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8・「王子様」が迎えに来るまで(16)

 木叢(こむら)夜陰(やいん)が――そこに在る全てのものが、そこに漂う全てのものが平伏すような威圧的な気配に九郎は息を飲んだ。


 (やいば)のように鋭利で人間味を感じさせない冷徹な眼差しを受け、引き下がろうとするも身が竦み動くことが出来ない。


 そこにいるのは真斗の姿をしている「高野原家の守り神」――九郎の目にはそう映った。


 神道(しんとう)では死者は「家の守り神」になると言われている。


 和真やその父親――「高野原」の血を繋いできた先人たちの魂が真斗の姿となり「家」に災いをもたらす「敵」を捕らえるように、九郎を睨み据える。


 九郎は「高野原家」にとって「害」をなす可能性がある存在――「鞘の処女」である娘を死なせる可能性がある天津人ではない男だ。


「鞘の処女」に欲情する、半人半獣の「天津片生」――外様(よそもの)とは言え「家の守り神」として迎えてもらったにも関わらずその役目を放棄し、恩を仇で返す裏切り者。


 今、この場で討たれてもおかしくはない。


 九郎は真斗が持つ祓除(ふつじょ)や空中跳躍以外の特殊能力を知らないが、おそらく咲也や彗斗の比ではない。


 その場を動かず、その手を血で汚さず人を殺めることも出来るだろう。


「ちょっ……びっくりしたー!クマかと思った!」


 茉莉花が驚いた声を上げた瞬間「守り神」は九郎の視界から消え、そこにはいつもと同じ仏頂面をした真斗がいた。


「クマじゃなくて良かったな」


 真斗はそう言うと二人の前まで歩み寄り、手に持っていた棒付きのアイスを手渡す。


 冷凍室にストックしている箱入りの小さめのもので、バニラアイスにチョコレートをコーティングしたものだ。


「これ食ったら家に戻るぞ」


 真斗から九郎に向けられる視線には憎悪や敵意はなく、彼が抱いている茉莉花に対する恋情にも気付いていないようだ。


「……ありがとう」


 睨みを効かせる「守り神」はもういない。


 おそらく、自分の中にある後ろめたさが見せた幻覚なのだろう――九郎はそう自分に言い聞かせ、アイスを包むフィルムの封を切った。


「いただきまーす。ちょうど昔、ここで花火見ながらアイス食べてたよねって話してたんだ」


 屈託のない笑みを浮かべアイスを一口頬張る茉莉花を見て、真斗は少しだけ目を細め、微笑んだように見えた。


 九郎は昔のことをすっかり忘れていたが真斗は覚えていたようで、あの時と同じようにアイスを持って来た。


 何から何まで詰めが甘い――九郎は真斗から受け取ったアイスを見つめ、肩を落とし溜め息を吐く。


 九郎は小学六年生の頃――茉莉花が「鞘の処女」になってから、暫く経った日の夜のことを思い出した。


 茉莉花は将来、本に書かれていた「花鞘姫」になるのだが当時の九郎は正直、あまり実感がなかった。


 茉莉花と「花鞘姫」は全然似ていないと思っていた。


 ヨモツに屋敷を包囲されてもメソメソ泣いて待つタイプではないし、祓除(ふつじょ)能力に覚醒していたら先陣を切ってヨモツを叩きのめしているはずだ。


 そんな明るくて元気な茉莉花だったが、ここ数日はその顔から笑顔が消えていた。


 気落ちしていても腹は減るようで食欲はあったが、話しかけても心ここに在らずといった具合で反応が薄く、塞ぎ込んで一人で部屋に篭ることが多くなった。

 

 自宅で面談が行われる前夜、台所の廊下側のドアを開けた時に階段の前で(うずくま)る茉莉花の姿が見えた。


 体の具合が悪いようにも見えた。泣いているようにも見えた。


 九郎はドアノブに手を掛けたまま動けずにいた。


 辛そうに苦しそうにしゃがみ込む茉莉花を見て、胸を痛めることしか出来なかった。


「――どうした?」


 背後から静かに呼びかける声に振り向くと真斗がいた。


「マリが……」


 九郎か小声でそう言うと、真斗は開いたドアから廊下を見る。


「俺が行く」


 不安げに見つめる九郎に頷くと、真斗は廊下に出て茉莉花の元へ向かった。


 九郎はドアを閉め、俯いて目を伏せた。


 茉莉花を助けたかったのに何も出来なかった。


 いや、助けに行ったところで自分には茉莉花を救えない。彼女を救えるのは真斗だけだ。


 強がりの茉莉花は「大人」の真斗にしか弱さを見せない。半分血が繋がっている「兄」を一番頼りにしている。


 今、彼女に必要なのは九郎の慰めではなく、悲しみや辛さを受け止めてくれる真斗の大きな体と慈悲深い心だ。


 そんな強い絆で結ばれていた茉莉花と真斗だったが、数日後突然、互いに目も合わせず口も聞かなくなった。


 和真も彗斗も咲也も原因はわからないが「お互い「きょうだい離れ」したんだよ」と言っていた。


 九郎はそうとは思えなかった。


「兄離れ・妹離れ」と言うよりも、修復不能な大きな亀裂が入り「喧嘩別れ」したように見えた。


 茉莉花は強がっているが、何処か無理をしている。


 原因はおそらく「真斗」にある――九郎はそう感じた。

 

 土曜日の午後。二人で図書館から帰宅する途中、交差点で信号待ちをしていている時に九郎は茉莉花に小声で尋ねた。


「……兄さんと仲直りしないの?」


 この頃の茉莉花は九郎よりも身長が五センチ程高かった。


 茉莉花はチラリと隣に立つ九郎に視線を落とすと、すぐに前を向き素っ気なく彼に答える。


「仲直りって?別にケンカなんてしてないし」


 信号が青に変わると茉莉花は不機嫌そうに顔を曇らせ、九郎を置いて足早に横断歩道を渡って行った。


 ――やっぱり、何かあったんだ。


 九郎の「想像」は「確信」に変わった。


 翌日の日曜日、友人と遊びに行くと出掛けた咲也と入れ違うように従姉妹の牛越華(うしごえはな)が自宅を訪ねて来た。


 華には九歳年上の兄、憲嗣(けんじ)がいる。


 彼は当時、東京の大学に通っていたので、九郎たちと顔を合わせるのは夏休みと冬休みだけだった。


 茉莉花が席を外した隙を見て九郎は華に、最近茉莉花と真斗が険悪な雰囲気だと伝えた。


 同じように歳が離れた兄を持つ妹として、この状況をどう思うのか。九郎は彼女に意見を聞きたかった。


「お(にい)の扱いなんてそんなもんだよ。うちの方がもっと雑かなぁ」

「もっと雑……」

「今までのマリちゃんが異常だったんだよ。ずっーとマー(にい)にベッタリだったから。マー兄が好き過ぎて「(つるぎ)益荒男(ますらお)」と結婚したくないってゴネるんじゃないかって心配したもん」


 華は茉莉花が「鞘の処女」であることを知っている。


 茉莉花とは昔から仲が良く、彼女からの信頼も厚いので、かなり早い段階で伯父(おじ)にあたる和真からそのことを告げられていた。


「前にマー兄が彼女連れて来たらどーすんのって聞いたら「この世の終わり」みたいな顔してたし。良かったんじゃない?兄離れして」

「この世の終わり……」

「でもさ何でマリちゃん、あっさり兄離れしたのかなぁ?やっぱ「彼女」連れてきたとか?」

「わからない……」


 そうしているうちに茉莉花が居間に戻って来た。


 華はしれっとした表情で茉莉花に尋ねる。


「ねぇ、マー兄って今彼女いんの?」


 それを聞いた九郎はギョッとして華に顔を向ける。


 いくら気の置けない親友同士とは言え、いきなり茉莉花にとって「地雷」とも言える「真斗の女性関係」の話題を振る華に彼は「どん引き」した。


「いるよ」


 茉莉花は表情を変えずさらりと答えた。


 華は驚いて身を乗り出し、九郎はさらに目を丸くして硬直している。

 

「……マジで?」

「うん」

「……ショックだった?」

「別に。何で?」


 二人は真斗に彼女がいたことよりも、茉莉花がまるで他人事のように平然としていることに困惑している。


「……マリちゃん超ブラコンだったじゃん?」

「もう「卒業」したの。だって、そんなのより百倍素敵な「王子様」が迎えに来るんだから」


 茉莉花は合わせた手に頬を寄せ、うっとりと目を輝かせた。


麗虎(れいこ)先生が「(つるぎ)益荒男(ますらお)」は天津の「ハイスペ」だって言ってた。きっと都会っぽい「イケメン」で、強くてお金持ちの「スパダリ」で。色々しんどそうだけど結果的に私「シンデレラ」になれそうなわけじゃん?」


 九郎と華の前で彼女は歌劇団の娘役のようにスカートの裾を靡かせ即興で踊り出す。


「だから地味な公務員になるお兄ちゃんなんか、もう構ってらんない」


 両手を掲げポーズを決めた後、茉莉花は腰に手をあて胸を反らし高飛車にせせら笑った。


 その姿は「シンデレラ」と言うよりも、傲慢で薄情な「ライバルの噛ませ犬」の令嬢。


 クライマックスで「清く健気なヒロイン」に代わって「強権持ちのヒーロー」から断罪され惨めに宮殿から追い出される「計算高いぶりっ子のクソ女」だ。


 堂々たる「悪役」ぶりに九郎と華はしばらく呆気に取られていたが、何となく察するものがあり互いに顔を見合わせる。


 二人に距離が出来た原因は茉莉花が真斗に彼女がいると知ったこと。


 そして案の定、茉莉花はまだ真斗に対し薄っすら未練がある。


 芝居がかった大袈裟な素振(そぶ)りで強がっている――九郎と華にはそう見えた。


 その小さな「(しこ)り」もひと月程で消え、茉莉花と真斗は始めからそうだったかのように「生意気な妹」と「塩対応の兄」になっていた。


 かと言って険悪な仲になった訳ではない。


 距離を置くようになっても、茉莉花の心が折れた時に真っ先に手を差し伸べるのは真斗だった。


 今は互いに素っ気なく振る舞っている茉莉花と真斗だが、それでもあの頃と変わらず二人にしかわからない強い絆で結ばれているように感じる。


 九郎もあの頃と変わっていない。


 ドアの前で尻込みをして一歩踏み出せない「子供」のままだ。


 九郎は花火を見上げる茉莉花と真斗に視線を向ける。


 精悍な美丈夫と可憐な処女(おとめ)――腹違いで似ていないが、こうして並ぶと絵になる兄妹(けいまい)だ。


 強くて眩しい二人はまるで(あま)つ空の綺羅星のよう。


 自分とは別の世界にいるように思え九郎は心寂(うらさび)しさを感じていた。


「――肘、どうしたの?」


 九郎の左肘に貼られた大判の絆創膏を見た茉莉花が、小首を傾げ彼に問いかける。


「昨日の走りに行った時何かあった?」

「ああ、ちょっと……」


 言い(よど)む九郎に代わって真斗が答える。


「ガーデンヒルズにヨモツが出て、それを祓除(ふつじょ)したんだ」

「えー!この辺でも夜に出るんだ」

「だから短時間でも夜に一人で出歩くな」

「その時に擦ったの?」


 九郎は黙って頷いた。


「やり合っている時にクマ級に変化したんだよな?それを素手で消せたんだから、大したもんだ」


 真斗は茉莉花にそう伝えると、口元を緩め九郎に目配せをする。


 茉莉花は九郎の方に向き直ると歯を見せて笑った。


「カッコいいじゃん」


 思いがけない言葉を耳にし九郎は目を見張る。


「クマ級のやつ祓除したんでしょ?そんなの現役の獣撃隊の人じゃないと普通出来ないよね?」


 茉莉花が真斗に尋ねると、彼はアイスを頬張りながら頷いた。


「知らなかったなぁ。九郎がいつの間にそんな手だれになってたなんてねぇ。大したもんだ」


 真斗を真似て仏頂面で頷いた後、茉莉花は肩をすくめ、ふふっと笑った。


 尊敬する真斗と大好きな茉莉花に労われ、九郎も彼女の隣で同じように肩をすくめ、はにかんだ笑みを浮かべる。


 勝手に疎外感を抱いてしまったが、二人はいつも血の繋がりの無い九郎を「本当のきょうだい」だと認識し招き入れてくれる。幼い頃からずっとそうだった。

 

 三人がアイスを食べ終えると花火の打ち上げも終わり、夜の(あめ)に静寂が訪れた。

 

 茉莉花と真斗がくれた暖かな光を受け、九郎の黒い瞳は静かな仄闇の中で小さく瞬いていた。

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