22話 独りぼっちの魔物
扉を開けると、そこは何の変哲もない、小さな子供部屋だった。ぬいぐるみやロボットが部屋に散らかり、天井からは星や月をかたどった飾りがぶら下がっている。その部屋の中央に、一人の子供がいた。病衣のような黒い服に身を包み、死人のように青白い肌をしている。子供は金髪を揺らし、こちらを見る。人間のものとは思えない赤い瞳が、レオナの姿をとらえた。手足に巻いた包帯を引きずりながら、レオナを見る。
「初めまして、僕がエフィルだよ。まさか幻を打ち破っちゃうなんてね」
エフィル……。この子供こそ、人々を魔物に変えた張本人。師匠を死に至らしめた魔物だ。ヒトの形をした魔物は、無機質な笑顔を浮かべてレオナを見ている。足首と手首には、鎖の千切れた足枷がついており、それに沿って包帯が痛々しく擦り切れていた。レオナはエフィルから感じられる冷たい憎悪に、体を震わせる。
「君が何をしに来たのかはわかっているよ。僕を殺しに来たんでしょ?」
「そんな事はしない。僕は君を助けに来たんだ」
エフィルは貫くような視線をレオナに向ける。まるで人間の邪悪な本性を見透かすようだ。レオナは一瞬硬直するが、すぐに首を横に振った。それを見るとエフィルは、作り物の笑顔を向ける。
「へえ、そうじゃないんだ。……君たち人間はいつもそうだよね。綺麗事を言っても結局は僕を殺そうとするんだ」
「僕はもう、君を憎んだりしない。君を助けたいんだ」
エフィルはうつむき、悲しげに呟く。抉るような言葉の一つ一つから、エフィルが過去にどんな思いをしたのか、レオナにも感じられた。人間に対する強い憎しみ。その中に胸が張り裂けそうなほどの悲しみがあった。エフィルは手を掲げ、光を集める。
「君も魔物になって思い知るといいよ。自分の心の醜さをね!」
エフィルはレオナに向かって赤い光を放出する。レオナは防ぐすべもなく、光を全身に受けてしまった。レオナはその光景に、師匠を重ねた。だが、あの時とは違い、師匠はいない。熱い。全身が焼け焦げてしまいそうだ。
しかし、その痛みはすぐに治まった。レオナを覆う光が、突然振り払われたのだ。レオナは自分の姿を恐る恐る見た。肌色の手、床を踏みしめる二本の脚。人間のままだ。レオナは安堵すると同時に、誰かの気配を感じた。ひどく懐かしい気配だ。とんがり帽子の、偉大な魔法使い。思わずレオナは師の名前を呼びそうになった。
「その力……。そうか、君はパーシヴァルの弟子なんだね」
エフィルは驚くそぶりも見せず、微笑する。そして再び手を掲げ、光を集め始めた。どす黒い光が渦巻くように、エフィルの周りに立ち込める。
「でも、君が何者なのかなんて僕には関係ない。君の旅はここで終わりだからね!」
エフィルは巨大な黒い光を、レオナに向かって投げつける。レオナはすぐに筆箒を構え、盾を作り出した。盾と光がぶつかり合い、レオナは押されていく。全てを憎しみで塗り潰してしまいそうなほど、光の黒は深い。どす黒い光は徐々に大きくなり、盾を打ち砕いた。エフィルの光がレオナに直撃する。その瞬間、レオナの意識は体から引きはがされていく。圧倒的な力を前にして、レオナの顔には絶望が浮かんだ。……勝てない。力の差がありすぎる。薄れゆく意識の中、レオナの目の前には今までの出来事が走馬灯のように流れてきた。パーシヴァル、セルマ、アルマンド、グリフ……。今まで出会ってきた人々の顔が浮かぶ。旅は、どうやらここまでのようだ。レオナはゆっくりと目を閉じる。
「いや、まだ諦めちゃだめだ!」
心の中で、レオナを鼓舞する声が響いてくる。その声はほかでもない、レオナ自身の声だった。レオナは驚いて目を開け、辺りを見る。しかし、何も見えない。暗闇が続くだけだ。本当に死んでしまったのだろうか。その時、周囲からレオナを呼ぶ声がかすかに聞こえる。レオナは耳を澄ませる。命の糸をたぐり寄せるように、声を探し続けた。
「魔法使いさん、負けないで!」
「魔法使いさんなら出来るよ! すげー魔法が出せるんだから!」
「セルマ……アルマンド……」
姿こそ見えないが、確かに二人の声が聞こえてきた。レオナにはそれは本当に二人が発したものなのかは分からない。だが、レオナはさらに呼び声に耳を傾ける。
「何をしておる。ワシに立ち向かったときの勇気はどうしたのだ!?」
「忘れんなよ。お前は一人じゃない、仲間がいるんだぜ」
「ドレイクさん、エドガーさん……」
次々と聞こえてくる声は、レオナの体の奥底から力をわき上がらせた。レオナは痛みで軋む体を支えて立ち上がる。一人じゃない。レオナには支えてくれる仲間がいるのだ。今は離れていても、どこかでレオナの無事を祈っている仲間が。
「細かいことはいいんだ。オイラとお前は友達、理由はそれだけでいいんだよ」
「アンタなら、誰にも出来ないことをやり遂げられるぜ」
「君は可能性を秘めている。ひょっとしたら僕らの未来を変えてしまうほどのな」
馴染みのある声達に、レオナは筆箒を強く握りしめた。今までの思い出が、レオナを鼓舞する。まだ、体は動く。呼吸も出来る。望みは潰えたわけではないのだ。
「どうか、あの子を救ってくれ」
「アダムスさん……!」
レオナの胸の中に熱い想いが込み上がってきた。レオナは胸に手を当てる。心臓の音が聞こえた。希望があふれるように、鼓動は強くなる。
「お前にはすべてを変える力がある。これまでの旅の中で、お前はそれが何かは見つけているはずだ」
グリフの声に、レオナは奮い立つ。レオナの体の奥底から、さらに活力が押し寄せてくる。
「さあ、レオナ。筆箒に思いを伝えるんだ。君の気持ちを、エフィルに届けるんだ」
「……うん!」
姿を見ずとも、レオナは声に答えた。そうだ……。まだ倒れるわけにはいかない。まだ助けたい子がいる。独り寂しく泣いているあの子が。レオナは筆箒を強く握り、今までの旅を思い浮かべる。すると、レオナの周囲に、色とりどりの光が浮かんだ。光は目まぐるしく駆け、筆先に集まった。レオナには感じられる。今までの旅で得てきた力が。
セルマと出会って、“優しさ”が芽生えた。
ドレイクと戦って、“勇気”を抱いた。
デイビーと友達になって、“希望”を持てた。
エドガーの試練を受け、“忍耐”を覚えた。
ロイドを説得して、“可能性”を見いだした。
ダミアンと約束し、“信頼”を受け取った。
アダムスと対峙し、“覚悟”を見せた。
……そして、グリフに庇われて、“博愛”を目の当たりにした。
「みんな……ありがとう……」
この力はレオナ一人の物ではないのだ。八つの光は合わさり、虹色の光を作り出す。虹色の光はレオナの筆先に宿る。全身に、とてつもない力が伝わってきた。みんなの力の鼓動が聞こえてくる。レオナは顔を上げ、虹色の筆箒を振り上げた。すると、暗闇が振り払われ、視界が一気に開ける。
エフィルの僅かに眉を上げた。エフィルは信じられなさそうに、レオナを見ている。レオナは足を踏みしめ、エフィルと向き合った。もう大丈夫だ。仲間がいる。
「…………へぇ、まだ動くんだ。もう体はボロボロなのに」
「みんなが僕に力をくれたんだ。みんなのためにも、僕は倒れる訳にはいかない」
エフィルは目を見開きながらも、余裕の態度を取る。レオナは真剣な表情で、エフィルを見た。エフィルは歪んだ笑みを浮かべ、宙に浮き上がる。そして、体中からどす黒い光を放った。子供部屋が揺れ動き、崩れていく。光が空を飲み込み、暗雲が立ちこめた。城の一角が崩壊し、レオナとエフィルは雷が渦巻く空の下で向き合う。光が収まり、エフィルはその姿を現す。背中には大きな白い翼が生え、鎌のような三本の尻尾をゆらゆらと動かす。子供の姿であることには変わりないが、その姿はかつての魔王そのものであった。エフィルは不敵な笑みを浮かべて、レオナを見る。
「なら、僕も全力を出そう。二度と君が立ち上がらないようにしてあげるよ!」




