か心に想う者はいるか?」

「いえ、それはおりません」


 あっさりとした問いに、あっさりと答えるクレア。アルフレッドの喉奥でカエルが潰れるような声がした。


「よし、俺は悲恋の手伝いはしていないようだな。では次。クレア姫は一生誰とも添い遂げる気はないのか」

「は……、それは考えたことがありませんでした。ただ、両親を見ておりましたらば、共に歩める相手がいるのも良いなとは、思います」


 クレアの言葉に、シーラが満足げに頷いた。


「よし、場合によっては妻になることも問題ではないということだな。では次。我が国には女性だけで構成されるリリア精鋭騎士隊というものが存在し、その隊長は代々王妃が務めることとなっている。現在王妃はおらず、俺の妹のアイリーンが名前だけであるが長となっている。クレア姫が嫁してくれればこのリリア騎士隊の隊長となってもらう。今の経歴を存分に発揮できると思うが、如何か」


 クレアの瞳が真ん丸になる。騎士としての道が閉ざされたわけではないのか。


「今在籍している騎士団で活躍できないのは、確かに辛かろう。だがその情熱をリリア騎士隊に注ぐことも出来るのではないか? 俺は、妃が鍛錬に励み、剣を奮うことを否定したりはしないぞ」

「……まあ、それはなんて素敵なお話」


 呟いたのはシーラである。娘のこれまでの経歴が役立つのなら、文句の言いようがない。王子を好ましく思い始めた今、シーラにはひとつも、異論がなくなっていた。

 そんな母をちらりと見て、リヴァイスはクレアに言った。


「どうだ、これで、俺の求婚を受けてくれるか」


 クレアが、アルフレッドを見た。その表情は、自分の手には負えない案件を相談する時と同じものだった。


(ああ、こんな時にはもっと、私情を挟んでよ、クレアちゃん……)


 女性として頼ってもらえたら、自分はもっと嬉しかったのに。しかし、今まで団長としての線引きをしてきた(つもりの)自分にも責はある。

 ああ、本当に、もっと早く行動を起こしていたら。彼女の心に男として居場所を持つことができていたら……。

 胸内に様々な思いを抱いたアルフレッドだった。

 しかし、上司としてでも、頼られたのは嬉しいと思う。一歩踏み出し、「お話に入らせて頂いても良いでしょうか」と言った。


「うん? ああ、クーベニア騎士団の団長殿」

「クレア副団長の上司として言わせて頂きたいのですが、彼女は途中で仕事を放りだせるような人間ではございません。いくらリリア騎士団で采配を奮っても、中途に置いていった部下たちを思いだしては胸を痛めることでしょう。そこで、どうでしょう。彼女に、心と身辺を整理するための時間を与えてはもらえませんか?」

「ふうん?」


 首を傾げるリヴァイスに、アルフレッドは言葉を重ねる。

 時間の引き延ばしに過ぎない交渉だと分かっていても、それでも何もしないでみすみす嫁がせるよりはマシである。


「せめて一度、彼女をクーデリア騎士団に戻してはもらえませんか。彼女は、すぐに戻って来るからと部下たちに約束していたのです」

「お、お願いします! 私、このままクーデリア騎士団を去るのは、嫌です!」


 アルフレッドの言葉に、クレアも仲間たちの顔を思い出したのらしい。思わず声を大ききくしていた。


「そうか。分かった」


 リヴァイスが素直に頷いた。


「では、騎士団に一旦戻るといい。副団長という肩書を粗末にはできんしな」


 さっくりと認めたことに、騎士団ふたりは驚いた。もっと難色を示されるものと思っていたのだ。


「しかし、条件がある。その騎士団行きには、俺もついて行く」

「は」

「話をしていて、俺はもっとクレア姫のことを知らねばならんと思った。姫が長く生活していた騎士団に行けば、姫のことがよく分かるだろう。だから、俺もついて行く。それでいいな?」


 ここまでクレア側の話を聞き続けた王子に、誰が「ダメ」と言えるだろうか。

 騎士団ふたりは、こっくりと頷くしかできなかった。



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