19話 かつての王国
扉の前で、レオナはうずくまる。城の外からは微かに剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。今すぐにでも扉を開けたいが、そんなことをしたらグリフの行動が無駄になってしまう。助けたい、と言う気持ちと行かなければ、という気持ちに、レオナは押し潰されそうになった。それでも、グリフの気持ちを踏みにじるわけにはいかない。レオナはここに来るまでの旅をしてきたのだ。悲しみをこらえ、レオナは立ち上がる。レオナは魔王を見つけるべく、城内を歩き回った。
厳めしい城の外見とは裏腹に、生活感あふれる穏やかな雰囲気が漂っていた。入り口の窓には花の植わった鉢植えが置かれ、城の絨毯は誰かが泥で遊んだかのような足跡が所々付いている。
レオナは城の一室の扉を開けた。そこは書斎だ。家主は読書好きなのか、棚には大量の本が規則正しく並んでいる。机には絵本が開きっぱなしで置かれていた。レオナ書斎を後にして、食堂の扉を開ける。
そこには、だだっ広いテーブルや豪華な燭台はなく、狭い部屋に木製の丸いテーブルがあるだけであった。テーブルの椅子は、とても大きいものと、子供くらいの大きさのものがある。テーブルの上には、チョコチップクッキーが入った籠がのせられていた。こんな場所に、魔王が住んでいるとは思えない。
レオナは食堂を出て、城の中央にある階段を上る。階段の手すりには棚が取り付けられ、そこにも観葉植物が植わる鉢植えが飾ってあった。古城であるはずなのに、手入れが隅々まで行き届いている。レオナにはここにどんな魔王が住んでいるのか、想像がつかなかった。レオナは二階のひときわ大きい扉に手をかける。
レオナは扉を開け、中に入った。すると、辺りが急に開け、レオナの目の前には植物園が広がる。中央には噴水があり、その前には大きめの椅子が設置されていた。噴水の傍らに、大きな石碑がある。手入れの行き届いた石碑には、真新しい花が添えられていた。部屋の端に並ぶ柱には、蔦が絡まっている。噴水はステンドグラスから差す光で、橙色に染まっていた。昼時の日差しが、床に植わる花の絨毯を彩る。回廊のように続く花園の先には、厳粛な雰囲気の扉がある。この花々を見ると、レオナはどこか懐かしい気分にもなった。だが、すぐにグリフと別れたあの場所が浮かび、気が重くなった。それでも、レオナは進まなければならない。レオナは植物園に、足を踏み出す。一歩一歩の足取りが重い。まるで、ここから先に行くのを拒んでいるかのように。レオナは迷いを振り切るように足取りを速める。
「とうとうここまで来ちまったか」
石碑の裏側から、ダミアンが現れる。ステンドグラスから覗く光で、黄色く照らされていた。
「来ると思ったぜ。アンタなら絶対にな」
「ダミアン……」
ダミアンはいつもの笑顔とは打って変わって、神妙な顔つきだ。レオナは少し身構えて、ダミアンを見る。窓の光が、向かい合う二人の影を映し出す。どこからともなく吹き抜ける風が、二人の間を縫うように通り抜ける。
「綺麗だろ? この庭。昔、王様が家族の為に作ったんだ」
ダミアンは神妙な面持ちのまま、庭を見渡す。石碑を取り囲むように、虹色の花々は揺らいでいた。
「ダミアン、君は……」
「まあまあ、そう焦るなって。ちょっと昔話に付き合ってくれよ」
ダミアンはレオナの後ろに回り込み、筆箒を下ろさせる。突然の事に、レオナは硬直した。
「昔、この王国には悪い王様がいたんだ。罪のない民衆から金を巻き上げ、贅沢三昧だったな」
ダミアンはステンドグラスの外を見る。質素な作りの今の城の様相からは、レオナは想像がつかなかった。
「だがな、新しい王様は民衆思いでな、路頭に迷っていた俺達を拾って、こんな綺麗な服まで着せちゃってさ」
ダミアンは自慢げにレオナにベストを見せつける。ビロード状のベストは、確かに貴族の服のようだ。
「王様には優しい奥方様がいた。まだ赤ん坊の子供と一緒で、いつも笑っていたぜ」
ダミアンは懐かしげに石碑を見つめる。レオナは飄々としたダミアンの態度に、戸惑いを隠せなかった。
「だけどな、ある日、奥方様が病気にかかっちまったんだ。どんな医者でも治せない、不治の病ってやつさ」
ダミアンは自嘲するようにため息をつく。
「王様はある人を尋ねようと、奥方様と赤ん坊を連れて、馬車を出した。なんでも、雪山のてっぺんにいる、有名な魔法使いだそうだ」
「お師匠……」
レオナは無意識のうちに、師と呟く。ダミアンはその様子を見ながら、ため息をついた。
「だが、雪崩が馬車を襲い、赤ん坊と奥方様は行方知らずだ。王様は絶望に暮れ、城に帰ってきた時はまるで抜け殻みてぇだったな」
ダミアンは石碑を指差す。掠れてはいたが、そこには二つの文字があった。おそらく、王妃と、その子供の名前だろう。
「絶望した王様を残して、国は廃れて、城だけが残った。だけど王様はこうして家族との思い出を忘れないように、毎日花には水をやってるんだぜ」
「その王様が……魔王なの?」
レオナの問いに、ダミアンは答えない。扉を守るようにダミアンは立つだけだ。
「なあ、アンタに王様の何が分かるんだ? アンタは王様を殺す気だ」
「違うよ! 僕はただ魔王と話がしたくて……」
レオナが言い終わらないうちに、ダミアンは尻尾でレオナの身体を縛り上げた。表情一つ変えないまま、ダミアンはレオナを締め付ける。
「アンタが話をしたいだけでもな、いつかそれは殺し合いに変わる。アンタが望んでいなくてもだ」
「そんな……僕はそんな……」
レオナは苦しさに言葉が詰まる。ダミアンはレオナの掴んだまま、宙に羽ばたいた。白髪の間から覗く赤い瞳で、ダミアンは睨む。
「教えてくれよ。アンタは、何のために王様に会う?」
「それは……みんなを苦しめている魔法を、止めてほしくて……」
「魔法が解けない……。そうなったらアンタはどうする?」
ダミアンの問いは真っ直ぐレオナに突き刺さる。返答次第では殺してやる。そう言いたげだ。霞む視界に、レオナは確かにダミアンを捉える。
「それなら、僕も協力する。僕の魔法でいいなら、僕のできることを精一杯やるだけだよ」
「…………」
長い沈黙の末、ダミアンはゆっくりとレオナを降ろす。尻尾の拘束を解き、ダミアンは翼をたたんだ。
「なんで……?」
「……安心しな。アンタと戦うつもりはないぜ。そんな必要ないしな」
ダミアンはため息をつく。レオナは胸を撫で下ろした。ダミアンの言葉に偽りはない。ダミアンからは敵意が感じられず、腕はだらんと下げたままだ。ダミアンはゆっくりと深呼吸し、風に髪をなびかせる。
「でも、これだけは言っておくぜ。どんな現実を前にしても、アンタの最善を尽くしな」
ダミアンの言葉を、レオナは不思議に思う。ダミアンはここを守っているはずだ。
「どうして僕を殺さないの?」
「どうして……か。アンタに賭けてみたくなったからだ」
ダミアンは微笑し、レオナの問いに答える。レオナはまだ腑に落ちない様子で、ダミアンを見た。他に理由があるはずだ。しかし、何を聞かれてもダミアンは冗談交じりに笑う。
「他に理由が必要か? 俺が賭けてみたくなったから、アンタに賭けた。理由はそれだけでいいだろ」
ダミアンの言葉に、レオナは質問するのを止める。なんともシンプルな答えだ。
「最初は、王様の所になんか行けっこないと思ったぜ。その方が俺にとっても楽だったからな。でも、絶対に諦めないアンタを見て思ったんだ。コイツなら何かを変えられるかもしれないってな」
ダミアンは苦笑してレオナを見る。レオナは少し照れくさい気持ちになった。レオナには何かを変える力がある。本当にそうだろうか。レオナは普通の人間だ。大した力もない、ただの人間だ。
「でも、僕はただの子供だよ。ただのレオナだよ」
「だったらアンタはここまで来れてないぜ。ここまで来れたのはアンタの強い意志のおかげだろ? そいつは紛れもなくアンタの力さ」
ファントムの言葉に、レオナの胸は熱くなる。そうだ、レオナはここにいる。悲しみも困難も乗り越えて、レオナは自分の足でここに来たのだ。
「だから、約束だぜ? アンタは絶対、諦めるなよ」
「……うん!」
ダミアンはそう言い、通路を離れて窓に寄りかかる。得意げに笑い、レオナに向かって親指を立てた。レオナも強く頷き、親指を立てて通路を進んでいく。窓からの光をマントが受け止め、尾を引くように輝いていた。ダミアンはいつもの笑顔のまま、レオナを見送る。レオナは回廊の奥の扉の前に立った。大きく、重々しい鉄の扉だ。まるでこちらを威圧しているかのように。この先に魔王がいるに違いない。唾を飲み込み、レオナはゆっくりと扉を開ける。強いすきま風が、吹き付けた。それでもレオナは足を止めない。グリフのため、今まで会ってきた人達のためにも。レオナの背中には光が、旅の終点を指し示すように照らしていた。




