3.陰陽師は鬼を見る
灯り一つない平安京。
人気なく、不気味に静まり返った大路。
男は臆することもなく、当然のように歩いていた。
不意に見上げ、何もない場所に、軽く気安げに声をかける。
「君たち、私が出ると引いてくれるね。助かるよ」
何もない暗闇から声が返ってくる。
「信太の森の奥方に
事を構えるなと 言われている」
男は大げさに驚く素振りをした。
「あれ、もしかして身内だったのかい?
よければそちらの話を聞きたいのだけれど。どうだね? 一献」
呼びかけに応じたのか、何もない虚空から、先程の頭巾の男が姿を現した。
それに応じて稀代の陰陽師が名乗る。
「挨拶がまだだったね。安倍晴明と呼ばれるものだ」
頭巾の男が返す。
「我らは 月雲。
名は 無い」
「月雲……つきぐも……つきぐも……。
もしかして、近年、都大路を騒がせる人喰い妖怪の土蜘蛛って君たちかい?」
「それは 堕とされた名だ」
妙な返事に、清明はゆらゆら頷く。
「なるほど、その辺も詳しく教えてもらおうじゃないか」
「長い話になるぞ 神代に遡るほどだ」
男の返事に清明は空を見上げた。
「大丈夫だ、夜はまだ長い」
月の夜、大路で横を歩きながら。清明は男を観察していた。
見た目は小柄。人で言えば十代半ばか、それより前、ようやく元服を済ませたところか。
先ほど、坊主と男が口論をしていた所で、妙な気配が漂っていた。
強くはない。今はもう欠片も見当たらない。気のせいと言えば気のせいのような。しかし何かがあった。
そこに居た人外にあたりをつけて引っ張ってきてはみたものの、特に悪さをするでもない。
事を荒立てる気はないが、できればちょっと近くに置いて、調べてみようかと気まぐれに思い立った程度の事である。
月が中天にかかる屋敷前。
誰が触るでもないのに、家の門が開いた。
屋敷の中には既に二人分の折敷、お盆のような膳が置かれていた。
「うーん、何から聞いたものか」
杯を傾けながら、清明が珍しく頭を悩ますそぶりを見せる。
男は頭巾をとっていた。
一見、人である。しかし月夜でも違和感を感じるほどに青白い顔。口を開くとやはり違和感を感じる、牙と言って差し支えない犬歯。そして鉤爪と言っていいような、妙に伸びた指の爪。
「君たち、都に何しに来たんだい?」
「都は人が多い 死者も多い 適当な坊主が 無暗に散らし 辺りを彷徨う者も多い。
坊主に弔われる前に 我らは それを連れに来た」
「なるほど、君たちは冥府の使者か。
あれは黄泉戸喫だな?」
「そうだ」
あれ、とは、この男が亡者や瀕死の子供に差し出した握り飯である。
黄泉の竈で炊かれた物を食べると、現世には戻れないと伝えられる。それが黄泉戸喫である。
「しかし、君たちはどこから来たんだ?
黄泉軍が死者を連れに来るとは聞いたことが無いが」
清明の問いに、月雲の男が考え込む。
「これを悪用すれば 我らの一族をも消せる話。
ただ お前は力が強いから 下手に隠し事をして 呪を曲げられても困る。 正直に話そう。 神代から関わる 長い話だ」
冥府の使者は前置きとして、彼らの思想の話を始める。
「世には理がある 水は天から地に流れる 火は風を吹き上げる 鉄は風と結んで赤を成す これは人が居ない地でも変わらない 放っておけば 世界が終わるまで それを繰り返すだろう」
彼の言わんとするのは、いわゆる物理現象全般である。
「この理を破るのは難しい なぜなら水の理と合わせて 水の流れを見た者全てが 『水は天から地に流れるもの』 と 呪をかけているからだ」
彼に言わせれば、微に入り細を穿って全てを解明せんとする現代科学は、全人類をもって『物理法則に反することは起こらない』という呪をかけているに等しい。
「これを破るには お前のような力の強い人間か 大勢の人間が 理を覆せるほどの呪を 作り出す事が必要だ」
清明がここで一度制止した。
「一つだけ訂正させてほしい。陰陽術はどちらかといえば理を利用するものだ。
星の動き、季節の動き、陰日向、風水の流れに人の流れ。
そうした諸々を読み取って、そこに少しだけ手を加え、思う方向に導く術だ。
細工をすれば、高い所から落ちる水も、落ちるより上に上る事もあるものさ」
現代でも水撃ポンプなどがある。
「まぁ、その細工に君の言う呪を使ってないとも限らない、そういう見解だと知ってくれ。
では、続きをどうぞ」
「太古の昔 大勢の人間をまとめ 思い通りの呪をかけるために 作られた。
名すら残っていない秘儀 いわば神造り。
我らはその 原初に近しい神の末裔」




