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34.是は令和のどこかの話

 令和一桁最初の頃。

 LEDは冷え冷えと、闇を逃さぬと照らしている。


 寒々しい10月終わりごろ。

 深夜ふらふらと歩く若者が、ベンチの女に声をかけた。


「おねーさん、それって売り物ですか?」

 女が持っていたのは、カラフルなラムネの詰まった容器。手のひらに収まるぐらいの、ただのお菓子の容器である。

 しかし終電過ぎた深夜駅前。

 あまりにも意味深であった。


 MDMAの画像検索で分かる通り。

 ラムネや落雁と見分けがつかない合成麻薬は存在する。

 勧められたら幼児でも、平気で口にしてしまうだろう。


 女は手の中のラムネを眺め、若者を見て言葉をかけた。

「やめておけ お前には まだ早い」


 それって自白じゃないですか、と笑いながら、若者は隣に腰掛けた。

 それ子供の頃に好きだった、お菓子のパッケージなんですよ。と若者は続けた。

「どうせ死ぬなら、それで死にたい」



 生き辛い世の中である。

 廉価アルコールが流行り、アルコールが買えない若者も、とにかく何かで気を紛らわさねば生きてられない世相である。


 寝た子を起こすな、薬物に興味のない子供に、無用に知識を与えるな、と言われたのは昔の話。

 知らない間に中途半端な知識で手を出し、手遅れになる人間はまだ多い。


 お菓子と騙され手に取る子、痩せ薬と偽られ手を出す子。

 非合法ならまだ見張りようもある、しかし。


 「市販薬なら大丈夫」と、危うい誘いも存在する。

 いわゆる薬物過剰摂取オーバードーズである。


 死に至るのはままある方で、むしろ幸いという事すらある。


 仲間の内で使って人が死に、裁判の被告席に座らせられる事もある。


 死に至る前に脳がやられ、幻覚幻聴に悩まされながら、死ぬに死ねずに苦しみ続ける事もある。


 異常行動で逮捕され、気が付いたら犯罪者という事もある。


 ベンチに座る若者はそうした市販薬の方の、違法な中毒者であった。まだ町中を歩けているのはひとえに運がよかっただけである。


 女はラムネを片手に若者に続きを促した。

 小さい頃の思い出は、他にどんなものが好きなのか。


 若者はぼんやりとした頭を巡らし、ラムネの近くの小さい頃の記憶をたどって話し始めた。


 お祭りの綿あめを、一人で全部食べ切れなかった思い出。

 マヨネーズが嫌いだが、オリーブオイルと塩の味付けの母の卵サンドは好きだ。

 誕生日に焼かれたクッキーが、混ぜて焼くだけの簡易なものだが、それがとても嬉しかった。


 この若者は恵まれている方である。

 しかし不安に押しつぶされることもある。


 学校で辛かったこと。

 Webで嫌でも見るニュース。

 暗い世相の見えない不安。


 両親は共働きで、帰って来るのも不定期で、落ち着いて相談できる人も居ない。


 両親に迷惑かけずにすぐ死にたい。


 合成麻薬の過剰摂取ならほぼ確実に死ねるだろうというわけである。


 譲ってくれないんだったら、画像撮って警察に持ってきますよ、と、スマホを構えた若者は唖然とした。

 スマホには、空のベンチが映るばかり。肉眼で周囲を見回しても、女はどこにも居なかった。


 幻覚やべーなと一人呟き、若者はアプリの着信に気付く。


『誕生日もうすぐだね

何か欲しいものはある?』


 親から来た文章である。

 若者は、ほとんど無意識で返信した。


『クッキー』

『幼稚園の頃、誕生日に作ってくれたやつ』

『なんて嘘嘘、忙しいでしょ』


 寂しさを少し吐き出した気がして、若者は家路についた。



 それから数日、ハロウィン近く、普段より、わずかに賑やかな夜の街。

 市販薬の大量摂取を防ぐため、薬局は一定以上の量を売らない仕組みになっている、ただ抜け穴は存在する。


 件の若者は、家に帰らずに必要量を確保していた。縁石に座り、一箱一気に飲んで、ふとアプリの着信に気付く。


『いまどこ?』

『迎えに行くよ』

『クッキー焼いたよ待ってるよ』

 親からである。仕事を返上して帰って来てくれたのであった。

 帰らなきゃ、と立ち上がろうとした時に、ふっと世界が回って消えた。



 若者が起きたのは自分の部屋である。

 隣には、いつか深夜の駅前で見た女が居た。宙にふわふわと浮いている。

 その肩に、マンガなどで見る大きな鎌を担いでいた。


 「おねーさん、もしかして死神ですか?」と聞く若者を、女はにこやかに肯定した。

 鎌を見て、「痛いですか?」と聞く若者に、事もなげに女は言う。

「気にするな これはコスプレだ」

 あっさり鎌を部屋の壁に立てかけた。

「死神というのは本当だ 鎌があると みな 飲み込みが 異常に早い」

 鎌は別に要らないらしい。


「空いている病床が無かった 学生証で身元が判明した 容体も安定していたから そのまま家に運び込まれた」

 女は続ける。

「量が少なく すぐに吐き出して軽く済んだ 姿勢が低かったのもある 意識手放して 打ちどころ悪く 死ぬ事だって あっただろう」


「……助かっちゃったんですね」

 死にたい、と若者は言った。

 親に迷惑をかけてしまった。


「黄泉の竈の飯を食べれば すぐに向こうに行けるだろうが そう急くこともないだろう」

 と女は枕もとを指差した。

 若者の親が用意していた、ラップのかけられたクッキーである。


 手作りクッキーを一口かじって若者が呟いた。

「薬、全然おいしくなくて」

 女は黙って頷きながら聞いていた。

 続いて出るのは日常の、ありとあらゆる不安と不満。

 生き辛い世の中である。

 女は黙って聞いていた。


「妙な薬の一つや二つで 人の縛りを 解けるわけもない。 薬も過ぎれば毒になる。

 とりあえず 毒を飲むのはやめておけ。

 我らの慕われていた兄らが ずっと昔に毒で死んだ 死神の心証が良くないぞ」

 言い聞かすような女に対し、驚いた顔で「死神って死ぬんですか?」と聞いてくる若者がおもしろかったようで女は陽気に笑った。


「死ぬぞ 我らの居場所は 黄泉と現世の境。 兄らは 先に根の国に行った」

 お前はまだ死にそうにないな、と女は立ち上がった。


 死にそうにないならなぜ現れたか疑問である。

 そう言う若者に女は答えた。

「千年ほど前 色々あってな 我ら お役目を果たすのが 少しばかり下手になったのだ」

 千年と聞いて「スケールでかっ」と若者は呟いた。

 色々と聞きたくなってくる。


「あいにく 我ら チート転生の権能は無い。

 そうした神がお呼びに来るまで 力でも蓄えて待っておけ」

 いやチート転生は知りませんけどと言うしかない若者である。


「寺社にでも 厄除けに 連れて行ってもらえ」

 厄年には意味がある。

 数えで女は19、男は25と言われるが、多感な上に、急に一人前として扱われ、挫折や失敗を起こす頃。

 親が自分の為だけに、手間暇を割いてくれるのは、時に命綱になるものである。


 しかし若者に言い聞かせてくる事ばかりである。

 死神さんは何か言いたいことは無いんですかと聞くと、答えた。

「相も変わらず 生きるのが辛い世の中だ ただ あるいは不出来の所もあるが あるいはよく出来た所もある」

 ふと止まる。

「多様性 と いうのだろう 今は 鬼でも死神でも いきなり切られることも無い」

 いや、鬼と名乗った妹が、子供に棒を振り回されたかと少し笑った。


「蜘蛛を見たら とびつかれぬよう距離をとって 土蜘蛛か 月雲か と聞いてほしい。

 空に浮かぶ月に 掛かる雲だ」

 何でまた?と聞いたところ、昔悪い呪いを掛けられて蜘蛛に変わった兄弟がいると月を見上げながら答えられた。

 話が滅裂になってきた気がして「どんな設定??」とツッコむ前に、若者は急に目が覚めた。


 外は日が高く、心配顔の両親が、息をのんで見つめていた。

 目を覚ました若者を、よかったごめんねと抱きしめてきた。


 この若者は恵まれている方である。


 薬物の乱用ともなれば、動揺して、子供を怒鳴る親も多い。

 救急隊員も心得たもので、けして叱ってはいけない、乱用は声なき声の悲鳴である。

 一番危険なのは不安、まずは落ち着け、安心させて、薬品の誤用事故である間に、家族で然るべき機関に相談を、治療が必要な事もある、と、よくよく親に言い含めていた。



 数日後、体調不良もなおった事で、若者は学校に向かっていた。


 ドッグランで悲鳴が上がる。

 一抱えもある蜘蛛が、ドッグランを走り回っていた。

 何のことは無い、ハロウィンで、蜘蛛の着ぐるみを着せられた犬である。


 恐怖症のある人だと、パニックになって犬を蹴ることもありえるため、絶対にやめてほしいものである。

 人々の普段と違う反応に、途方に暮れた様子の犬。

 若者が近づくと、柵越しに尻尾を振ってきた。


「……君はお空の月の雲?」

 若者の問いに、よく分からないというように、首をかしげる犬である。

「違うか」


 寒風にからの蜘蛛の巣が揺れる、十月末のことである。



 是は令和のどこかの話。


 もしやあなたのすぐそばに。


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