7・雪肌の「処女」と闇夜の「獣人」(8)
ダイニングから離れに戻った真斗は自室の隣にある納戸のドアを開けた。
昼間、獣撃隊からの指示で祓除が終わるまで納戸に待避していたと茉莉花が言っていたことを思い出し、自室に戻る前に中の様子を伺う事にした。
照明を付け、まず目に入ったのはカーテンが閉まった大きな窓。
その前にある大きな机には段ボールが置かれている。
机は父の和真が使用していたもので、この部屋は彼の書斎だった。
両サイドは天井までの高さがある書棚に囲まれている。
視線を落とすと床に金属バットが転がっていた。
これは昔自分が使っていたもので咲也が高校に進学した頃だったろうか、使わないなら欲しいと言われ彼に譲ったものだ。
――茉莉花の仕業だな……。
真斗は数時間前にここで何が起こったのか、一瞬で推察した。
ヨモツ祓除の力を使えないがいざと言う時に丸腰では心許ないので、茉莉花は納戸に待避する前に玄関からバットを持ち出したのだろう。
意気揚々と籠城兵の気分で納戸の中でバットを構えていたがすぐに飽きて床に放置。暇つぶしに書棚の本を読みがら祓除が終わるのを待つことにした。
その後に入った完了の一報を聞いて、持って来たバットを忘れたまま納戸から立ち去った。
茉莉花の性格を考えるとその行動が手に取るようにわかる――真斗は呆れて鼻を鳴らした。
金属バットを拾おうと身を屈めた時、書棚の前にある木製の踏み台の上に一冊の本が置かれているのが目に留まった。
真斗はバットではなくその本を手に取り身を起こす。
【剣彦と花鞘姫】
彼は子供の頃にこの本を読んだことがあった。
初版の発行は昭和六十二年。真斗が生まれる前に書かれた天津の言い伝えを題材にした児童書。
天津の戦士である剣彦が花鞘姫から与えられた「剣」を振るい巨大なヨモツを討伐する冒険物語。
これは「男の子向け」に書かれたもので、ほぼ同じ内容の「女の子向け」の物語もある。
妹たち――彗斗や茉莉花が読み親しんだのは「女の子向け」の本だと思われる。
「男の子向け」は剣彦視点の冒険ものの色が強く、「女の子向け」は花鞘姫視点の身分の高い強い男に見初められる恋愛ものと言った内容だ。
男の子にはヒーローを、女の子にはシンデレラを。
言い伝えをベースに、それぞれが好きなお約束のテンプレートを当てはめて創作されている。
現在発行されている最新版はジェンダーバイアスを解消するため男女の区別をなくし一本化され、大まかな話の流れは同じだがその内容は所々変わっていた。
「お姫様」も男から守られるだけでなく共に戦うようにキャラクター造形を変えられ、男も怪我の手当てなどのケアをするようになっている。
物語の締めくくりの「二人は結婚しその後は子宝に恵まれた」と言うエピソードは「女の幸せは結婚して出産すると言う固定観念を植え付ける」ものなので削除された。
あくまでもこの物語は言い伝えをモチーフにしたフィクションだ。物語はその時代の価値観を反映し変化し続ける。
この本の表紙に描かれた「花鞘姫」は真斗が初めて目にした「お姫様」だ。
「お姫様」と言うとまずこの本の「花鞘姫」の姿が頭に浮かぶ。
美しくお淑やかで心優しい、献身的で健気なお姫様。
まさか自分の腹違いの妹、茉莉花がこの「お姫様」になる娘――「鞘の処女」になるとは思っても見なかった。
気が強くて図太くて喧しいほどよく喋る生意気な妹――言い伝えのお姫様とは程遠い。
一筋縄ではいかないこの妹を「お姫様」に相応しい状態に仕上げ、無事に「王子様」――「剣比古」の元へ送り出すことが国から高野原家に課せられた使命だ。
「花」に裏切られた高野原が、まさか「花」を献上する側になるとは――
「天津五家」から直接「花」が生まれるなんて――
貴方の家に対して彼女は「夫」ではなく「父親」を望んでいたのでしょうね――
同情、驚き、皮肉――真斗は家に向けられた様々な言葉を思い出す。
「剣比古」はこの国に降りかかる「災厄」を祓う天津の戦士である。
天津人たちがヨモツと戦うために地上へ移植されてから、何度もこの「災厄」に見舞われた。
その「災厄」に対抗するために生まれるのが「天津の益荒男」に「剣」を与える「鞘の処女」だ。
「益荒男」と「処女」は夫婦の契りを交わすことで一時的に「剣比古神」と「花鞘比売神」の夫婦神となる。
二柱がさらに睦み合うことで「災厄」を祓う際に必要な「剣」が生まれるのだ。
「剣比古」になる「天津の益荒男」はヨモツ祓除の能力が強い血筋の男だ。主に「天津五家」の男だったが、それ以外の血筋でも強い力を持つ男がその役目を担って来た。
しかし高野原家は強い能力を持つ血筋の中でも別格の「天津五家」の一つでありながら一度も「剣比古」を送り出していない。
それどころか高野原家は「鞘の処女」から二度も拒まれた過去がある。
高野原に流れる「血」は「花」に嫌わられる「呪いの血」――表立たない席でそう謗る者もいた。
現在の当主、真斗にもこの「呪いの血」が流れている。
「花」に嫌われた家が「花」を育て送り出す役目を背負う――何とも皮肉な巡り合わせだが、これは高野原家に与えられた一世一代のチャンスでもあった。
茉莉花の体にも「天津五家」の高野原の血が流れている。
「剣比古」のために封じられ、溜め込まれている力は過去の「鞘の処女」よりも強大なもとだと思われる。
上手くいけば最高の「花鞘比売」を産み出した家として、これまでの汚名を返上する絶好の機会になる。失敗は許されない。
「剣比古」は「天津一の益荒男」であることが理想だ。
茉莉花を強い男に「抱いてものにしたい」と思わせる極上の「お姫様」に育てなければならない。
見た目は身内贔屓を抜いても申し分ないとは思う。口を開かず大人しくしていれば立派な「お姫様」だ。
問題は「中身」だ。
性格を直すのは無理でも猫を被り、見た目を「男受け」に強化すればそれらしくはなる。
茉莉花が小学四年の頃だったか。女性だけで構成されている歌劇団の舞台を見に行ってから現在まで、彼女はそこに所属する華やかな女優たちに夢中だ。
それが思いがけず良い方向に作用していた。
茉莉花は歌劇団の娘役に憧れて「お淑やか」で「品のある」所作や、綺麗めでフェミニンなファッションを好んで真似ていた。
見様見真似だが、この「お嬢様スタイル」で格が高い家の者から気に入られ欲しがられるような「育ちの良い娘」の形になっている。
真斗はあのタイミングで茉莉花が歌劇団に影響を受けて良かったと思っている。
その頃の茉莉花は丁度オシャレに興味を持ち始めていた。
茉莉花の身近にいたお手本の年上女子は、当時ゴリゴリのギャルだった姉の彗斗だ。
彼女のお下がりの派手なミニスカートを着たり、使い終わったキラキラのファンデーションのケースを貰って持ち歩いていた。
休みの日には髪をコテで巻いてもらい、こっそり透明なピンクのネイルを塗っていた。
「お嬢様」で「お淑やか」な娘役に出会わなかったら、そのまま彗斗と同じような「ギャル」になっていたに違いない。
――本当に危ないところだった……ギャルに釣られるのは確かに強い男だが「益荒男」じゃなくて「ヤンキー」だろ……。
すくすくとギャルに育った茉莉花を想像した彼は心底ゲンナリとし、大きなため息を吐く。
流し読んでいた本を閉じ書棚に戻そうとした時、表紙に描かれた栗色の髪の「お姫様」と目が合った。
その優しい笑顔は彼の心を捕らえて離さない。
生まれて初めて出会った、美しくて優しい花のような「お姫様」――本の表紙絵を見つめる真斗の表情は氷のように固く凍てついていた。
冷え切ったその眼差しは、愛らしい「お姫様」に向けるものとは思えない非情なものだった。
花のような「お姫様」は真斗にとっては邪悪なヴィランだ。
彼は幼い頃に「お姫様」から「呪い」をかけられた。
その心を離すまいと荊の蔦で彼を縛り続けている。
既に「呪いの血」が流れているにも関わらず更に追い討ちをかけるように、その後も真斗は次々と新たな「呪い」を被って来た。
その秀麗な顔の下は真っ黒に蠢く呪詛に蝕まれている。
お伽話のように例えると、彼は「血」も「心」も呪われた高野原家の「王子様」だ。
「呪われた王子様」である兄が「お姫様」になる妹を守り育てている。
――あと一年半、茉莉花を無事に送り出せば俺も楽になれる。
茉莉花は高校を卒業したら清々とした顔でこの口煩い兄から離れ「剣比古」の元へ嫁ぐ。
務めを果たし試練を乗り越えた後、「剣比古」だった男の妻として幸せに暮らすだろう。
茉莉花を「剣比古」になる男の元へ送り出す――国からの使命を遂行することは真斗が受けた「呪い」から彼女を守ることであり、卑劣な手段を使い「家」のために真斗と彼女を陥れようとした者に対する復讐だ。
今のところは真斗が思うように事が運んでいる。
茉莉花は何も知らないが、彼女はこの「血」の、この「家」の被害者だ。
彼女が生まれて来た理由――その悍ましさを知ったらこの家のを憎み、真斗を憎み、自分の魂が入った体を憎み死ぬまで苦しみ続けるはずだ。
何も知らないままこの家から解放することが真斗が茉莉花に出来る精一杯の償いでもある。
彼にはまだ「呪い」に抗う心が残っていた。
――あんたの思い通りにはならない。残念だったな。
「呪われた王子様」――真斗は口元に冷ややかな笑みを浮かべ、棺の中へ葬るように書棚に本を戻した。




