13話 決闘
「俺の部下に傷を負わせるたぁ、なかなかやるじゃねぇか。何者だ?」
鯱の魔物は口元を上げて笑う。グリフはマストから降り、魔物の方へ進み出た。
「吾輩はグリフ、こっちはレオナだ。吾輩らは怪しいものなどではない」
「嘘をつけ! テメェらは俺達の食糧を盗もうとしたじゃねぇか!」
グリフの言葉に、魚人達は怒号を上げる。だが、鯱の魔物はレオナから視線を外そうとしない。十字傷の走る目に睨まれ、レオナの身がすくむ。まるでレオナを見定めているようだ。
「静かにしろ」
鯱の魔物は落ち着いた口調で魚人達を説き伏せる。すると、あれほど騒いでいた魚人達は、嘘のように大人しくなる。
「僕達、魔王を止めるために、この先に進みたいんだ。だから、お願い。僕達を船に乗せて欲しいんだ」
鯱の魔物は黙ってレオナの話を聞いていた。時折レオナの言葉を反芻するように、魔物は相槌を打つ。
「なるほど、船に乗せてほしい……か」
「頭、だまされないでくださぇ!」
「そうでさぁ。コイツら、魔王とかでたらめなことを言って、船を乗っ取る気ですぜ」
船員が再び騒ぎ出す。鯱の魔物は錨で床を打ち鳴らした。床が波紋が広がるように打ち震える。
「俺はコイツと話をしているんだ。邪魔すんな」
鯱の魔物の言葉に、海賊達は再び沈黙する。海賊達の頭にふさわしい威圧感が、この魔物にはあった。
「お前らが何が目的で船に乗りてぇかなんて興味ねぇ。乗りてぇなら乗せてやる」
「じゃあ、僕達ここにいてもいいの?」
鯱の魔物の言葉に、レオナは顔を上げる。だが、鯱の魔物は眉間に皺を寄せたままだ。錨を軽々と持ち上げ、レオナに真っ直ぐ突きつけた。
「だがな、この俺、エドガー船長の可愛い部下が世話になったからには、きちんと落とし前を付けてもらわねぇとな」
エドガーはレオナを突き刺すように言い放つ。突きつけられた錨に、レオナの体は押し潰されそうなった。エドガーは錨を肩に担ぎ上げ、レオナの前に進み出る。
「俺とサシで戦え! 勝ったら船に乗せてやる!」
エドガーは錨の矛先をレオナに向ける。レオナはたじろぐも、ゆっくりと頷く。エドガーを見据え、レオナは筆箒を構えた。
「待て! その子と戦うなら吾輩が相手だ!」
「グリフさん、止めないで!」
グリフが前に出ようとしたため、レオナはそれを制す。レオナの威勢にグリフは一瞬気圧されるも、レオナに向き合う。
「この男は危険だ。お前が勝てるような相手じゃない」
「分かってる。だけど、これは僕自身の勝負だ」
レオナの声は震えていたが、一歩も退くまいと床を踏み締めていた。真剣なレオナの表情を見て、グリフは渋々と一歩引く。
「いい度胸だ、坊主。お前みてぇな肝の据わった奴は嫌いじゃねぇ」
エドガーは豪快に笑い、錨を真上に振り上げた。悪意も嘲りのない笑い声を上げるエドガー。エドガーは一人の男として、レオナを見据えていた。
「だがな、実力が伴わねぇと、この海は渡っていけねぇぞ」
エドガーが錨を振り下ろすと、水の衝撃波が放たれた。レオナは床を転がり、衝撃波を躱わす。魚人達とグリフは固唾をのんで、二人の決闘を見守っていた。
「どうした? 逃げてばかりじゃ、大波に飲まれちまうぜ!」
エドガーは両手で錨を振り上げ、大波を打ち出した。床全体を波が飲み、レオナを縁まで押し流す。大量の水を飲み、レオナは咳き込む。レオナの背後には、白く泡立つ海原が広がっていた。レオナを海に放り出そうと、波が再び襲いかかる。あの波を止めないと。レオナは筆先を水色に輝かせ、波を凍らせる。だが、凍った波を割り、錨がレオナを捕らえた。錨はレオナのマントを捕らえたまま、床に打ち付ける。エドガーが仰向けになったレオナの腹を踏みつけた。胃が押し潰されるような感覚がレオナを襲う。
「立て。立たねぇとお前のあばらがへし折れるぜ」
エドガーの踏みつける力が強くなる。レオナは横に転げ、エドガー目掛けて氷を打ち出した。エドガーの腕は凍り、錨を持ったまま動けなくなる。レオナは脇腹を押さえて立ち上がった。だが、腕が凍っているにも関わらず、エドガーはにやりと笑う。
「その意気だ。そう来なくっちゃ張り合いがねぇ」
エドガーはもう片方の腕で氷を弾き飛ばす。砕け散った氷が、レオナの前に飛んできた。錨を振り上げ、エドガーはゆっくりと前に出る。レオナも筆箒を携え、エドガーと向き合った。
「うわぁぁぁぁぁーっ!」
突然、何者かの悲鳴が聞こえてくる。レオナとエドガーは戦いを忘れ、辺りを見回した。ドッキーが顔中に汗を垂らして、エドガーの元に走り寄る。
「た……大変だ、頭! カルロスが……カルロスがボビーを引きずり込みやがった!」
ドッキーの言葉を聞くなり、エドガーはデッキへと走る。レオナは勝負の事など忘れ、エドガーの後を追った。エドガーは血相を変えて、デッキから海を覗き込む。激しく波打つ水面に、一人の魚人が浮かんでいる。まだ幼い、少年の魚人が、手をばたつかせていた。
「ボビー、待ってろ! 今助ける!」
エドガーが船から下りようとする前に、海に飛び込んだ者がいた。レオナだ。レオナはボビーに向かって一心不乱に泳ぐ。手で波を仕切りに掻き分ける姿は、どちらが溺れているのか分からないほどだ。初めて感じる波の恐怖を投げ捨て、レオナはボビー目掛けてがむしゃらに泳ぐ。
「馬鹿野郎!! 海の怖さも知らねぇのに、何やってやがんだ!」
エドガーはコートを脱ぎ、海に飛び込む。レオナはボビーの元まで手を伸ばす。すると、巨大な触手が海中から現れた。苔むした水色の触手はぬめりを帯び、波を叩いて荒れ狂う。ボビーは口に水が入り、浮き沈みしながら咳込む。レオナは沈んでいくボビーの肩を掴む。
「ダ……ダメだ。アンタは俺にかまわず逃げてくれ。このままだとアンタまで引きずり込まれちまう」
「君を見捨てて逃げるわけにはいかないよ」
ボビーの言葉に、レオナは首を横に振る。相手が誰なのかは、レオナも分かっていた。レオナはボビーの手を掴みながら、船の方へと泳いでいく。だが、水面から泡が立ちこめ、黒い影が浮上する。波がレオナ達を呑み込もうと押し寄せた。波しぶきを上げ、海面から一匹の怪物が姿を見せる。巨大な烏賊の魔物だ。頭一面に苔が生え、緑色に光る瞳がこちらを睨み付けている。口には鋭い牙が光っていた。烏賊の魔物はレオナの姿を捉えるなり、大きく息を吸い込む。烏賊の口には黒い墨が溜まっていく。レオナは紐をたぐり寄せるように、波をかき分ける。烏賊の魔物は大きな墨の塊を、大砲のように撃ち出した。墨の砲弾は波を裂き、レオナ目掛けて襲い来る。レオナは筆箒を取り出そうとするが、水中では思うように動かない。レオナは目を瞑った。すると、金属が何かを弾く音が聞こえてくる。レオナが目を開けると、エドガーが錨を構えていた。錨の先には黒い墨がべったりと張り付いている。エドガーはレオナとボビーの手を引っ張り、船に向かって泳ぐ。
「何してんだ。大して泳げねぇくせに無茶しやがって」
「エドガーさん……」
エドガーは烏賊の魔物の動きを警戒しながら、慣れた手つきで波を掻く。
「まぁ、そんな無謀な奴は嫌いな奴は嫌いじゃねぇけどな」
エドガーはレオナを見て豪快に笑う。敵意のない笑顔に、レオナの表情も綻んだ。烏賊の魔物は再び墨の大砲を撃とうと、大きく息を吸い込む。
「頭! 大丈夫ですかい?」
魚人の海賊達が加勢しようと船を下りようとする。だが、エドガーはそれを止めるように錨を振り上げた。
「来るんじゃねぇ! まとめてカルロスに引きずり込まれちまうぞ!」
エドガーの言葉に海賊は困惑していたが、それ以上動こうとはしなかった。エドガーはそれを見て安堵し、船に向かう。しかし、一人だけこちらに向かっていく者がいた。グリフだ。羽をおぼつかなく羽ばたかせて、グリフは飛んで来る。
「お前、来るなと行ったはずだろ!?」
「うるさい! 吾輩は海賊ではないからお前の命令など聞かん! それに、吾輩はその子を助けに来ただけだ」
グリフは前足でエドガーの肩を掴む。エドガーは驚くも、グリフに肩を貸す。烏賊の魔物は口を膨らませ、さらに墨を溜める。それを見るなりグリフは、エドガーごとまとめて鷲掴みにして舞い上がった。放たれた墨大砲は、グリフの羽をかすって空の彼方に消えていく。グリフは息を切らして飛び、何とか船までたどり着き、三人を離す。レオナは海水でびしょびしょになった帽子を、渇かすように絞る。
「ハハハ。なんだよ、素直じゃねぇ奴だな。俺達まで助けちまうなんてよ」
「フン、お前達はついでだ。その子が助けに行ってなかったら、お前らなんて見捨てたであるよ」
グリフは鼻を鳴らす。翼をはためかせ、海水を飛ばした。
「お前も見直したぜ、坊主。ひょろいクセに大したもんだ」
「えっ!? う……うん」
エドガーは力強くレオナの頭を撫でる。レオナの頬が僅かに赤く染まった。
「か……頭! 大変だ! カルロスが、今度は港の方に移動しやがった!」
「何っ……!?」
ドッキーの言葉に、エドガーは慌てて烏賊の魔物を見る。船内に再び緊張が走った。烏賊の魔物は水しぶきを上げてつき進む。蠢く視線の先には、ホワイトウェーブの港町があった。




